『不幸になりたがる人たち 自虐指向と破滅願望』春日武彦/文春文庫 | 砂場

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本の感想と日記。些細なことを忘れないように記す。



精神科医の著者が自ら不幸を選んだとしか思えない様々な症例を元に、人間がなぜ不幸へと向かってしまうのかを分析していく。

仏教の故事にならって虎に喰われることを願いつつも、短絡的に近くにあったクマ牧場に身を投げた女性。計画性がまったくなく、どう考えても成功するとは思えない誘拐事件を決行した二人組。葬式代がないからと床下に妻の遺体を放置しつづけた夫。など様々な事件を紹介して、彼らはなぜこのような事件を起こし、不幸な結末へと自らを駆り立てたのか考察する。その理由として著者は心理学的な深層心理の分析ではなく、単なる「面倒くさい」という心理に注目する。

れにしても億劫という心性こそが、人間の行為を不可解にしたり人生を不幸にする大きな要素のひとつなのであろう。殺人犯ですら、死体処理の段階で面倒になってきて、詰めの甘い始末をするから捕まってしまう。ここで手を抜いたら確実に捕まると分かっていながら、面倒臭さに押し流されてしまう。犯人には捕まえてもらいたいという願望、処罰されたいといった無意識の願いがあったのだ、などとまことしやかに解説されることがあるが、真相は「面倒だったから」というミもフタもない理由へと帰着してしまうことがむしろ普通なのである。

ストーカー行為の結末がどうなるのかというとも取り上げている。ドラマや小説やニュースでは殺人や傷害事件、裁判沙汰に発展するなど、過激にエスカレートした上でしか終わりがないように思える。少なくとも何らかのアクションがあり、それによってストーカーの意識が変化して事態が収拾するようなイメージだが、著者の指摘は「ある日、急にストーキングが終わってしまう。それだけ。」とする。「なんとなく」という「ミもフタもない理由」である。
 

僕も含めメディアは事件にストーリーを求めてしまいがちだ。辻褄の合った論理と結末。犯人が浅はかな考えや、感情の赴くままに行動していれば納得するし、そこにトラウマや長年の恨みの理由が見つかれば満足だ。そういうニュースをみることで人は安心する。原因と結末のバランスが取れていると納得しやすい。
だが実際には、信じられないくらい小さな理由で大きな事件が起こる。面倒だからという理由で起こる事件、「なんとなく」で締めくくられる結末。理解不能な事件は、心にモヤモヤとしたものを残し、見るものの心を不安にする。人は不幸には耐えることができるが、不安は耐えることができない。ニュースを見るものの心理としても当てはまるこの感情が、不幸になりたがる人たちの原因でもある。

この過酷な人生を乗り切っていくために、誰もが無意識のうちにいくつかの方策を用意している。
(中略)
ひたすら現状維持を図って不幸をも慣れ親しんだものとし、さながら周囲に擬態した昆虫のように悩みや苦しみの輪郭を曖昧にしてしまうことである。そしてさらにもうひとつは、とにかくこれ以上の危険や不安と対立しないですむように、手っとり早く小さな不幸を具現化させて大きな不幸をやり過ごしてしまおうといった心の働きである。

先日なにかの記事で、過酷な受験戦争の時代よりも、ゆとり教育の時代のほうが自殺者が増えたと指摘するものがあった。「不幸」と「不安」は現代社会を読み解くキーワードなのだろう。たとえば不祥事が多い自○党に政権をまかせることは「不幸」だと誰もが思うが、どうなるのか予測しずらい民○党にまかせるのは「不安」だなと思う。

■春日武彦の本たち


私たちはなぜ狂わずにいるのか (新潮OH!文庫)
新潮社
春日 武彦(著)
発売日:2002-04

ロマンティックな狂気は存在するか
新潮社
春日 武彦(著)
発売日:2000-10

幸福論
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春日 武彦(著)
発売日:2004-10-19



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