そろそろスギ花粉の時期・・・、何となく鼻の調子が悪いので、居間に空気清浄機を置いて稼動開始した。寒い日が続く・・早く暖かくなってもらいたいものだ。明後日はゴルフの予定だけど、天気は大丈夫だろうか。ラウンドも練習もご無沙汰なので、いいスコアが出るはずもないが・・。

イメージ 1
「名所江戸百景」今昔:「大はしあたけの夕立」
「おおはし」は今の新大橋だが江戸時代より少し上流らしい。大橋の向こうに見えるのは深川安宅(あたけ)・・・そこは幕府の軍港(船蔵)で大船(木造の軍艦)「安宅丸」が係留されていた。
この絵の構図は欧州の画家に多大な影響を及ぼし、ゴッホもこれを模写した。
風雨の強いときは、男も女も裾をからげて傘を少しすぼめて前かがみに歩いた。
下の図は誌上に紹介されたものではない「安宅丸」の絵。
   
読み解き江戸時代:大御所、逝く「なぜ家康は神になったのか?」
鷹狩りに出かけててんぷらを食って腹痛になり3ヵ月後の元和2年(1616年)になくなったと伝わるが、今では「胃癌説」が最も有力らしい。
神号を「大明神」にするか「大権現」にするかという論争の話は面白い。なぜ日光に祀ることになったのかという話も面白い。
この時期家康のブレーンを務めた二人の僧、天海と崇伝の話も興味深い・・天海が明智光秀と同一人物だったという風説が紹介されている。
イメージ 2
 
街道を行く「旅人が怖れた関所とそのしきたり」、東海道⑤「戸塚宿」
 「入り鉄砲に出女(でおんな」というのはよく聞いた関所の取調べが厳しかった対象だ。女性を調べるために専門の「人見女」という女役人がいて、時には衣服を脱がせて調べたそうな・・・。
戸塚宿は「野次喜多」が最初に泊まったところでも知られる。大山道と鎌倉道との分岐点でもあり、大山の参拝客、鎌倉の観光客も立寄ってにぎわった。

三都&町物語:江戸「吉原」、大坂「今宮戎神社」
当初は葦(よし)が生い茂っていて葦原と呼ばれたが、縁起を担いで「吉」の字に改められたそうな・・。戦後に至るまで江戸(東京)最大の歓楽街だが、歓楽街はどこにでもあって、吉原はその中でも最も「品格」の高い場所だった。最初の登楼を「初会」、二度目を「裏」、三度目になってようやく「馴染み」と呼び、馴染みでなければ床入りはできなかった。だから「性行為だけを求める野暮」は品川宿などに行ったそうな・・・。
「三大えびす」とはこの大坂「今宮戎神社」と、京都の「恵美須神社」、西宮(本には神戸と書いてあるがそりゃないだろ)の「西宮神社」のことで商売繁盛の神様だ。十日戎の日には「商売繁盛、笹持って来い」というという囃し言葉と参拝客で賑わう。
 
日本全国藩事情:米沢藩
2009年のNHK大河ドラマで有名になった初代藩主上杉景勝の家老直江兼続、米沢藩中興の祖上杉治憲(鷹山)などの逸話・・・・
  
暮らし大全「江戸の花形職業、大工の世界」「江戸のペット事情」「商家の家訓に学ぶ哲学」
江戸時代の職人番付で東の大関(最高位)は番匠大工(家大工)だったと言われる。大工は他の左官や屋根職人などを統括する役目も担っていたようだ。
江戸時代にもペットの墓があって戒名まで付けられたものもあったそうな・・。毛並みの美しい犬「狆(ちん)」は大名の夫人や遊女にかわいがられたらしい。そのほか、猫・鳥・虫が飼われた。
 
偉人・奇人列伝「円空」
円空は予知能力を持っていたそうで、飛騨高山で「この国の城は運気が衰えている」と指摘して程なく、高山藩主金森氏は国替えに遭い、城は廃れたという。