お山の妄想のお話です。




コンコン

事務所の扉がノックされた。

間違いなく智君だ。


一階からエレベーターで上がって来たにして

は時間が経っていたけど、怒りに震える俺に

はどうでもいい事だった。

頭の中は心的外傷を負わせた智君への怒りと

報復でいっぱいで、俺と同じ様に傷付けてや

るつもりでいた。


長年の恋心を踏みにじられたようで許せなか

ったんだ、きっと俺は狂ってる。

平常心であればこんな暴挙に決して出ること

はなかっただろうに……



「はい」


ノックに返答すると、少しの間の後に静かに

ドアが開かれた。

そこには予想通りに智君が立っている。


「……報告に来た、遅くなってごめん」


智君はドアから少し離れた場所にいるから表

情は見えない、だが声のトーンで遅い時間の

訪問を詫びているのが伺えた。


「……今何時だと思ってるの?報告なんて 

メールでいいのに。待ってる者の身にもなっ

てよ」


素っ気なく言うと罰が悪そうに俯く。


「悪かった……でも顔を見て報告したかっ

たんだ。それに相葉ちゃんのこともあるし。

相葉ちゃんどうしてる?別行動で連絡が取れ

なくてさ」

「雅紀は入院してる」

「えっ!そんなに酷い怪我だったのか?!」


入院と聞き智君は息を呑む、重傷だと誤解し

たらしい。本当は疲労の休養だが憤っていた

俺はそうとは告げずに責めた。


「他のチームと合同の時はメンバーを守るっ

て言ってたよね?だから俺は承諾したんだ。

それなのに雅紀に怪我をさせるなんて一体ど

ういう事なの!しかも別行動で怪我の程度も

わからないなんて、リーダー失格でしょ」


智君は俯き唇を噛んで暗い廊下に佇んでいる


「今後またこんな事態になったら、あなたは

どうするつもり?また別行動だったからって

責任逃れするの?」

「……しねぇよ」

「本当?信じられないな。今回だって他のチ

ームのメンバーと馴れ合っていて雅紀を放っ

ておいたんだろ」

「違う、祓いの最中は一緒だった」

「なら雅紀は何で怪我をしたのさ?帰り道で

転んだのか?」


こんなのはただの言いがかり、それは分かっ

てる。でも呑気に男と帰ってきたのを許せな

かった、裏切られた心境だ。

大事な人ほど傷つけたくなる……


「……それについては後日話す。悪いけど

今日は帰らせてくれ」

「は?今話せないの?あなた報告に来たんで

しょ」

「ちょっと……都合が…悪いんだ。人も待

たせてるし」


待たせているのは車の男だ、この後二人で何

処か行くのだろうか。

食事でもして労をねぎらう?

それともどちらかの家か?


俺は一度も招かれたことが無いのに、あの男

は頻繁に智君の家に出入りしてるのかな……


先程の抱擁シーンを思い返し、怒りが激しい

波のように全身に広がる。


「そう、業務より大事なんだね。わかったよ

じゃあまた後日に」

「おお……すまない」

「明日は来なくていいから。雅紀を迎えに行

くから俺もいないし」

「……そっか、了解。俺の注意不足で相葉ち

ゃんに怪我させて、翔くんにも迷惑かけて悪

かった」


すまなそうに言い智君は一歩下がる、すると

まるで闇に溶けるように姿が消え静かにドア

が閉められた。


正直なところあの程度では腹の虫は治まらな

いが、これ以上自分勝手な感情で責めるのは

よくないだろう。

チームの元締めとしての立場もあるし。


気を落ち着かせるためにデスクの上のコーヒ

ーに手を伸ばした。

口をつけると冷えていて酷く苦い。


「クソッ、不味い…」


けれどその苦味が気持ちを静めてくれるよう

に感じ一気に飲み干し一息ついていると、外

から突然大きな声が響いた。


『大野!』


緊迫した声に咄嗟に窓から見下ろすと、そこ

には男に抱き抱えられた智君がいた。

しかしそんな姿を見ても怒りの感情は湧かな

い、なぜなら智君は男の腕の中でぐったりと

していたから。


「えっ……」


智君の肌は月明かりのせいではなく紙のよう

に白く、ダランと垂れた腕の指先さえピクリ

ともしない。


「さ、智くんっ!!」


見たことのない姿に驚き身動きが取れない。

その間に男は智君を車に乗せ凄いスピードで

走り去ってしまった。





翔くんに会えた。

やっぱり不機嫌だった。


大きくてアーモンドみたいな瞳には鋭い光が

あって怒っているのは一目瞭然…

ふっくらとした唇からは棘のような言葉が放

たれている。


こーなることは予測済みだったけどさ、実際

そうだとやっぱ堪える……


痛ぇなぁ

腹の傷じゃなくて胸が…

寒ぃなぁ

冷たい態度に心が凍りそうだよ


でも相葉ちゃんが入院したと聞いて翔くんの

言動に納得した。

俺のせいで相葉ちゃんが怪我して、入院まで

したなら怒りが爆発して当然。

不甲斐ない俺が責められるのは自業自得だ。


本当なら翔くんの気が済むまでここで耐える

べきなんだろうけどそろそろヤバイ。

意識は朦朧とし始めているし指先の感覚も無

い、足に力が入らないから長く立っていられ

そうもない。


絶対に翔くんの前で倒れたくなくて頑張って

いるけど限界が近い。

頭の中は急いでこの場を去らなきゃってこと

でいっぱいだった。


相葉ちゃんの怪我について訊かれた時、顰蹙

覚悟で後日にしてくれと頼んでみた。

血が足りないせいかな、頭が考える事を拒否

してまともな事を言えそうにないから。


翔くんはムッとしていたけど聞き入れてくれ

て俺はもう一度謝ってからドアを閉めた。


「……うっ」


部屋からの光が遮られた瞬間、クラリときた

けど倒れちゃ駄目だって気力を振り絞り松兄

の所へ向かう。

エレベーターに着くまで何回も足が縺れて転

びそうになったけど踏ん張ったさ。


歩くだけでこんな苦労したことねーよ……

それだけ俺の身体はヤバイってことかな。

きっとこのまま手当てもしないで家に帰った

ら俺は終わりだろうな。

それでもいいと思ってるけど。


だってさ、俺の未來って終ってるじゃん。

好きな人には嫌われ、やりたくもない汚れ仕

事忌まわしい裏のトップの就任も決まったよ

うなもんだしな。


今なら……いいや、って思う。

翔くんと相葉ちゃんからの『俺達付き合っ

てまーす』的なカミングアウトがまだない

から、失恋した訳じゃねーし。


もしかしたら…なんて夢見たままってのが

良いんだよ。希望があるって思うだけで淋し

くないだろ?

悲しくて淋しい最期なんてまっぴらだ…


一歩一歩、フラフラしながらも前に進む。

エレベーターを降りれば松兄がいる、車に乗

ってしまえば気を抜ける…

翔くんに気付かれることなく離れるんだ。


チン、と音がしてエレベーターか一階に着い

た。エントランスを抜ければ車はすぐそこ。

腕に力が入らないから体当りみたいにしてド

アを開けると、音に驚いたのか車に凭れ煙草

を吸っていた松兄がこっちを見た。


ああ、松兄だ…

松兄の姿を見て安堵したせいか身体の力が一

気に抜けてしまった。


「大野!」


大きな声が聞こえた後、俺は意識を失った。




車が走り去った後、暫く呆然としていた。


意識の無い智君、ぐったりしていて動かなか

った……

倒れたの?

大きな祓いの仕事で力を使い疲弊していた?

そういえば声にも力がなかったような……


さっきはどんな表情をしていたのか暗くて見

えなかったから、智君が憔悴しているのに気

付かなかった。


怒りを優先して責め立て労うこともせず、嫉

妬に狂い大事な人の異変に気付かないなんて

最低だ……


自分の取った最悪な態度に臍を噛む。

しかし今頃後悔しても言ってしまった事は取

り消せない……


「………謝らなきゃ」


倒れる程消耗しているなら今は無理だ、心配

だけど時間を置いた方がいいだろう。

ゆっくり休んでもらい回復してから謝罪しよ

う。


「酷いことを言ったから許してくれないかも

な、愛想を尽かされたらどうしよう……」


そんな不安が過ったが『智君が俺を嫌うこ

とはない』なんて謎の自信の前に霧散した。

だって智君は俺が冷たい態度をとっても

『しょうがねーな』と笑って流し、離れて

行くことがなかったから。

きっと今回も笑って許してくれるはずだ。



それが浅慮だと気付いたのは、事務所の前か

ら玄関まで点々と続く血痕を見てから。

玄関前の車止めには血溜まりができていた。


きっとこれは智君の血……

智君は力の使いすぎで倒れたんじゃない…

とても酷い怪我をしていたんだ