お山の妄想のお話です。
翔
人からは順風満帆の人生だと思われている。
父は官僚、母は大学教授、そこそこ裕福な家
庭で有名大学附属校で学び卒業した。
そして外資系の企業に就職、若くして社運を
賭けたプロジェクトに参加し成功させる…
他人は『流石エリート』などと褒めそやすけ
ど皆わかってない……
それは俺の血の滲むような努力があって成し
遂げたことを。
どんなに頑張っても『家』の功績になり
『父親が……』『母親が……』などと言い誰も
実力だと認めてくれない。
俺は何なんだろう………
『家』のおかげで就職でき、生活もしている
穀潰しか?
どんなに頑張っても誰も認めてくれない、こ
んな人生意味があるんだろうか……
葛藤しながら日々を過ごしていたが、ある時
限界を迎えた。
それは職場の先輩の一言だった。
『俺もお前みたいな名家の生まれだったら良
かったなぁ、そうしたら大した努力もしない
で昇格できるもの。やっぱり家柄って大事だ
よな』
親しくしていた人だった……
そんな人でさえ俺を色眼鏡で見ていたなんて
とてもショックだった。
近しい人の認識でさえそうなら全てが無駄だ
と感じたんだ。
それからは今まで通り仕事はこなすが、人と
の間に距離を置くようになった。
関わりが浅ければアレコレ言われないから傷
付くことも虚しくもない……
言い寄ってくる女性達も俺自身ではなく肩書
きに興味があるのだと思うと付き合う気もお
きない、だから長い間一人きりで過ごしてい
た。
最初はそれが楽だと感じた、でも孤独は徐々
に精神を破壊し情緒不安定になっていった…
少しの事で苛々したり、急に哀しみに襲われ
恐怖したり、鬱のようになったりも……
自分には癒しが必要なのだと痛感した
心を穏やかにしてくれるものが必要なんだ。
ペットを飼うのはどうかと思ったが、多忙で
留守がちなので無理だろう。
ならば趣味を作るのはどうか。
すぐに浮かんだのは写真、自然の中で美しい
ものに触れれば心も浄化され安らげるだろう
思い立ったらカメラが欲しくなった、
最新式なデジカメではなくフィルムを使うも
のがいい、ノストラジックな物も心が落ち着
くはずだから。
すぐに専門店を調べ帰りに行くことにした。
**
普段来ることもない駅から出ると、そこは
レトロな感じの商店が軒を並べていた。
オフィス街とは違いゆったりとした時間の流
れを感じ心が洗われるようだ。
いつにない安らぎの中、目当ての店に向かう
途中であるものに目が留まった。
それは昭和モダンな外観の古書店の中にある
一冊の本。
濃い茶色など暗い色の背表紙が並ぶ中、それ
だけが美しい青だったので目立ったのかもし
れない。古書など興味はないが妙に気になっ
たので見てみることにした。
店に一歩踏み入れると古い紙の香りがして、
本を傷めないために照明を落とした空間は居
心地よく感じる。
本棚の前まで行き周りを見たが、立ち読みを
禁じる張り紙はないので内容を確かめようと
手に取った。
表紙に英字の金の箔押し、中も英文字で綴ら
れた洋書。少し読んでみるとどうやら恋愛小
説のようだ。
恋愛………
一番自分から遠いもの、まだ哲学書の方がま
しだ。残念だが必要ない。
あった場所に戻そうとした時、並んだ本と棚
板の間から見えた光景に釘付けになった。
それは店の奥の帳場に座り、デスクライトに
ぼんやり照らされた人物……
頬杖をつき物憂げに手元を眺めている。
伏し目がちだが顔の造形は整い、おっとり
のんびりとした雰囲気があった。
なぜかその人から目が離せない。
美しさもあるけど見ているだけで癒されるよ
うな感覚だったから。
荒れた心が和み、ほっこりと温かくなるよう
で時間を忘れ隙間から盗み見ていた……
そんな中、静かな空間に着信音が響きハッと
我に返る。自分のしていたことに戸惑い、
彼が電話を取るのと同時に見つからないよう
逃げるように店から出た。
盗み見ていたことの決まりの悪さ、見惚れて
いたのを気付かれたくない焦り、目が合った
らどうしようなどの困惑が混ざり形容し難い
複雑な気持ちだったんだ。
しかし店から離れながらも考えるのはその人
物のことだった。
見ているだけで和み癒される名前も知らない
綺麗な人、もう一度会いたい……
その日から幾度となく古書店に通うことにな
った。自分の都合などで曜日も時間もまちま
ちで目当ての人がいないこともあったけど、
姿が確認出来た時はあの青い本を読むふりを
しながらずっと見つめていた。
何度も何度も通ううちにようやく自分の気持
ちに気付いた、恋をしているのだと。
近くに行き話してみたいという気持ちも芽生
えたが、人との接触を避けていた時間が長す
ぎて臆病になり勇気が出なかった。
まるで初恋に戸惑う子供みたい、情けなく思
ったけど急いては事を仕損じると考えた。
今の人間味のない俺ではなく本来の姿で親し
くなりたい。
それにはもう暫く時間が必要だと思っていた
矢先、海外へ出張に行くことになった。
彼に会えなくなると渋る気持ちもあった、で
も家柄ではなく個人を評価する外国で働くこ
とで自信がつくと考え、柵が消え自信がつき
元の自分に戻ってから会いに行こうと決めた
海外にいた二ヶ月間、激務だったけれど相応
の自信もついた。
今の自分であれは物怖じなく話し掛けられる
と自負し、帰国してすぐに店に向かった。
話し掛けるきっかけはあの青い本。
あれを買うためにあの人の所へ行くんだ。
そして然り気無く声をかけて……
プランを立てウキウキしながら通いなれた道
を辿る。
しかし目的地にあの人の姿はなかった……
というか、古書店があった場所は貸し店舗と
なっていて愕然としたんだ。
「嘘だろ………」
あの人、『ブルーカバーの君』にもう会えな
いなんて………
潤
「というわけで、依頼しに来たんです」
目の前でニコニコ話す幼馴染み、その隣には
悲壮感を漂わせた依頼主がいる。
「人探し、でいいんだな?」
「そうです。彼曰く『ブルーカバーの君』
の捜索をお願いします」
「ブルー……って、名前はわからないの?」
「ええ。なんなら年齢もね。わかっているの
はアルバイトってことだけ」
「古書店だっけ?店名は覚えてる?」
探し人の情報は皆無、ならば経営者に訊くの
が最も早くて的確だ。
今回は楽勝だなと内心ニヤつき、肩を落とし
俯く依頼主に尋ねたが力無く首を振る。
「店名はなかった」
「は?ないって?」
「ただ『古書』という看板があっただけで屋
号は見あたらなかった…」
見落としじゃないのか?
と思ったが、確かに世の中には何らかの理由
で店名を出さずひっそり営業している店は
ある。
「そっか、でも最寄駅がわかっていれば聞き
込みが出来るから安心して」
エリアがわかれば大丈夫。
情報は足で稼げとあるし、近隣の店を片っ端
から当たればなんとかなるはずだ。
商店街なら組合もあるだろうし。
「……聞き込みはした」
「えっ?あなたが??」
「ああ。どうしてもあの人の居場所が知りた
くて、隣の店から順に次の駅までの間を……
でも店主のことも含め誰も知らなかった」
「マジで?!あんた凄いな」
俺ほどの探偵なら狭いエリアで聞き込み、情
報が得られなければ別の方法に移行する。
けれど素人の依頼主は限度がわからなかった
んだろう。そこまで思い入れのある相手な
ら、なんとしてでも見つけてやりたい。
「まだ手はあるから安心して、周辺で情報が
ないなら同業者に訊けばいい。古書店は個人
経営が多いから情報交換もあっただろうし。
とりあえず近い場所から電話してみる」
周りと付き合いがないなんて店主は変わり者
だったんだろう、予想に外れ手間が掛かりそ
うだ。
「潤君が一人で電話するの?店主を知ってる
人に辿り着くまで結構かかるかもよ?他の仕
事は大丈夫なの?」
この案件は飛び込みだったので幼馴染みは心
配みたい、他に浮気調査を抱えてるのを知っ
ていたからだ。
「あっちはもう終わるし、電話はバイトにも
手伝わせるから平気だよ」
「バイト雇ってたの?初耳だな。ここ結構儲
かってるんだね」
「何でも屋と兼業でぼちぼちだけどな」
「余裕があるなら劇団を援助してよ」
幼馴染みは心配顔から一変しニヤリとした。
昔からおねだり上手なニノ、でも俺には通用
しない。
「ニノにはスポンサーがいるじゃん。それだ
けで十分だろ?」
「それって相葉さんのこと?だとしたら見当
違いだよ。しがないバーテンダーだもの」
「実家は金持ちじゃん」
「実家は実家、あの人はあの人です。だから
劇団はお金ないの。でも私の紹介で潤君がブ
ルーカバーの君を見つけてくれればこちらの
櫻井さんが出資してくれるんです。劇団の運
命はあなたの肩にかかってます」
「マジ?なんだか責任重大だな」
「潤くんなら必ず探しだしてくれると信じて
ますから」
「プレッシャーかけんなよ。まあ、期待に添
えるように頑張るけど」
「お願いしますね♡」
全幅の信頼を寄せられ悪い気はしない。
大切な幼馴染みの期待を裏切らないために
最善手を尽くそう。
まずは電話での聞き込みだ。
区内の同業から初め、有力情報がなければ
都内全域まで広げる。
古書店の軒数はわからないが智と手分けすれ
ば何とかなるだろう。
「期日は?早い方がいいよな」
「そりゃそうです。より早ければ報酬の増額
も有り得ますよ!ね、翔さん」
「嫌な言い方だが金に糸目はつけない。なる
べく早く頼む」
依頼主はそう言い頭を下げた。
大金をかけてまで一目惚れ?の相手を探すな
んて情熱的な人だな。
イケメンで高給取りだし、きっと見つけた後
は相手と上手くいくだろう。
「任せてください、即座にとりかかります。
契約書に記入をお願いします」
差し出した書類に目を通す依頼主を見ながら
仕事の流れを考えた。
先ずは智に至急来るよう連絡してその後は分
担して電話しまくる、とりあえず出来るのは
それくらいだな。
あ、でもあいつ掛け持ちのバイト入ってたら
どうしよう。
そこで智が以前古本屋でバイトしていると言
ってたのを思い出した、もしかして情報があ
るかも?
いや、あいつぽや~としてるから望み薄だ。
仕事中にボンヤリしていて怒られている姿を
想像し笑っていると、書類を書き終えたイケ
メン依頼主に呼ばれた。
「松本君、実はブルーカバーの君の画像があ
るんだ……」
「あるんですか?!それは有益です、見せて
もらえますか?」
「……写りが悪いけど」
渡されたスマホの画面は薄暗く棚と本の隙間
から撮ったようで被写体が小さく見にくい。
盗撮だとバレバレだが、ばつが悪そうにして
いたので言及しなかった。
それより手がかりの方が重要だ、ターゲット
を知る人に見せれば当人か別人かわかる。
イケメンを夢中にさせるほどの美人に興味も
あり画像に目を凝らした。
「………ん?」
なんだか知り合いに似てるような?
最初は見間違いだと思ったけど本人のように
も思える。もっと良く見るために画像を広げ
て絶句した。マジか…
「あの……本当にこれがブルーカバーの人?
間違いなく?」
「ああ、探してる人に間違いない」
「これ……男ですよね」
「そうだけど、男じゃ駄目なのか?」
「一応確認しただけです」
美女を期待していた俺はガッカリし、そして
報酬が気になった。
「あの~、この人見つけちゃったんだけど報
酬ってどうなります?」
「えっ?まだ何もしてないのに何言ってるの??」
「ふざけてるのか?」
ニノは怪訝そうに、依頼主は腹立たしげにこ
っちを睨む。
まだ捜索は手付かずだから『ふざけてる』と
言われても仕方がない、しかしターゲットを
見つけてしまったのも事実だ。
「決してふざけてないです。ただどうやら俺
の知り合いみたいで」
「本当に??だとしたら凄い偶然!」
「ああ、俺も驚いたさ」
「だから報酬の事訊いたんですね」
「実際まだ着手前だから、いただけたとして
も相談料くらいか…」
雀の涙ほどの相談料だが無いよりましか…
大口だと喜んでいたのに残念、ビジネスな
のでやむなしだ。
「あちらの都合が良ければすぐにでも呼び出
すことは可能ですが」
翔
急展開に驚きを隠せない。
まさかこんなに早く見つかるなんて……
会いたい気持ちは嘘じゃない、だけどこんな
にあっさりだと心の準備が追いつかない。
それにいざ会えるとなったら情けなくも怖じ
気が出てしまった。
「待ってくれ。今すぐはちょっと…」
あの人に会ってなんて言えばいい?
古書店で見かけて恋に落ちました?
あなたに会いたくて店に通い、声を掛けられ
ずただ見つめていました?
突然店が無くなって、探してもらうために
この探偵事務所に依頼を……って?
駄目だ……
これじゃストーカーじゃないか、完全に引か
れるわ。あの人は俺の存在を知らないし、そ
んな奴が愛の告白なんてしたら気持ち悪がら
れるだけだろう。
必ず彼と幸せになりたい。
それにはどんな手順を踏めば良いのか……
考えすぎてパニックになりかけていると、ニ
ノがニッコリと笑顔を見せた。
「困ってるみたいですね、私でよけれぱ手を
貸しますが?」
「手を貸すって……具体的には?」
「そうですねぇ、壮大なラブストーリーを提
案しましょう。お相手もあなたに恋をする
ような」
「……それは可能なのか?」
「勿論です。それには翔さんの頑張りと潤君
の助けも必要になりますが」
長い間恋愛に距離を置いていたから、意気込
みだけでは上手くいかないかもしれない。
ここは手を借りた方が得策だろう。
「可能性があるならやってみたい。どうする
んだ?」
「そうですね、恋愛は障害があるほど燃える
と言うから……ここは何でも屋を兼業してま
すし恋人のいる翔さんを誘惑する仕事を彼に
させるのはどうでしょう?」
「誘惑する仕事って?」
「恋人は別れたいけど事情があって自分から
別れを切り出せない、だから翔さんに近付き
心変わりさせるってミッション」
突拍子のない案に言葉を失う。
「彼は仕事として誘惑してくるんだろ?そん
なの上手くいくとは考えられない」
「任務で近付く彼を本気にさせればいいんで
す。それはあなたの手腕次第でしょ」
「いやいや待ってくれ。彼は同性に恋愛感情
を持つかもわからないんだぞ」
俺は同性を好きになったのは初めてだ。
世の中の大半が異性に恋愛感情を持つのだか
ら彼の対象も女性だろう、そうなればこれは
企画倒れだ。
「あ、それなら大丈夫。あいつゲイ寄りのバ
イだから」
松本君の発言に希望の光が差した。
「私は演技、潤君は根回しをします。あなた
は彼が惚れるようにひたすら頑張って」
「お、おう」
「それでですね~ここからが大事な話なんで
すが、私達が全面協力するのだから、劇団の
援助と潤君への報酬をお願いしたいです♡」
タダと言うわけにはいかないらしい。
だけど二人の力添えであの人の側に行けて
親しくなれるなら金など惜しくない。
「わかった、相応な額を支払うよ」
「やったー!次の公演の資金繰り困ってたん
です。心配事がなくなったから演技に集中出
来ます♡」
ニノは上機嫌でニコニコしていたが松本君は
浮かない面持ちだ。
「それって、あいつを騙すことだよな…」
「何言ってるんです!翔さんはお金持ちなん
ですよ、付き合えばバイトの掛け持ちをしな
くて済むのだから幸せです!」
「松本君、バイトの件は別としても付き合え
たら幸せにする自信はある。だから安心して
くれ」
「わかりました、あなたを信じます。でも上
手くいかなかったら清く身を引いて下さい。
間違っても付きまとったりしないで」
「……肝に銘じて」
こうして俺はニノの筋書きに従いブルーカバ
ーの君と会うことになった。
彼を騙すことに良心が痛むが、それ以上の想
いに突き動かされた。
ブルーカバーの君……
いや、大野 智さん
必ずあなたに好きになってもらうからね。
長げえ……
1日オワタ( ;∀;)