読みどころは、へっぽこ詩人ウィリーの暴走気味の弁舌と(前半部分)、忠犬ミスター・ボーンズの冷静で知的な思考と、犬としての本能のままの行動が両立していくところ(後半部分)。
主人公は自称サンタクロースでへっぽこ詩人のウィリーと、飼い犬で言葉を理解できるミスター・ボーンズ。病に体を蝕まれて老い先の短いウィリーは、自分が死んだあとにミスター・ボーンズを養ってもらうために、学生時代に世話になった恩師のいる街へとやってくるところから物語りは始まる。
ワシントンとボルチモアのあいだの道路の端に立つミスター・ボーンズの眼前で、ウィリーがみじめな赤いかたまりを三つ四つとハンカチに吐き出すのを見た瞬間、いっさいの望みが失せたことをミスター・ボーンズは悟った。死の匂いがウィリー・G・クリスマスの身に降り立っていた。太陽というものが、雲に囲まれた、毎日消えてはまた灯るランプであるのと同じくらい確実に、終わりが近づいてきていた。
多弁症のウィリーは意識がある間はずっと喋りっぱなしだ。放浪癖があり、テレビでサンタクロースに啓示をうけて博愛の精神を啓蒙してまわっている。その弁舌は幼稚で下世話で、世界の真実を掴みとろう伸ばした手は、道端の石ころにしか届かずに脱力してしまう。でもそこに変な説得力があったり、なかったりと憎めないキャラである。
真実はだな、友よ。犬は字が読めるんだよ。じゃなきゃ何で郵便局の扉にあんな掲示がかかってる? 犬立入禁止 ただし盲導犬は除く。わかるか、俺の言ってること? 盲導犬を連れている人間は目が見えない、だから掲示を読めるわけがないだろ? で、人間が読めないんだったら、ほかに誰がいる?
そんなウィリーの良き相棒であったミスター・ボーンズ。彼の視点から物語りは語られる。傍からみたら変人でしかないウィリー。犬のなかでは賢いといわれるミスター・ボーンズからみても変人なのだが、同時に自分の信頼する主人でもある。回想することによって、ウィリーとの楽しく充実した日々の記憶と、彼の言葉を深く胸に刻んで生きてゆくミスター・ボーンズ。離れていても心はひとつ。
まるでドンキホーテとサンチョパンサの二人のような珍道中。愛すべきへっぽこ詩人ウィリーと忠犬ミスター・ボーンズはティンブクトゥ に辿りつけたのだろうか。
★★★★☆
■関連図書
この小説はドンキホーテを意識したとポール・オースターも言っているので興味のある人は。
『ミスター・ヴァーティゴ』は文庫になりましたので。


