映画で現実がわかるのか、という問いでこの本は始まる。アジア各国の映画から日本の映画の歴史を振り返って、様々な映画を分析し、そこで写しだされている現実を検証する。結論は前書きですでに書かれている。
映画にかぎらず芸術芸能は基本的に現実の美化のうえに成り立っている。美化というと虚偽のニュアンスを帯びてしまうので理想化といい直してもいいが、同じことである。芸術とは現実の美化によってそこに理想を見ようとする行為だということもできるだろう。美化が行きすぎたりそれに馴れすぎたりして安易に感じられるようになってくると、それを壊して、本当の現実はこうだと主張するリアリズムの動きが現れるが、そうして変革された表現方法も、よく考えるとまた別の意味での美化になっていると分かったりして、現実認識と美化との関係は複雑をきわめるが、ごくごく単純にいえばそういうことになる。
映画とは美化された現実を描いているのだから、映画の分析とはどのように美化されているか、そのように美化されたのはどういう文化や意識があるかの検証ということになる。これはもちろんドキュメンタリー映画も同じである。小説の世界でも「リアリティがない」とか「女性が描けていない」などと批難される本が多々ある。ストーリーの整合性がなかったり、登場人物が意味不明な行動をとったときに言われがちだが、単に読み手の価値観と合わないときや、描かれている世界が現実のイメージとズレているときにも使われているように思う。
アジアの悲惨さと撮ることで知られたある写真家から、映画でアジアの現実を知ることはできない、といわれたことがある。しかし逆に、アジアの悲惨さを知っただけでアジアの人々を知ったことにはならないということもまた確かなことである。われわれは彼らの悲惨以上に彼らの自尊心をこそ知るべきであるし、それを知るためには彼らが容姿をととのえて威儀を正したときに丁重にあつかうことが重要である。ただなんとなく親しくなりさえすればいいということではない。彼らの作った映画を見るということには、彼らが容姿をととのえ威儀を正した姿に出会うのに似た意義があると私は思う。
「われわれは彼らの悲惨以上に彼らの自尊心をこそ知るべきである」という言葉に目からウロコが落ちた。自分とは違う文化、価値観を持った人たちを理解するために、彼らの理想に共感することの大切さを著者は訴えている。他にも本書では「面白さ」についても読み応えのある分析がなされている。小説やマンガなど現実を描く芸術全般にも通じる内容で、けっこう面白く読むことができた。
ということをふまえて、以下、ダヴィンチ7月号の特集「ケータイ小説ってどうなの?」にて女子高生4人の対談を一部抜粋。
書いてる人も登場人物も自分たちと近い存在でしょ。会話の中身とかすごく現実に近い。だからのめり込んだと思う。
現実にありえる話だし、登場人物たちに自分の姿を投影できる。共感できちゃう。
私らにいわせると普通の小説家の人って、「今、起こってること」が描けてないような気がするんだよね。
リアルっていうのは、私は知らないんだけど、となりのお姉さんはよく知ってる、みたいな? ホストやキャバクラが出てくるような作品には現実感があると思うし、興味もある。
たとえばさ、すごくかっこいい男の子たちに囲まれる話とか、ある日突然、大金持ちになっちゃう話なんて、現実感はほとんどないんだけど、それでも主人公が私らと同じ女子高生、しかも等身大のキャラだったら、それはそれでリアルなんだと思うよ。
アジアの国々よりも遠い気がして頭がクラクラする。

![ダ・ヴィンチ 2007年 07月号 [雑誌]](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fec1.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F11eY1DPMGfL.jpg)