伊坂幸太郎『あるキング』とどれくらい関連しているのか気になるので読んでみた。34歳にして、シェイクスピア初挑戦。書店員失格!
あらすじ。「王になる」という三人の魔女の予言に心を揺れ動かされ、現在の王を暗殺してその地位を奪うも、王の座を守るため配下を次々に殺していくマクベスの物語。
4大悲劇のひとつとあって、客観的には悪人であるはずのマクベスだが悲壮感が漂う。前王を殺すことへのためらいと、それができない自分を責める言葉の数々。王になってからは、自分が王の座を奪われることを恐れてばかり。マクベスには野心や行動力などなく、その精神の脆さゆえにずっと逃避し続けているように見える。
以下、伊坂幸太郎『あるキング』との比較。『あるキング』は単独で十分に楽しめたが、『マクベス』を読んでみると、その対比としての面白さがでてくる。逆に対比がみつからない部分の印象が薄れてしまうという弊害もあるが。『リア王』も読むべきだろうか。
『あるキング』圧倒的で絶対的な「王」
『マクベス』 暫定的で不安定な「王」
『あるキング』魔女の言葉に影響されない「王」
『マクベス』 魔女の言葉に終始翻弄される「王」
『あるキング』宿命に身をゆだねる悲劇
『マクベス』 宿命に翻弄される悲劇
『あるキング』王であることの悲劇
『マクベス』 王であろうとすることの悲劇
どちらも悲壮感は漂うが、『あるキング』は天才的な野球の能力があるのにそれを生かす場がないという外的な要因でありるのに対して、『マクベス』の悲壮感は後悔、不安、疑心暗鬼という内面の問題が多く、「人間であるがゆえ」の弱さが描かれる。だが、『あるキング』はマクベス的な要素を排除した純粋な「王」という存在を描くことによって、逆説的に「人間とは」という命題を読み手につきつけてくる。主人公の「王」とその周りにいる「人間」との関係性や対比などにより、『マクベス』とは違った角度から「人間であるがゆえ」の弱さが浮き彫りにする。
以下、ネタバレあります。
誰の心の奥にマクベス的な弱さがある。それは、行動が理性より感情に流されてしまうということ。感情に捕らわれたマクベスには自らの行動を決定する意志が失われている。『あるキング』の主人公は、感情がほとんどないように描かれている。その行動は感情からではなく「決まっていること」に黙々と従っているだけ。そんな二人の死の直前の姿はまるで重なって見える。そこで二人は初めて「感情」と「意思」と「行動」が一体となり、宿命から解放される。






