- 立花 隆
- 「知」のソフトウェア
新書を読むと決めたもの、どのジャンルから読むか悩む。とりあえず今後読む本のための準備体操の意味を込めて、読書論系の本を何冊か読んでみることにする。このジャンルで今まで読んだのは斉藤孝『読書力』と呉智英『読書家の新技術』の2点。
本書は読書論というよりは、情報のインプットとアウトプットについて書かれていて、情報整理が主な内容だ。こういう本を読んでも実践できないから意味がないんだよなあ、と買うかどうか迷っていたら、あとがきにある次の一文で買うことを決めた。
最後にもう一度述べておくが、本書の内容を一言で要約すれば、「自分で自分の方法論を早く発見しなさい」ということである。本書を含めて、人の方法論に惑わされてはならない。ということで気楽に読んだ。
呉智英『読書家の新技術』を読んだときもそうだが、他人の本の読み方を知るのは本好きの僕にとって興味津々。いいとか悪いとか関係なく、読んでいて楽しい。立花隆は天才系の人だと思っていたが、買った本は机に積んだほうが読まなくてはいけないというプレッシャーになるからいい、といった事が書かれていて、なにやら親近感がわいた。
情報整理法など個人的に必要がないので流し読みした所も多かったが、ページの端を折ったところはかなり多い。基本的なことかも知れないが、こういった本を読むのが始めてなので、とても勉強になった。軽く読めるけど適度に読み応えがある内容。思惟能力の本体は無意識下にあるという話は内田樹のブログ でも書かれていて、なるほどと思う。
以下、気になった箇所のメモ。
第1章 情報のインプット&アウトプット
本というのは、一ページ目から読みはじめて、最後のページまで読むものなのだ、というような固定観念は捨てることである。(中略)何より重要なのは、自分が何を必要としているのかを明確に認識しておくことである。(中略)
(索引も見出しも無い場合)各ページを読むわけではなくサッと目を走らせるだけでよい。不思議に必要な情報があるところには自然に目が止まるものである。(中略)もちろん、こういう方法で目を通すだけにする文献は、重要度ランクが低いものにかぎる。
(「目的先行型の読書法」より抜粋)
第5章 入門書から専門書まで
市民の読書生活において図書館が中心的役割を果たすべきだなどという人がいるが、私は大反対である。公営の無料の大食堂をあちこちに作って、そこを市民の食生活の中心にすべきなどというバカげた意見を唱える人は共産圏でも少ないだろう。読書は精神的食事である。
(「まずは書店めぐりから」より抜粋)
入門書を一冊読み終わったら、ただちに中級書にすすむような乱暴なことをせずに、別の入門書を手に取るべきである。なるべく一冊目とはちがった角度から書かれた入門書がよい。同じ世界が視点を変えることによって、かくもちがって見えるものかということがわかるだろう。(中略)
一冊の入門書を三回くり返して読むより、三冊の入門書を一回ずつ読んだほうが三倍は役に立つ。
(「入門書の選び方と買い方」より抜粋)
これは読んでいて大事と思うところは、線を引いたり、ページを折ったりして目印をつけておくとよい。本は消耗品と心得、ケチケチせずに汚しながら読むべきである。
(「初めからノートを取るな」より抜粋)
第6章 官庁情報と企業情報
一つ一つのデータは全部正しいが、そのデータ全部をもとに判断を下すことは正しくないということがよくある。(中略)そこに何が書かれているかではなく、何が書かれていないかをよくよく考えてみることである。
(「官庁の情報操作」より抜粋)
第7章 「聞き取り取材」の心得
最も大切なことは、自分がその相手から聞くべきことを知っておくことである。(中略)
私にいわせれば、これ以上に本質的に大切なことは何もなく、あとは大部分が瑣末なテクニック論である。
(「聞くべきことを知っておくこと」より抜粋)
人にものを問うということを、あまり安易に考えてはいけない。人にものを問うときには、必ず、そのことにおいて自分も問われているのである。
(「質問のカテゴリーを「区別する」」より抜粋)
良質でない文学、心理描写が常套句だけでできているような安っぽい大衆小説などは、読めば読むだけ内面的想像力を養うのに逆効果である。
(「内面的想像力」より抜粋)
第8章 アウトプットと無意識の効用
頭の中で考えがまとまっていく過程そのものについては何も方法論がない。(中略)
考える素材となるものをあれこれ頭の中に詰め込んだら、あとは頭の中で何か考えが熟して、人に伝えるべき何事かが出てくるのを待つしかない。何もでてこなかったら、それで終わりである。(中略)
貧しい頭を持って生まれた我が身の不幸を心ひそかに嘆くにとどめて沈黙を守るのが一番よい。
(「頭の中の発酵を待つ」より抜粋)
無意識に記憶されているものは、読んだり書いたり、聞いたり話したりするときに、自然に意識の上によみがえってくる。(中略)
記憶能力のみならず思惟能力もまた、その本体は無意識下にある。いずれにしても、人間の知的能力の増進の要諦は無意識の能力を涵養することにあるのであって、何やら意識的な小手先のテクニックを覚えこむことにあるのではない。
(「無意識下の能力の涵養」より抜粋)
第9章 コンテ型と閃き型
鮮烈な体験を書くことは誰にとってもさほど難しいことではない(もちろん出来、不出来は別である)。誰でも一生に一作はノンフィクションが書ける(実際、ノンフィクションの傑作には、プロの書き手ではない人が書いた一生一作の作品が多い)というのはその意味である。誰でも一生に一つくらいは鮮烈な体験を持っているものだからである。
(「ユーレカ欲求」より抜粋)
第11章 文章表現の技法
文章を要約すれば文体は消えるが情報は残る。
(「文体は衣装にすぎない」より抜粋)
難解な文章をありがたがる人が世の中には結構いるものだが、そういう人を問いつめてみると、たいていわからないからありがたがっているのであって、わかってありがたがっているのではない。(中略)
「語り得るものは明晰に語り得る」のである。難解な文章の筆者は責められるべきなのであって、誉められるべきではない。
(「読者の共有知識」より抜粋)
世の中に完璧な論旨などというものは存在しない。どんな大著作にも反論を書こうと思えば書けるものである。むろん勝ち負け、つまり説得力ある反論となるかどうかは別であるが。
(「充足理由律」より抜粋)