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なぜ、たそがれ横丁のメインの看板(入り口ゲート)は京急久里浜の駅とは反対側の川沿いの国道に向かっているのか。その謎は「うな正」(写真)の主人の説明で解けた・・というほどの謎でもないか。

造船産業が廃れてから久しいが、そう言えば浦賀は軍港の町というより、戦後は住友重機の造船所で栄えた街だった。そして浦賀という街は平地が少ない地形という理由からか、いわゆる飲み屋がほとんどなかったそうな・・・。関連産業も含めると10万人レベルの人が仕事をしていて、その従業員たちはバスでやってきて、たそがれ横丁で飲んだのだそうだ。確かに、入り口の向いている方向、平作川には夫婦橋という橋がかかっていて、そこから先車で10分も走れば浦賀だ。この橋のたもとのバス停から、夕暮れ時になると、住友重機関係の人たちがぞろぞろとゲートをくぐってたそがれ横丁に入っていく姿が目に浮かぶ。

「たそがれ」は「黄昏」と書いて夕暮れを指す言葉だが、「盛りを過ぎた末期」という意味もあって、うら寂しい言葉だ。多分、当時は黄昏時にならないと、だあれも歩いていないような横丁だったのだろう。因みに、なぜ「たそがれ」かと言うと、「誰ぞ彼は、と問うような時」ということらしい。

住友重機全盛期との前後関係はわからないが、三崎のほうからマグロ漁船の船員もこの街にやってきて豪遊?したらしい。マグロの水揚げは今でも多いと思うが、漁に出て帰ってきたらしばらくは遊んで暮らせるような、マグロブームはとっくに終わったそうな。確かに三崎で漁労長と言えば羽振りのよいことで知られていた。もちろん造船ブームも終わって、たそがれ横丁は本当にたそがれている・・・。

たそがれ横丁についてはまた取材を試みることにする。今日行って見て気づいたのだが、久里浜のメインの商店街(ハロード久里浜)の唯一の入り口看板(写真)はたそがれ横丁に向かっているのだった。商店街については明日以降書くことにしよう。

仕事:今回の仕事の一次調査4社分が完了した。データの追加がまだないので、週末は別の定期的な調査業務をやることにしよう。
園芸:ポピーの苗を間引くついでに、一部をプランターに移植した。地植えとプランターでどちらがうまくいくのかの実験にもなる。
生活:なにもなし・・・。
ゴルフ:今朝も100球練習・・・。ゴルフ場だけで起きるアイアンの不調の対策は・・・なんとなく感じるが、実際にはラウンドしてみないことにはわからない。多分、スイング前に体が固くなりすぎていることが原因だろうが・・。