「河出文庫はどこ?」と、お客様に聞かれたので笑顔で案内する。僕が文庫担当になってから、河出文庫とちくま文庫の棚を増やしたので、これらを聞かれると僕はとても気分がいい。僕は澁澤龍彦が全巻ずらりと並んだ棚の前に立つ。
「こちらが河出文庫の棚になります」
「・・・違う」
「はい?」
「こんなんちゃうねん。コンビニとかに売ってるやつや」
「えーっと、あっ、河出夢文庫ですね。ちょっと置いている数が少ないですけど」
と言いながら雑学の方の棚に案内する。そういえば河出文庫という雰囲気のお客様ではなくて、どちらかというと競馬雑誌やプロレス雑誌を立ち読みするタイプにみえる。気を取り直しつつ、裏側の棚の河出夢文庫が置いてあるあたりに到着。
「これぐらいしか置いていないんですが、お探しのタイトルはありますか?」
「・・・ないな」
「お時間はかかりますけど、お取り寄せはできますが」
「・・・なんで置かへんねや」
「 はい?」
「あんなコンビニとかで置いてる本のほうが売れるやろ、もっと置いたらええやないか」
酔っているかと思ったが、お客様の顔は素面だ。
「すいません。勉強不足でして。ちなみに、どういった内容の本をお探しでしたか?」
「・・・なんで、コンビニにあるような本を置かへんねや」
内容を聞きだして、同じような本で誤摩化そうという僕の目論見は黙殺され、しかたなくコンビニと書店の流通の違いと、客層の違いからくる品揃えの差について説明。最初は喧嘩を売られているのかと思ったが、ただの素朴な疑問だったようで、お客様が意外に聞き上手なのもあり、どんどん話が盛り上がってくる。
「そうなんや、コンビニ用の廉価版コミックなんかあるんや」
「はい。もちろん書店でも取り寄せはできますけど、配本はないです」
「そういうのも置いたらええんちゃうんか」
「まあ、それなりに売れるとは思いますけど、やっぱり書店に求められている品揃えとコンビニは違いますので」
「何年か前に書店はめっちゃ倒産してるって聞いたで。置いた方がいいんちゃうんか」
「確かに倒産する書店はまだまだ多いですけど」
と、話題が終わりなき方向へと突き進んでいるところで、僕は近くにいる年輩の女性のお客様が何やら小声で呟いているのに気づく。
「ほんま、しつこい男やな」
「それぐらいに、したったらええのに」
「どんだけ聞いたら気が済むねん」
どうやら僕がお客様にからまれていると思い(確かに最初はそんな風だったが、この時点では楽しく喋っていた)、かなりご立腹な様子。小声だから気づいていないが、もし聞こえたらお客様どうし喧嘩になりかねない。僕は女性のお客様の声が掻き消されるように自分の声の音量を上げ、なおかつ、からまれているのではないとアピールするためにフレンドリーな雰囲気をかもしだそうと神経を使いつつ話を続ける。
「そうか、そんなに新刊がでるんか」
「そうなんですよ。出版社は一点あたりの売り上げ部数が減ってるのを、新刊の数を増やして誤摩化してる感じですね」
「確かに、ここじゃ置ききれないよなあ」
「ですねー。昔でしたら、うちぐらいの規模ならなんとかなりましたけど、今はきついですね。新しく入ったぶん、今ある本を返さないといけないんで、全てのお客様に納得のいく品揃えというのは」
僕としては仲良く喋っている空気をつくっていたのだが、隣のお客様には伝わらないようで、まだ小声で「しつこい男や」などと悪態をついている。これは危険すぎると思っていると、そのお客様がとつぜん僕に話しかけてきた。
「ちょっとお兄ちゃん、このシリーズの続きってまだててないの?」
僕が振り向くと、あきらかに「助け舟をだしてあげた」という笑顔。お客様に断ってから(基本的にいい人だったので、心よく快諾してくれて、そのまま店をでていった)、シリーズの続編の新書を持っていく。笑顔で待っていたお客様は「まだ文庫にはならないのね。文庫になってから買うわ」と言い残し、意気揚々と帰っていく。自動ドアをくぐるその後ろ姿に、僕はいつもよりも少し音量を大きくして「ありがとうございました」と声をかけた。