残照のオペラ
エピローグ 残照の集い
その後早川宏史は警視庁刑事部の取調を受け、自分たちへのテロ予告文書が彼自身によるものであり、ティム・キャンベルへ自分の殺害の依頼をしたことや、ティム・キャンベルから連絡を受けたシン・黒井がオペラ「残照の孤城」の開演初日に彼と面会したいと言っていることを聞いて、劇場型自殺を図るに至った経緯を自供した。
「しかしあなたがここにいるのは、私たちがまだ証拠集めを完了していないあの時に、私たちの捜査協力の求めに応じたからです」
はいと、早川宏史は身じろぎもせず肯定した。
「なぜですか?あなたの犯行だと私たちは当初、まったく疑いを持たなかった。あの時点であなたが犯行を自供するようなことをするのは、著名な劇作家として社会的地位を築いたあなたの立場を考えると少し解せません」
刑事は眉をひそめ、宏史の顔をじっと見つめた。
「正直に言って、私はあなたが今回の犯行を否定するかもしれないと思っていた。否定されれば我々があなたへの疑念を固めるのに時間がかかり、あなたは当初の目的を果たせたかもしれない」
刑事は抵抗を見せる様子の無い、宏史の静かな顔に問いかけた。
「なぜあなたは急に思いとどまり、私たちの要請に応じたのですか?あなたを翻意させたものは、いったい何だったのですか?」
宏史の瞳がかすかに動き、机ではないどこか遠くを見るようなしぐさを見せた。
宏史は顔を上げ、刑事の顔を見返した。
それは・・・私が思春期の想いにとらわれたままの自分自身に、ようやく決別を告げようと思ったからです。
刑事はしばらく意図を読みかねているのか沈黙したのち、また口を開いた。
「何があったのですか?あなたの思春期に。そしてあの日あの場所で、あなたは何に別れを告げようと思ったのですか?」
宏史は再び目線を落とし、自分の脳裏にある記憶を呼び起こそうとした。
あれはそう・・・あの時に始まったのだと思いますと、宏史は語り始めた。
「なるほど、よくわかりました」
刑事は長い話を辛抱強く聞いて、少し待ってくださいと中座した。
しばらくして刑事は本を持ってきた。
「この『残照劇場』という、あなたの著作である戯曲に、今うかがった話の前半部分が書かれていますね」
宏史はうなずいた。
「第三幕があなた自身のエピソードを基に書かれている。しかし他の二幕の話は、別の人物、第一幕が羽白良平さん、第二幕は桐村優子さんのエピソードだ。あなたは以前に二人と面識があったのですか?」
宏史は少し自嘲気味に答えた。
「そうではありません。実はその元ネタを提供してくれた人物がいたのです」
「誰ですか、それは?」
宏史はネットに小説を書いて一般公開していた、アマチュア作家だと言った。だから本名も知らないと。
「それは・・・いわゆる盗作ですか?ネットにあったものを丸コピして、自分の作品として世に出したのですか?」
「共同出版をしようと最初はオファーしたのです。羽白良平さんの亡くなるまでの話と、桐村優子さんがプロの詩文作家になるまでの話、この二つだけではなく私が両親と死別するまでのエピソードを合わせて、オムニバス形式の小説を共著として世に出そうと」
刑事はしかし著者は早川宏史さん、あなたの単名義になっているじゃないですかと指摘した。
「その人物からのメールで著作権の私への譲渡を言い渡され、好きなように出版していいと言われました。ある謎めいた言葉とともに」
謎めいた言葉?その人物に何を言われたのですかと刑事は問う。
「あなたたちはやがて、出会うだろうと。それが楽しみだからと」
刑事はしばらく渋い顔をして考えた後、再び口を開いた。
「桐村優子さんには、実際にあなたは会っていますね?オペラ『残照の孤城』の作詞監修を依頼することで」
「はい、その桐村優子さんが、羽白良平さんとオペラの初日に出会ったのです」
「あの、良かったらこの後、三人で食事しませんか?」
優子は羽白雅子に問いかけた。
「まあ、嬉しいお誘いありがとうございます。私はビールを飲みたい気分ですから」
優子は勇気を振り絞って誘いをかけたらしく、ホッとしたように笑みをこぼした。
「私の方は、ワインを飲みたい気分です。じゃあ、お酒を飲めるところへ行きましょうか」
「良平は、どうする?」
羽白雅子が車椅子にも座らず、棒立ちになっている息子に尋ねる。
そうだった。大きな病気を患ったというこの青年に、飲酒の席に付き合わせるのは非常識か。
「僕は、ビールもワインも飲んだことないから、飲んでみたい」
「大丈夫なの?」
雅子と優子がほぼ同時に聞き返すと、良平は精気のある顔をほころばせて頷いた。
優子は再び涙ぐんだ。
「その話を後日桐村優子さんにうかがったんです」
「あなたは羽白良平さんには?」
会いましたと宏史はうなずいた。
警察の取り調べが一区切りついたころ、宏史の不在を埋めてオペラの公演を続けていた緑をねぎらうため外食に誘ったら、「ぜひ一緒に食事したい人たちがいる」と言われた。
「それが羽白良平さん?」
「はい、桐村優子さんも一緒に、四人で食事してお話しました」
「こう言っては失礼なんですが、羽白さんがご存命だとは知りませんでした。よく生きていてくれましたね。そしてよく私のオペラを鑑賞してくれましたね」
宏史が涙せんばかりに感謝を述べると、「残照劇場」は買って読んだことがある。自分のことが書かれていて驚いたし、それが知人の文章にとても似ていたのでもっと驚いたと良平は答えた。ずいぶん元気になった様子だった。
その知人の方から、残照劇場の出版をお許しいただいたんですよと言うと、「私のこともですか」と優子が納得した様子だった。
「どういう人なんですか、あの方は?」
「ネットで活動しているアマチュア作家です。小説の題材を募集しているというブログをたまたま見て、こんなことがあったんですよとメッセージを送りました。誰かに聞いて欲しかったんです」
「僕もそんな感じです」
良平は闘病中のことだったので、病室を訪ねて来たその人の取材を受けたのだという。
「よくお見舞いを持ってきてくれたんです」
「そうでしたか・・・」
緑も交えての食事は久しぶりに楽しかった。
「でもあなたは、してはならない過ちをおかしました」
刑事の言葉に、はいと目線を落とす宏史。
「テロリストという反社会的人物とコンタクトし、偽のテロ予告で警察や警備会社をはじめ多くの人を動員することになった。そして警備スタッフの一人が刺傷し、あなたの友人でもある東恭介探偵をテロリストの凶刃にさらした」
申し訳なく思っていますと、宏史はうつむいた。
「送検はせざるを得ない。あなたを起訴するかどうか、検察の判断を仰ぐことになります」
声もなくうなずく宏史。
「取調は以上です」
刑事は記録を取っていた刑事に合図した。もう記録するなと。
「個人的には、あなたの作品は素晴らしい。また見たいと思っています。ぜひ劇作家として、これからも良い活動をされてください」
宏史は目に涙を浮かべてうなずいた。
それは偽りでも演技でもない、宏史の心からの涙だった。
(完)