お山の妄想のお話です。




『益子君、二人で飲みに行こうよ』

『次の休み一緒に出掛けない?』

『この映画観たいな、悟君もどう?』

『すっごく旨いラーメン屋見つけた!この

後食べ行こうよ』

『海、好きだよね?ドライブしようか』


櫻井さんと二人で出掛ける事が徐々に増え

今では休み毎に誘われるようになった。

呼び方も名字から名前へと変わってどんどん

親しくなっていく……


これは仕事が順調ってことだよね…

二宮さんにも『あの人の目当ては完全にあな

になりましたね』と言われたから間違いな

いだろう。


となると、今が山場……

後は櫻井さんが俺の演じる『益子 悟』を取り

二宮さんに別れを告げたら終了だ。

そしたら俺も櫻井さんの前から消えなきゃ

らない、忽然と消えるってやつだ


それが『別れさせ屋』の業務だもん、悲しい

けど仕方ない。

どんなに想う相手であってもね………


**


稽古場の隅で団員達の白熱の演技をぼんやり

眺めている。

俺は新入りの見習いだから完全に雑用係、

稽古の時間はすることがないんだ。


見学も勉強だと演出家から厳しく言われてい

るから、暇だけどここを離れられない。

それにいつ櫻井さんが来るかわからないしね


ああ……早く櫻井さんに逢いたいな

あの大きくてキラキラした瞳や、ふっくらと

した唇が綻ぶのを見ていたい……


彼の見た目はもともとどストライクだったけ

ど、性格も凄く良いんだ。

俺の知らない事を『これはね』って丁寧に教

えてくれるとこや小さなことでも『凄いね』

って褒めてくれる優しさとか。


優しくてイケメンで悪いところなんて一つも

ない人、きっと百人中百人が恋に落ちる。


……って駄目じゃん。

完璧に俺の方がやられてる。

長く過ごして櫻井さんを知ってしまったから

古本屋のバイト時代のように淡い恋心なんか

じゃ収まらなくなってる。


離れたくない、もっと一緒に……

いや、ずっと一緒にいたいよ。

いっそのこと『別れさせ屋』であることを告

白してこれからも共にいさせてもらおうか…


でも、そんな都合の良い話は聡明な櫻井さん

はよしとしないだろう。

自分を欺いていた奴を許せるわけないもん。

真心を弄び尊厳を踏みにじられたんだ、許し

てくれるはずがない。


それに俺のこの想いも信じてくれないだろう

だってずっと欺いていたんだもの……

全部嘘だろ信じられないって軽蔑されて終わ

りだ。


嫌われて突き放されるより、詐りに気付かれ

ることなく消えた方がいい。

その方が櫻井さんの傷も浅いだろうし…


結末は仕事を引き受けてしまった時から決ま

っていたことだ、じたばた足掻いてもどうに

もならない。


だけど………

そうやって何度も諦めた筈なのに、少し時間

がたてば又どうにかならないかと思考がいっ

てしまう。


未練がましく往生際の悪い己にうんざりした

本気で人を好きになるとこんなにも惑うんだな。こんなの初めてでどうしたらいいかわか

らないよ……


諦める?諦められない……でも、どうにか…

そんな風に何回も堂々巡りをしている最中に

突然Gパンの尻ポケットでスマホがブルブ

ル震えた。

一瞬『どっちだ?』と思ってしまう、だって

今は人生初のスマホ2台持ちだから。


一台は俺のスマホ、何年も前から使っている

やつ、もう一台は今回の仕事用に潤から支給

された最新のアイポン。

プライベートと混同しないようにと渡された

けど機能が新しすぎてよくわかんね。

登録されてるのは櫻井さんだけで、電話とラ

インだけだから何とかなってる状況だ。


震えているのは右だから俺のスマホ、バイブ

が続いているから電話かな?

ポケットから出して発信元を見たら潤だった

どうしようかと考えて、後で掛けるのも面倒

なので出ることにした。


「何か用?今仕事中なんだけど』


こっそりと廊下に移動し声を潜めて話す。


『電話に出られるってことはどうせ暇してた

んだろ』

「暇じゃねーよ、見習いらしく先輩方の演技

を見学してたとこだ。それより用件を早く言

えよ、見つかる前に稽古場に戻らなきゃなら

ないから」

『用件と言うか、お前が全然報告しないから

俺から掛けたんだ。今の状況は?』

「あ~、えっと……」


この頃気持ちが千々に乱れていて潤への連絡

を怠っていた……

もう少しで任務完了だと言えばいいのだろう

けど、そうしたらきっと『さっさと終わらせ

ろ』と言われてしまう。

でも出来れば長引かせたい、この幸せな時間

にもう少しだけ浸っていたいんだ。


「かなり順調だと思うけど……」

『そうか、上出来じゃん』

「うん、まあ…」

『どした?上手くいってる割には浮かないよ

うだけど』

「この仕事メンタル削られるからな」

『もうすぐ任務完了だろ頑張れよ、上手くい

けば懐が潤うんだから』

「………おう」


潤の言う通り財布事情は良くなる、だけど失

うものも大きい……


『お前、最終的にどうするかわかってる?』

「櫻井さんと二宮さんが別れたら正体がバレ

る前に速やかに撤収だろ。益子  悟の全てを

消して……」

『別れさせ屋のマニュアルはそうだよ。だけ

ど今回はお前に一存する』

「は??どういうこと?」

『ケースバイケースってことだよ』

「いやいや、意味わかんねーし」

『ここまで来たら失敗はないだろ?その様子

じゃ成功間違いないしさ』

「その様子ってどんな様子だよ!俺にわかる

ように言えよ」

『わかるように?そうだな、一人の客から

『探偵』と『何でも屋』両方の料金が貰える

の決定だから後はお前の好きなようにしてい

いってとこかな』

「好きなように??」

『そう、強いて言えば心の赴くまま』

「心の赴く……?????」

『はは、わからないか。でも後々色々わかっ

てくるさ。てことで、仕事頑張れよ』

「ちょっ、じゅんっ!おいっ!」


プツっと一方的に切られてしまった……

上手く仕事を終わらせろまではわかったけど

その後のケースバイケースから意味不だ。

心の赴くままって、潤的には『別れさせ屋』

だったことを櫻井さんにばらしてもかまわな

いってこと??


探偵と別れさせ屋、両方の料金が入るとか俺

には関係ないことまで言いやがって。

何時もの悪巫山戯で俺を混乱させて面白がっ

ているのかな?


悶々とするけど新入り見習いがいつまでも廊

下で電話してるのは体裁が悪い、現に脚本家

がチラチラこっちを見てるし。

ヤバいヤバい、怒られる前に戻ろう。


そう思った矢先、今度は左のポケットが振動

した、こっちは支給された櫻井さん専用アイ

ポンだ。

気付いた途端喜びで悶々とした気分が吹き飛

んだ、我ながら現金な奴だと呆れるけど恋す

るってそういうもんだろ。


「はい、益子です」

『悟君今晩は』

「どうかしたんですか?」


この時間に電話を掛けてくることはない。

だってほぼ毎日ここに顔を出す人だから用事

があれば直接言えばいいんだもん。

なのに電話なんて、何かあったのかな?


『緊急な会議が入って、今日はそっちに行け

そうにないから電話したの』


その言葉にワクワクした気持ちが萎んでいく

今日はあえないんだ……


「……そうですか」

『うん、凄く残念だけど』

「えっと、それを二宮さんにお伝えすればい

いんですね」

『ニノに伝える必要はないよ』

「どうしてですか?!」


だって今までは恋人に会うためって名目だっ

たじゃない?二宮さんは稽古中だから俺のと

こに掛けたんじゃないの?


『今日はあなたの顔を見れないから、せめて

声を聞きたくて電話したんだ』

「     !!!    」

『明日は行くよ、それで聞いて欲しいことが

あるから稽古の後付き合ってくれる?』

「あっ、えと……はい」

『よかった。じゃあ会議始まっちゃうから切

るね』

「はい……」


デジャブみたいにプツっと通話が切れる。

だけど潤との電話の後とは違い、俺の心臓は

ドコドコと派手に太鼓を鳴らしていた。


今の櫻井さんの言葉って、なんなん??!

俺に会えないからせめて声だけでもって?

現恋人の二宮さんより俺を選んでくれたって

ことだよね……


嬉しい……嬉しい……けど。

それって本当にもうお仕舞いってことじゃん

嬉しい、なんて言ってる場合じゃないよ。


明日の夜、櫻井さんはどんな話をするの?

それを聞いて俺はどうしたらいいの?


仕事を全うして報酬を得る、それが最善。

だけど、俺の気持ちはどうなる?


でも櫻井さんの知る俺は本当の俺じゃない

作りものの『益子  悟』なんだ。

彼が好きになったのは『大野 智』じゃない


ああ、ああ、どうしよう。


櫻井さんと繋がるスマホをじっと見つめる。

だけど爽やかな青色は答を示してはくれなか

った。






新色ウルトラマリン

そして潤君も一枚噛んでる~