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「名所江戸百景」今昔:「大てんま町木綿店」
木綿問屋の集まる大伝馬町・・・小伝馬町は知っていたけど・・。木綿は当時国産だった・・鎖国だから当然だけど・・。
私の薀蓄:浦賀の商人は専売権を持っていた干鰯で大もうけしたが、干鰯は食べ物ではなく肥料で、木綿やみかんの栽培に不可欠だった・・。
手前の木綿店(もめんだな)田端屋は津(伊勢)の木綿問屋で大伝馬町に出店して大繁盛・・・。
   
読み解き江戸時代:大奥誕生「すべては将軍家存続のために」
大奥女中のトップクラス「御年寄」・・・今なら「失礼ね!」と言われそうな職名・・の年収は今の価値にして1200万円ほどだったそうな。一番下の「御末」で54万円ほど・・これ以外にもさまざまな格差があっただろうから、上と下では雲泥の差ということになる。
大奥の年中行事や春日局の話が紹介されている。
 
街道を行く:「宿場の役割」、東海道⑥「藤沢宿」
宿場は主に「輸送の拠点」「旅行者の宿泊施設」の機能を持っていた。前者を執り行うのが「問屋場」、後者を行うのが「本陣」「脇本陣」「旅籠屋」だ。旅籠屋は庶民や私用の武士が主に宿泊するところで、「飯盛女」を抱えていた。飯盛女とは接客係の女だが、男にとっては「春をひさぐ女」であった。そのほかに休憩用の「茶屋」、お触れを出す「高札場」などがあった。
藤沢宿は遊行寺の門前町であり江ノ島詣での拠点でもあった。
 
三都&町物語:江戸「神田明神」、京「四条河原」
 
日本全国「藩」事情:「薩摩藩」
西郷隆盛と大久保利通は協力し合って明治維新を成功に導いたが、「征韓論」で対立・・。「西南戦争」を起こす人と制圧する人になった。西郷自刃の翌年大久保も刺殺されてしまう・・。
 
暮らし大全:「江戸の三白~米、大根、豆腐」「血湧き肉踊る大相撲」
江戸の人たちの白米の消費量は1日5合だったらしい。1日1回朝に炊いて、朝は暖かいご飯、昼は冷たいご飯、夜は茶漬けで食べるのが定番だったそうな・・。江戸っ子は白米ばかり食いすぎて、脚気になる者が多かったらしい。
江戸の豆腐三名店、根岸の「笹乃雪」・吉原の「山屋」・東両国の「日野屋泡雪」・・今でも食べられるのは「笹乃雪」だけ・・・当時のメニュー「あんかけ豆腐」が食べられる。
当時の懸賞:贔屓の力士が勝つと羽織や煙草盆を土俵に投げ入れたそうな・・。力士はこれを支度部屋に持ち帰り、客はあとで部屋を訪れて品物と交換に力士に祝儀すなわち懸賞金を与えたんだって。
 
偉人・奇人列伝:「安楽庵策伝」
「落語の祖」と呼ばれるが・・高座で落語を演じたわけではなく、「話のオチを使って面白おかしく仏の道を説いた」ことに由来するらしい・・落語中興の祖三遊亭円朝がその名を挙げた浄土宗の高僧。