お山の妄想のお話です。





玄関のドアを開けると良い匂いがする。

スパイシーな香りで夕飯がカレーだと容易に

知れた。


「ふふ、今年もなんだね」


弟達が家を出てから毎年2月14日の献立は

カレーだ。

はじめはバレンタインにカレーでも気にはし

なかった、それよりも今年こそチョコをくれ

るんじゃないかと期待が勝っていたから。


しかし毎年惨敗……

チョコをくれる気配さえない。

でも仕方無い事だとも思う、なぜなら俺の好

きな人は兄だから。


長い間一途に想い続けたのはいち君

舞駕家5人兄弟の長男だ。


早くに母を亡くし父も海外へ単身赴任で留守

という環境で、いち君は必死に幼い弟達の面

倒をみてきた。

俺も協力はしたけど、いち君の苦労は並大抵

じゃなかったはずだ。


そんないち君にこの想いは負担でしかないと

理解していたから告白はしなかった。

でも長い間一緒にいるとお互いの気持ちがわ

かってくるんだ。

表情や仕草、誤魔化しきれない感情の揺れな

んかでね。


そしていつしかお互いの心が通じ合っている

のを感じた。言葉にしてはいないが俺達は相

思相愛なんだ。

兄弟という立場上普通の恋人達のようには振

る舞えない、でもほんの少しのエッセンスが

欲しい。


例えばバレンタインに小さなチョコを貰うだ

けで俺は幸せになれる、そしていち君の想い

を実感できるんだ。

期待しては毎年涙で枕を濡らす結果だったけ

どね。


でもある年のバレンタインに、いち君が内緒

で俺にチョコをくれていたとを偶然知ってし

まった。


***


その日は出先からの直帰で何時もより早く家

に着いた。玄関ドアを開けるとスパイシーな

香りがして夕飯はカレーだとすぐわかった。


匂いに誘われてキッチンへ向かうといち君の

鼻歌が聞こえてきて、俺の出現によって美し

いメロディーが途切れるのが嫌だったので気

付かれないようにそっと覗いたんだ。


見えたのは機嫌良くお玉で鍋をかき混ぜる姿

カレー作りにハマっていた時期で、会心の出

来で上機嫌なんだなとほっこり見ていると突

然何かを思い出したように『あっ!』と声を

あげ買い物袋の中を探り始めた。


「あった~、ヤベェ忘れるとこだったぁ

これ忘れたら今日カレーにした意味ねー」


ホッと息を吐きながら取り出したのは板チョ

コ。


「バレンタインカレーの隠し味はこれしかな

いもんな」


言いながらパッケージを開きパキパキとチョ

コを折り幾つかの破片を鍋へと落とした。


「美味しくなぁれ~♪美味しくなぁれ~♪

恋の板チョコ、コクを出せ♪」


くるくると鍋をかき混ぜ楽しそうに歌う、

そんないち君から目が離せない。

可愛いのは当然だが自作の歌詞が気になって

しかたがなかった。


恋の板チョコって今入れたやつ?

もしかしてこのカレーはいち君にとってバレ

ンタインチョコの代わりなの?それを毎年俺

だけに食べさせてくれていたってこと?


「………じろ、旨いって言ってくれるかな」


恥じらいながらの一言で仮定が事実となる、

いち君は俺のためだけにチョコ入りのカレー

を作っていたんだ。

それを秘密しているのはやはり兄弟という柵

のせい……


そんなもの打ち壊してしまいたい。

世間からどう思われようがかまわない、俺は

とうに覚悟が出来ている。

でもいち君は違う……

覚悟も出来ない腰抜けなどじゃなく、自分の

気持ちを殺してでも俺に明るい道を歩ませよ

うとしている。

女性と結婚し子供を授かり世俗的な人生を送

って欲しいと本気で思っているんだ。


俺が心変わりなんてするわけないのに…

信頼されてないように感じ凹んだ時もあった

けど、いち君は絶対に諦められないから奮起

した。まだまだ一人前には遠いけれど、いつ

か必ず如何なる事からも愛する人を守り慈し

む強い男になるんだと。


「うおっ?!ヤバッ肝心な米炊いてねー」


嬉しさとほんの少しの切なさを噛み締めてい

るとキッチンが慌ただしくなった。

いち君があちこち動き回り、覗いているのを

気付かれそうだったのでソロソロと後退し家

から出た。

そして数分後何食わぬ顔で再び家に入ったんだ。


***


「ただいま、凄くいい匂いだね」


懐かしいことを思い出しながら、キッチンで

夕飯の支度をするいち君に言うと得意気にニ

ヤリと笑った。


「今日のカレーは渾身の逸品だからな、超う

めえぞ」

「へー、どうちがうの?隠し味がいつもと違

うとか?」

「まあな、普段はコーヒーだけど今日は別」

「気になるな、何を入れたの?」


隠し味がチョコレートなのは知っている。

だってバレンタインのスペシャルカレーだか 

らね。でも俺がそれを知っている事は隠す、

来年からチョコが入らなくなったら悲しいも

の。


「へへっ、内緒」

「なんだよそれ、教える気ゼロじゃん」

「まあな、隠し味は隠しとかなきゃ」

「隠し味ってそう言うものなの?!」

「おいらにとってはそーなの」


いち君にとって隠し味は『隠しておきたい想

い』なんだね。

まだまだ俺が未熟ってことかな。


「でもいつかは教えてくれるでしょ?」

「う~ん、どうかなぁ……」

「はは、謎のままとか勘弁してね」

「……それも面白いじゃん」

「いいや、駄目。絶対教えてもらうから」

「何だよ、こんなことでムキきになんなよ」

「俺、いち君が思うよりずっと気長に待てる

からさ」

「はあ?!意味わかんねー」


『待つ』という言葉の意味をいち君はわかっ

ていない、でも今はそれでいい秘密のチョコ

入りカレーでいいんだ。


でもいつかは本物のチョコレートをあなたか

ら貰いたいな。


その日が1日でも早く来るように、あなたに

信頼される男になるべく邁進します。







お恥じ






つーか、じろ氏はバレンタインに

いちくんにプレゼントせんのかいっ!

海外では主に男性からプレゼントを

渡す日じゃぞいw



いち→在宅ワーカー

じろ→商社マン

さぶ→会社員(転勤中)

しろ→ゲーム系専門学校

(寮生)

ごろ→海外留学中

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