「とにかくリリースツアー(笑)」
も中盤に差し掛かってきました。

先日は秋田、島根にお邪魔しましたが、
相変わらずの気の置けない仲間達との
セッションはとにかく楽しかったです。

長い事かけて築いてきた信頼関係に起因
する安定感と安心感。
「気の置けない仲間」
と言いましたが、正確には客とDJという
間柄が適当なのかもしれません。でも
例えば500人1000人規模クラスの箱なら
まだしも、オレはニッチな曲を専門にプレイする
スタイルなので、どうしても精々100人規模の
カフェやラウンジ、小箱が多くなりますので
必然的にほぼ知った顔ということになります。
現場で一緒にDJする連中とは
前飲み、打ち上げもする間柄、音楽を真摯
に愛する同士なので、この場合は「仲間」
ってことでいいんじゃないかと。

今週木曜日は大阪ブルックリンパーラーが
オープンするということで手伝いに行きます。
急遽、というか先週決まりました。
レストランなので入場無料ですからぜひ聴きに
来て下さい。気軽なラウンジセットです。

金曜日はそのまま居残り、土曜日は京都。
METRO久しぶりです。
櫻井や田村正樹、沖野好洋くんと一緒ですので
こちらはクラブモードにシフトして、全力で
盛り上げます。



クラウド・ファンディングも目標を大いに上回る
144%を達成しました。みなさんのおかげです。
ありがとう。
昨日から順次発送していますので届くまで少し
お待ち下さい。
パッケージも含め手書きで発送状を書きました。
そういった作業さえ楽しかった。アナログ万歳!

という間にこちらも弊社製品の新譜の発売も
重なっております。
「須永辰緒が遺族と交渉云々~」
とありますが、それは便宜上のことで、正確には
そういったマネージメントをコントロールしている
日高くんとUKのコズミック・サウンドが実務面を
取り仕切ってくれました。感謝感謝。

「Jukka Eskola Orquesta Bossa」(003)
は一部日本録音というマジックを使ったし、それを
日本=フィンランドの友好という雰囲気に位置づけました。

「Reggae interpretation of kind of blue」(002)
は世界初CD化、マイルスデイヴィスの同名アルバム
をそのまんま82年にレゲエ化。カセットテープのみ
流通していたものをアメリカのレーベルがアナログ化。
それを日本だけという約束でCD化したものです。

そんな何らかのドラマ性があるアイテムばっかり
リリースしている弊社レーベルですが、今回も
そんなドラマに負けず劣らず、しかも最優秀な
内容となっています。
「Nada Jovic-Dusko Goykovic Quintet」





録音に至る経緯と謎が交錯する不思議なアルバムです。
内容が恐ろしく格好良いのでぜひ手に取って頂きたく
ちょっと長いですが、小川充さんに書いて頂いたライナー
を一部抜粋して掲載します。
俄然興味が湧いてくると思いますよ。


---------------------------------

ダスコ・ゴイコヴィッチの軌跡を振り返ってみると、彼の活動にはいくつかのピーク期が存在している。1970年代初頭から中盤、ドイツで『As Simple As It Is』、スペインで前述の『Ten To Two Blues』と連作の『It’s About Blues Time』、イタリアで『Slavic Mood』やスライド・ハンプトンとの共作『Jazz A Confront 18』と、次々に傑作を録音した。この頃は紛れもなく彼の充実期にあったろう。1980年前後は母国ユーゴスラヴィアでの録音が多く、ララ・コヴァセフとの『Trumpets & Rhythm Unit』、イージーリスニングに取り組んだ異色作『Adio』が、当時の国営レーベルのRTBに残されている。サラエヴォ冬季五輪のためとなる1983年録音の『Blues In The Gutter』と『Snap Shot』も、こうした時期の隠れた名作だ。これらユーゴ原盤の多くは、かつてであればなかなか聴く機会もなかったのだが、2000年頃よりコズミック・サウンズというレーベルがダスコのカタログをいろいろと再発し始め、そのラインナップで耳にすることが可能となった。しかし、これら1970年代、1980年代の作品、それ以降の円熟味を増した演奏ももちろん素晴らしいのだが、やはりダスコの華々しさと言えば、1960年代中期の録音となるだろう。クラーク=ボラン楽団にも抜擢され、まさに欧州ジャズの黄金期を謳歌していた頃だ。『Swinging Macedonia』がそうした時期の代表作で、サル・ニスティコとカール・フォンタナとの3管で録音した『Belgrade Blues』や、クラーク=ボラン楽団作品であれば『Swing, Waltz, Swing』で、その雄姿を拝見できる。ここに紹介するナダ・ジョヴィッチとの共演作『Take Me In Your Arms』は、表向きは女性歌手であるナダの伴奏を務めた作品だが、1960年代中期のダスコ絶頂期の演奏が収められた裏名盤なのである。

実は、この『Take Me In Your Arms』は長らくお蔵入りとなっていた音源であった。録音は1966年なのだが、2002年に初めてCD化されるまで、誰も耳にしたことがなかった。ダスコ・ゴイコヴィッチがマスターテープを所有しており、それをコズミック・サウンズのオウナーであるジェリコ・カルレタに聴かせたところ、そのあまりの素晴らしさに感嘆し、これは絶対に世に出すべきものであるとCD化された次第だ。なお、ジェリコはダスコと同じユーゴスラヴィア出身で、1990年代後半にロンドンに出てきて音楽制作やDJも行い、コズミック・サウンズを設立した。ダスコに限らず、ユーゴスラヴィアや他の東欧諸国のジャズをいろいろと発掘し、多くの再発も手掛けている。話を戻すが、1966年というのはダスコにとって重要な年だ。『Swinging Macedonia』、『Belgrade Blues』、『Swing, Waltz, Swing』の録音があり、主にドイツとユーゴスラヴィアを行き来して活動していた。このうち、『Swinging Macedonia』はドイツのケルンで8月30日、31日に行われた。録音メンバーはアメリカから渡欧したマル・ウォルドロン(ピアノ)とネイザン・デイヴィス(テナー&ソプラノ・サックス、フルート)、ドイツ人のピーター・トランク(ベース)、オランダ人のシーズ・シー(ドラム)、イタリア人のエディ・バスネロ(アルト・サックス)だった。ちなみに、バスネロは後にイタリアのプログレ・バンド、アレアに参加したことで知られる。このメンバーは個別に顔を合わせたことはあったのかもしれないが、一同に会して一緒に演奏するのは初めてだった。そして、『Take Me In Your Arms』の録音は1966年9月のケルンで、メンバーはこの『Swinging Macedonia』のセッションと全く同じなのだ。つまり、『Swinging Macedonia』の録音が終って数日のうちに、そのままレコーディングに入ったのだろう。『Swinging Macedonia』はフィリップス・スタジオだったが、『Take Me In Your Arms』についてはその記述はない。契約などの問題もあるので、あえて伏せているのかもしれない。

本作の主人公であるナダ・ジョヴィッチについては、ほとんど記録は残っていない。コズミック・サウンズのジェリコも、本作を聴くまでその存在を知らなかったそうだ。それもそうだろう、彼女はこれ以外に一切のレコーディングを行っていないのだから。そもそも彼女は本職のシンガーではなく、バレリーナだった。ナダは1928年5月16日にユーゴスラヴィアのノヴィ・バセイという町で生まれ、生後間もなくして首都のベオグラード(現在はセルビアの首都)に移った。12才でオーストリアのウィーンのバレエ学校に奨学生として入学し、その後ドイツのハイデルベルグ、そしてフランクフルトへと移住する。1949年に母の病気の看病でベオグラードに戻り、しばらくそこで生活していた。当時は国立劇場のバレリーナとして働いており、その傍らで趣味として歌もやっていた。特にジャズが好きだった。ただ、趣味と言ってもその情熱には並々ならぬものがあったという。ほどなくしてナダはアル・コヴィッチという機械技師と知り合い、恋に落ちる。彼もまた大のジャズ愛好家で、国営楽団のRTBビッグ・バンドでトランペットも演奏していた。ふたりは一緒に曲を作り、アルはアレンジを手掛けた。1950年にナダは国立劇場から独立し、アレキサンダー・ネサック・トリオの伴奏で公演活動を行っている。ナット・キング・コールの作品を基にした内容だった。1951年にナダとアルはカナダへ移住し、そこに生涯の住まいを構える。1966年にニューヨークへ出向き、そこでふたりはいくつかの楽曲の歌詞を書き、アレンジを行った。それが『Take Me In Your Arms』の基となるものである。そして、ふたりはケルンへと飛び、かつての友人であるダスコ・ゴイコヴィッチに演奏を依頼したのである。もちろんダスコは快諾し、共同でアレンジも手掛けてくれた。メンバーは前述のとおりで、リハーサルも行わず、一日で録音してしまった。

商業目的のレコーディングではなく、あくまでナダの個人的な愉しみのための記念的セッションだったようで、それで長らく発表もされることなく眠っていたのだろう。楽曲はおなじみのスタンダード中心で、いくつかオリジナル曲も入れている。ほとんどは英語で歌っているが、ネイティヴのアメリカ人ではないので、ややクセのあるアクセント。そこが独特の味をもたらしている。ビリー・ホリデイを祖とする女性ジャズ・シンガーの系譜に基づく歌い方だが、テレサ・ブリューワーのような白人シンガーならではのスタイルがミックスされ、さらにカテリーナ・ヴァレンテのようなヨーロッパのポップ・シンガーからの影響も感じさせる。まさに、この時代ならではのシンガーと言えるのだが、今のステイシー・ケントなどのルーツを見ることもできるだろう。こうした録音が約半世紀も後に復刻されることについては、改めてジャズの歴史を検証する大切な資料であるとの意義を強調したい。ユーゴスラヴィア出身のジャズ・シンガーは極めて少なく、そうした点で非常に貴重な録音であると共に、ダスコ・ゴイコヴィッチの『Swinging Macedonia』のアナザー・セッションが実は存在していたという、欧州ジャズの歴史的にも極めて重要な発見が本作なのだ。『Swinging Macedonia』のジャケットの踊り子には、一体何の意味があるのだろうと常々思っていたのだが、そこにバレリーナだったナダ・ジョヴィッチという存在があったことを考え合わせるのは、想像し過ぎというものだろうか・・・。