財政赤字が拡大し、雇用が不安定化するのは、発展途上国の経済発展と雇用拡大の結果なのである。だから、先進国の若年労働者は、発展途上国の同じような労働者をやや上回る能力や学歴だけでは、パートか派遣の仕事ぐらいしかならなくなってしまうのである。
グローバル化というのは、世界が「単一市場」に向かう流れだから、労働者の質も均一化に向かう。すなわち、「先進国における労働者の価値が下がる」ということで、ワーキングプアが発生する。たとえグローバルな単一市場がまだ存在しなくても、企業は自由に世界中を物色し、最適な条件のところに進出する。売るにしろ、つくるにしろ、買うにしろ、である。
要約すれば、フリードリマンの言う「フラット化した世界」とは、「グローバル階級社会」のことであり、8、9割の人々が下流化したワーキングクラスを形成し、それを「富と知」を持つ階層が支配する世界のことである。「フラットな社会」が、水平的な平等主義的社会ではなく、垂直的な階級的社会であった、という皮肉である。
「フラット化した世界」とは、グローバルな市場万能社会であり、フリードリマンは、そのトレンドを拡大してみせたのだ。しかしそこには、市場経済はあっても共同体はなく、市場はあっても国家は存在していない。現在では基本的に2つの力が衝突している。国家、政治は、共同体を維持しようとして、グローバル単一市場に抵抗している。市場、経済は、グローバル市場を形成しようとして、国家という共同体を破壊しようとしている。
(中略)
ところがいま、市場原理のみが世界を席捲するならば、人々のよりどころである伝統的共同体(それは宗教、国家のみならず、家族をも含む)を破壊しつくしてしまう。近年、市場原理主義的グローバリゼーションへの反発が高まり、ノーベル経済学受賞者のジョセフ・スティグリッツコロンビア大学教授まで「グローバリゼーションは人間を幸福にしない」と叫びはじめたのは、このためである。
市場原理主義は、じつはそれに拮抗する道徳的価値観を持たなければ、容易に拝金主義に堕落する。拝金主義は一種のニヒリズムである。アメリカでもヨーロッパでも、市場と共同体のバランスを求めようと、人々は苦労している。EUやNAFTAは、その1つの答えなのであるが、日本はどこに均衡を求めようとするのだろうか?
残念ながら、これほど大きな問題にもかかわらず、日本のエコノミストも政治家も、その答を見出そうとはしていない。これは、毎日一生懸命働くフツーの国民にとって、最も不幸なことである。
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