
「名所江戸百景」今昔:「蓑輪金杉三河しま」
日比谷線「三ノ輪」の地名は蓑輪に由来するらしい。ここからJR三河島駅辺りは水田が広がっていて、秋になると丹頂鶴がやって来たらしい。将軍は鷹狩りに出かけて鶴を捕ることがあったそうな。これを「鶴御成」と言って、年の暮れに捕らえた鶴を塩漬けにして正月料理として天皇に献上されたんだって・・。
読み解き江戸時代:家康流、朝廷攻略術「14歳の花嫁、天皇家へ」
幕末に和宮(かずのみや)が降嫁した話はよく話題になるが秀忠の五女和子(まさこ)入内(じゅだい)の話はよく憶えていなかった。「徳川の血を引き継ぐ者を天皇に」作戦だ・・。この作戦に対して後水尾天皇が徹底抗戦する話が面白い。しかし男子に恵まれず(二人生まれたが早世)、和子の子で天皇になったのは明正天皇のみであった。当時は女性天皇の子は天皇になれない決まりがあったんだって・・・。
街道を行く:「旅籠屋」、東海道⑦「平塚宿」
相模川は当時馬入川と呼ばれ、馬入の渡し(渡し舟)で平塚宿に入った。本陣は立派だったが小田原宿や戸塚宿に近いこともあって旅籠屋は少なかったそうな・・。東海道が整備される前は中原往還(今の中原街道)が江戸からストレートに伸びていて、家康は中原に御殿を造ってたびたび鷹狩りに訪れた。
三都&町物語:江戸「芝愛宕山」、大坂「新町」
桜田門外の変で水戸浪士は直前に愛宕山山頂の愛宕神社に終結したらしい。
新町は大坂唯一の公式遊郭だったんだって・・。
日本全国「藩」事情:「駿府藩」
暮らし大全:「江戸の花魁はスーパーモデル!」「スイーツ天国江戸」「江戸の正月、新春のにぎわい」
享保年間の頃から、最上級遊女を花魁と呼ぶようになったらしい。帯を前に垂らす独特の型「まないた」は帯の美しさを見せるためだった。
大福餅を考案したのは小石川箪笥町に住む、後家のお玉さん・・
元日は寝正月で2日からいろんなことが始まった(物始め)。初荷・初売り、初湯・初風呂、出初、馬乗り初め、弾き初め、書初め、初夢・・・・楽しいことが続いた。そう言えば「姫始め」というのがあったね。元は「姫飯」を始めて食べること、「飛馬(ひめ)」と書いて初めて馬に乗ること、そして女仕事(洗濯や縫い物)を始めてすることだったそうだ。エッチな話になったのは江戸時代後期??
享保年間の頃から、最上級遊女を花魁と呼ぶようになったらしい。帯を前に垂らす独特の型「まないた」は帯の美しさを見せるためだった。
大福餅を考案したのは小石川箪笥町に住む、後家のお玉さん・・
元日は寝正月で2日からいろんなことが始まった(物始め)。初荷・初売り、初湯・初風呂、出初、馬乗り初め、弾き初め、書初め、初夢・・・・楽しいことが続いた。そう言えば「姫始め」というのがあったね。元は「姫飯」を始めて食べること、「飛馬(ひめ)」と書いて初めて馬に乗ること、そして女仕事(洗濯や縫い物)を始めてすることだったそうだ。エッチな話になったのは江戸時代後期??
偉人・奇人列伝:「おたあジュリア」
文禄の役のとき小西行長は一人の朝鮮人少女を連れ帰った。キリシタン大名小西行長の養女となり、夫人小西ジュスタに教育され「聡明で美しいキリシタン」となって成長したが、その後数奇で過酷な運命に・・。最期の地、伊豆神津島では毎年5月に慰霊祭(ジュリア祭)が開催される。
文禄の役のとき小西行長は一人の朝鮮人少女を連れ帰った。キリシタン大名小西行長の養女となり、夫人小西ジュスタに教育され「聡明で美しいキリシタン」となって成長したが、その後数奇で過酷な運命に・・。最期の地、伊豆神津島では毎年5月に慰霊祭(ジュリア祭)が開催される。