「どうぞ」
ジョンの母親、メアリ・ロックの水仕事で荒れた手が、熱い紅茶を差し出した。
「ほんとによく、この子をたすけて下さいましたね」
主人のサイモンがかつて勤めていた会社を解雇されるまでの生活の良さを感じさせる、上品なやわらかな口調だった。そしてその目尻には、優しさが溢れていた。勇悟がホッとする、「いいお母さん」だった。
公園で見たジョンのシャイな態度を見て、親の愛情が薄い家庭にいるのでは?といぶかった自分の取り越し苦労に、勇悟は自分で苦笑した。
その優しい笑顔が、苦い表情になって息子の方を見る。
「こんなひどい怪我をするまで喧嘩をするなんて」
「だって、ママ!」
息子の方は心外だとばかりに、最後まで聞かずに反論する。
「あいつらときたら、このパップ(子犬)を殺そうとしてたんだよ?!こんな人畜無害の小さい犬を!」
殺そうとしてたというのは剣呑な言葉だが、あながち誇張とも思えなかった。あの寄ってたかって自分より小さい少年に暴行を加えていた連中ならば、子犬にどれほどの危害を加えようとしたか知れない。エスカレートした児戯が、凶悪な行為に発展しないとも限らない。だが・・・
「お前は向こう見ずなんだよ」
諭すように叱る声には、勇悟も思わず首肯しそうになった。一人で子犬を救おうとして、あんな負傷を負ってしまうとは。勇悟が常人にはない力を使って治癒しなかったら、少年はまともに歩いて帰ってはこなかっただろう。そうしたら母親のメアリはどんな顔をしただろうか。
母親か・・・
勇悟は優しかったころの母の姿を回想した。幼少の頃喧嘩して泣きながら帰った彼を抱き寄せ、母はそっと傷をいたわってくれた。
しかし彼の能力が明らかになったとき、父や母やすべてのものを失ったことを、彼は思い知ったのだった。
「ただいま」
物音と声に、回想が途切れた。ドアが開いて、勇悟はかすかに胸騒ぎを覚える。
「あら、お帰りなさい」
「パパ、お帰り!」
ジョンの父、サイモン・ロックだった。苦労のあとがうかがえる顔に、にこやかで温和な表情を浮かべていた。
「何だ?ジョンはまた派手にやったなあ!」
あざの残る息子の顔を、そっと手で撫で上げる。メアリとジョン三人の声が溶け合って、温かい家庭の色を溢れ出させた。
他人の感情が読める。心が見える。勇悟にはそういう能力がある。だが普段はそのテレパシーという力を、意識して封じていた。他人の心の中から「目をそらす」ようにしているのだ。
だがやはり他人の持っている感情を、無意識に「感じる」ことはままある。感じた感情は冷たい色、暖かい色…色彩に変換されて意識野に浮かぶことも多かった。
今目の前に広がっているのは、狭い部屋に満足な灯りさえ無い質素な生活空間を忘れてしまいそうな、まぶしい幸せな光景だった。文字通り輝いて見えた。
でも、何だろう?
勇悟はどこか気になる影を見出した。そのかげりはサイモンの内側にあるように感じられた。それも何か、特別な意味を持つ影…それが何か、勇悟に胸騒ぎを覚えさせる。だがそれがなぜなのか、少しもわからなかった。心を読む?・・・今はそんな気にはなれない。家族の団欒がそこにあって、無粋なまねをせずにそっとしておきたかったから。
ふとジョンの傍らを見ると、小さな生き物が震えていた。
「ん?どうしたんだ?」
少年は両手で、そっと子犬を抱き上げた。
(5へ続く)