メディアがいかに駄目かなんて今さら何をと思う人にこそ読んで欲しい内容。
森巣 多くの人は、ワイドショーでもどんな番組でもいいのですが、あんな番組はくだらないと思って見ています。しかし、自分だけがそう思っていて、自分以外にその番組を見ている人は、そうは思っていないバカだと考えているのですね。多くの人が、同じように思いながら、アホ番組を見ている。その集積が、視聴率を作っているのだと思います。どこかでその連鎖を切らなくてはいけない。
対談形式なので読みやすくて分かりやすい。ここれ書かれているような感覚はぜひ持っておきたいところ。最近のTBSの不祥事とかほんとにもう勘弁してください。
★★★★☆
以下、気になった言葉を引用
森 メディアは絶対に主観からは逃れられない。その環境設定をもっと自覚すべきなんです。その欺瞞性や曖昧性を肌で感じながら、その中であがき続けなければいけないのに、そのあがき続けるという意識が、今すごく希薄になっています。僕が今のメディアに対して感じる一番の危惧は、まさしくこの部分にまずは集約されます。
森巣 森さんの言葉でドキュメンタリーを定義すると、探り当てた人や事象などの基材をメタファーにして、撮影者自らの世界観を構築して提示するということですね。
森 公益性、公共性を謳うのではなく、自らの世界観です。あくまでも主語は複数ではなく一人称単数。個的な思いや主観を表出するのが、僕の定義するドキュメンタリーです。
森 シンポジウムの質疑応答のとき、「あなたは、世界はもっと豊かだし、人はもっと優しいと言っているけれど、だったらなんでこんな殺伐とした世界になったんだ」と質問されたことがあります。「こういう殺伐とした状況だからこそ、優しくて豊かなんですよ」と答えたけれど、わかってもらえなかたようで、お前は甘いと、散々怒られました。
森 主体はメディアではない。ところがメディアに刺激され、同時にメディアをコントロールする世相にも、実は主体はない。つまり互いに従属しながら、主体を喪失している。
森 韓国の軍内部で、新参の兵士に対するシゴキやリンチが問題になったけれど、あってはならないことと怒る人は、戦争を何だと思っているのでしょう。初年兵はいじめるのが軍隊です。捕虜は虐待するし、最前線では、兵士だろうが民間人だろうが、動けばとにかく撃つんです。当たり前のことです。だって戦争なのだから。大騒ぎになる世間が不思議です。大騒ぎするメディアも不思議です。戦争はそれほどに非人道的な
営みです。だからこそ、その前段階で対応していかなくてはならない。起こってからでは遅いのです。
森 被害者という立場は、自分にも起こり得る悲劇です。だからこそ自らの安全に対しての危機意識が過剰に発動して、その不安が加害者とその予備軍への攻撃に転化する。(中略)
森巣 異物すなわち「かれら」を作り上げ、「かれら」排除のダイナミズムが生まれる。
森巣 (引用者注・殺人事件などのニュースとは)被害者への感情移入ではありませんね。一種の自分に対する癒しになっているのではないでしょうか。被害者への蔑みです。おうおう、間抜けが殺された。それに比べてうちは……という。だから妻が夫を殺した場合は、特に詳細に報道される。
森 人を愛しなさいと説く教えを守りながら、ミサイルを撃ち、クラスター爆弾を投下する。この矛盾を埋めるのは、利益や保身だけではなく、やっぱり善意だと僕は思います。
森巣 曖昧なものは曖昧なまま、その答えを自分で考え出そうとしない。曖昧なものに、無理してわかったフリをする必要はない。曖昧なものとして、そのまま放っておいていいんです。簡単な解答を与えてはいけない。
そもそも世界とは、異質なものが混じり合って成立している。森さん流に言うのなら、それゆえ世界は優しいし豊かなのですね。それに対して一元的な理解をしてはいけない。異質なものは、わからなければわからないでいい。
だけど、それを怖がるな。
森 メディアという仕事は、ほとんどが人の不幸をあげつらうことで成り立っている。不幸でなくとも、聞かれたくないようなことまで取材しなければならない場合もあるし、取材方法だって家族には見られたくないようなことばかりしています。そしてその結果、常に誰かを傷つけることで成立しているんです。そのことに対する後ろめたさを持ったほうがいい。それだけは、絶対なくすべきではないと思っている。卑しい仕事なんです。
