藤田晋のブログから新しいヒントが得られた。
最新のブログの中でインテリアショップ「フランフラン」などを展開する株式会社バルスの経営者高島郁夫と会話したことに触れている。「高島が福井県出身ということは知っていたが、自分と同じ神明小、中央中の出身であることを知って驚いた」と書いている。これまで私は藤田が神明小の出身と推理していたが、これで確定した。
その中で自分が講演した内容の「力の抜きどころの見極めが重要」ということについて、高島が共感して「マージャンでも弱い人は毎回上がろうとするよね」と言ってくれたのだそうだ。
藤田はジョンキムの言葉「三流は、一切頑張ろうとしない人。 二流は、ずっと頑張ろうとする人。 一流は、頑張らないときが分かる人。」に感じ入って、そんな講演をしたと言う。
だから集中力を発揮するタイミングを見計らいつつ、「腰を据えた忍耐勝負の長期戦」に取り組むのだと言う。高島との共通性から「福井県人は我慢強い」県民性を持っていると結論?付けている。
さて砂村新左衛門はどう言っているだろう。まったく同じシチュエーションはないので、「砂村遺訓」の中の類似の言葉を拾ってみよう。力の抜きどころ・・てわけでもないが・・。
当時の成功者は大きな価値観は「死んだら仏になる」すなわち「成仏する」ということであった。「それ人間には上中下三段あり。上の仕合よき富貴の人は遊山奢りに浮かされ仏道に入りがたし。下の人は朝夕の煙を立て兼ね世間に隙なき故にこれまた仏道に入りがたし。中分の人は欲に耽らず貧苦に責められず心正しき故に仏道を願うによし。」と書いている。新左衛門は当時では隠居の年齢になるまで臥薪嘗胆し、60歳代で砂村新田・内川新田の開拓・村創りという偉業を達成した。
人は果てしない欲望だけをエンジンとして動き続けてはならない。
これは福井県人の県民性か、鯖江市民の特徴か、それとも砂村新左衛門の心が伝わっているからなのか。