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JR横須賀線の久里浜駅は完全なターミナル駅だ。私が新橋や新宿に通勤していたころ、すなわち最近まではこの駅を利用していた。京急、JRいずれも都心に出られるが、この駅を選ぶ理由はただ一つ、「いつでも座れる始発駅」だからだ。始発だという理由のほかに、人気がないという理由も重なる。人気のない理由は「横浜まで時間も料金もかかる」ということだ。それは逗子や鎌倉という相模湾側を迂回してから大船で東海道線に合流するからだ。それと普通電車しかない。それに比べて、京急は最短距離を特急や快特、ウィング号でぶっ飛ばしていく・・。しかし、京急は通勤時間帯は過密ダイヤなので品川、新橋までの所要時間は同じになってしまう。それと、JR東日本も競争区間(たとえば久里浜から品川、新橋まで)は料金を安くして対抗している。そこで長距離通勤の私にはJRがメリットがあったというわけだ。ゆったり座れる1.5時間は苦痛ではなく、趣味や仕事、睡眠のできる書斎と化すからだ。

JR久里浜は前述したように昭和19年4月1日に開業した。このとき横須賀-久里浜間が延伸されたのだ。因みに、私が生まれたのも昭和19年だから、同い年ということになる。昭和17年に京急(現)、19年にJR(現)と、この辺鄙だったはずの久里浜に相次いで駅ができた理由は簡単にわかった。それは戦争推進の国策に他ならなかった。どうもこの辺りは海軍の施設だらけだったようで、戦争の激化に伴い兵員等の輸送力の強化が迫られたようである。久里浜弾薬庫(倉庫)跡は今では久里浜テクノパーク、くりはま花の国などに生まれ変わっている。海軍通信学校跡は今でも自衛隊が使用している。もともと、横須賀は横須賀港、浦賀港という軍港を中心に栄えた町だから、京急(現)浦賀線ができたのもJR(現)横須賀線ができたのも軍需に基づく国策だったのだ。横須賀線(大船-横須賀)開業は明治22年のことで、日露戦争直前のことであって、久里浜延伸と非常に似通った状況だったと言える。

前述のような不人気の理由に加え、国鉄が駅前開発を怠ったため(かな?)、今でもJR久里浜界隈はうら寂しい。目立つのはパチンコ屋(それも電車客をあてにしていない)と市営の駐輪場(これも京急客の利用者のほうが多そう)だけである、駅前(脇)のラーメン屋は入れ替わり立ち代わり店ができるが、成功したためしがない。写真は正面入り口(入り口はこれだけ)と改札口、駅前から駐輪場(正面)を望む風景だ。

出来事(11月2日-3日)
仕事:昨日は2時間ほどやっただけ・・・ぼちぼちでんな。
園芸:昨日たまねぎ(白と赤)の苗を買ってきて植えた。畑の空いているところ2箇所、プランター、トロ箱と総動員して60本近い苗(198円×2)を植えた。妻はビオラを買ってきた。
生活:買い物に行ったついでに妻とジョリーパスタという店で外食。アンチョビとたまねぎのピッツァはあっさりしていておいしかった。
ゴルフ:今日の練習はお休み。