- 長田 弘
- ねこに未来はない
ぼくは最初ねこが好きじゃありませんでした。
じっさい、まっくらな夜の闇のなかを黒ねこの瞳がふたつ、ピカリと光ってはしるのをみるのは怖かったし、友だちの家に遊びにいっているときなど、とつぜん膝のうえに生暖かい重量がヒラリととびあがってきたときの緊迫した気もちといったら、まるで息のつまるようなおもいがしたものです。
ネコエッセイ。ネコ嫌いだった著者が、ネコ好きの嫁と結婚したためにネコを飼うことになり、いつしか立派なネコ好きの人になっていく。詩人だけあって文章が美しいところも読みどころ。
たった一ぴきの仔ねこが挿入されただけで、ぼくたちと風景との関係というものは、そのかたちをぐるりと変えてしまうものなのですね。(中略)
親ゆびと人さし指をひろげたあいだにきっかりとおさまってしまうほどのちびのチイがちょこちょこ走りまわるたびに、ぼくたちのまえにもまわりにも、まるで雲母が一まい一まいはがれていゆくような、そんな見知らぬ風景の手ざわりがたくさん透きだされてくる奇妙に明るい感覚が生じるのでした。
この感覚はネコを飼ったことのあるネコ好きの人たちは理解できるだろう。詩人・長田弘はネコ好きの素人からネコ好きの玄人になっていき、最後のあたりにはこんな言葉がでてくる。僕はねこ好きだけど、何もわかってないということだ。ネコ好きの道は手ごわい。
ねこだけは飼ってなければ何もわかっていないに同じなのだ。むかし飼ったことがあるというのではいけないし、飼いたいとおもっているだけでもだめなのだ。現にいま、飼っているというのでないかぎり、だめだ。それほどねこという動物は現在的な、あまりに現在的な動物なのだから。