昨夜からすごい風で朝早く目覚めてしまった。ほぼ満開の桜もかなり散ってしまった。でも、週末は花見日和になりそう・・

「名所江戸百景」今昔:「鉄砲洲稲荷橋湊神社」
ここは隅田川西岸、見えている橋は稲荷橋で、その左側は湊稲荷、橋の向こうに続くのは八丁堀だが、もちろん今はない。菱垣廻船や樽廻船でここに届いた物資は、小舟に積み替えて掘割を通って江戸の問屋に届けられた・・。鉄砲洲稲荷神社は今の鉄砲洲通りに面した場所に移っている。
読み解き江戸時代:朱印船、アジアの海へ「江戸時代にもあった大航海時代」
鎖国は三代将軍家光のときからだったんだって・・。だから30年余りの間、日本人は中国や東南アジア各地まででかけた・・。日本で産出する銀と生糸などを交換したんだって・・。石見銀山が大いに活躍したのだが、おかげで枯渇してしまった。関が原の戦いのあと浪人になってしまった武士たちも海外に向かい、シャムなどで傭兵になった者も・・。
「箱根七湯巡り」は人気のコースで1週間で一回り、これを三回りするのが定番だったとか・・。七湯とは湯元、塔之沢、底倉、堂ヶ島、木賀、芦之湯、宮ノ下・・それぞれ効能が違う。
二丁町は今の人形町・・江戸三座の内中村座と市村座がここにあった・・人形芝居の関係者が多数住んでいたらしい。
高麗橋は越後屋(三越)が最初に大坂に進出した場所・・。その北側の北浜は金融の町として栄えた。この辺りで起きた大塩平八郎の乱では越後屋なども焼き討ちに遭った。
最後まで幕府への忠誠を貫いた松平容保・・・新撰組のパトロン・・戊辰戦争で新政府軍と戦い、白虎隊の抵抗むなしく敗れ去った・・・東照宮宮司として余生を送ったという話は始めて知った。
元禄時代の一人当たりの年間飲酒量は30升(54L)・・月に1升瓶2.5本は多いのか少ないのか? 酒は上方(伊丹、灘、池田など)から「輸入」したので、「下り酒」と言うらしい。
江戸の酒は濁り酒で甘口だったが下り酒は辛口・・・その中で伊丹産は甘口で当初人気があったが、後期には辛口の灘産に人気が出た・・。
昔も今と同じく、奇抜な服装をした「奴(やっこ)」と呼ばれる若者が町を闊歩した。長兵衛は町人の「町奴」、対立した水野十郎左衛門は「旗本奴」・・長兵衛は十郎左衛門に謀殺され、そのときお咎めのなかった十郎左衛門も後にあまりの不行跡がたまって評定所に呼び出され、そのときも奇抜な服装で出かけたので「不謹慎!」ということで切腹処分になってしまった。武士に逆らったことで歌舞伎の「極付幡随長兵衛」は町人の人気を得て大流行した。