生きるということ。
それは点のようなもので、どこかに在るようで、どこにもない。
そして、死とは、ただその点の終わりではなく、
点と点のあいだにある“何もない空間”――虚無、沈黙、闇。
でもそこに、
一本の線を引くようにして、音が生まれることがある。
たとえば――
千住三兄妹の次男・明さんが、病床の母にララバイを贈ったという話を知ったとき、
その音は、“虚無”に向かってやさしく線を描いたように感じられた。
母が子を想い、そっと唄う子守唄。
それは、生まれたばかりの命を、恐れから守る祈り。
やがて子は成長し、母の声を覚えている。
ふとした時に、思い出すその旋律。
やさしい、あたたかい、ぬくもりの記憶。
そしてある日、母が眠れない夜を迎えるとき。
今度はその子が、母にララバイを贈る。
「おかあさん、どうか、ゆっくり眠れますように」と。
このとき、
ララバイは時間を越えた。
始まりと終わりがつながり、“線”は“輪”になった。
ララバイは、輪廻のようにめぐる。
でも、それはただの繰り返しではない。
ひとまわりして、かならず深くなる。
想いは巡り、重なり、少しずつ澄んでいく。
その回転の中に、
命がたしかに回っている。
死があったとしても、
その“空白”を抱きしめるように、
誰かのララバイが、そっと生をつないでいく。
音のない場所に、
音が生まれる。
見えない“間”に、
想いが満ちてゆく。
そうして、私たちは、
回るようにして、
つながっているのかもしれません。