お山の妄想のお話です。



社食を出て急ぎ足で部署へ戻る。

自分しかいない地下の部屋は都合がいい、

酷い顔を誰にも見られなくてすむもの…

きっと泣きそうな顔をしているはずだから。


部屋に入り壁際にポツリと置かれたパイプ椅

子に座り顔を手で覆った。

最後だと決めていた誘いが完全な失敗に終わ

り悲しみと侘しさでいっぱいだったんだ。


……最後のチャンスも駄目だったな。

まさか彼女の誕生日とかぶっていたなんて思

いもよらなかったし…

可愛い彼女と俺じゃ比べるまでもない、櫻井

君の返事を聞かないで正解だよ。

聞いていたら更にダメージが大きかったはず

だもの……


それにしても櫻井君も駄目だな、恋人のBD

を忘れるなんてさ。

彼女が怒って当然だよ、今頃はご機嫌取りに

懸命だろうな……


『食事会は別の日にしよう』ってあの場では

言ったけど、これが最後だと決めていたから

もう誘いはしない。

これからは社食へも行かないよ、だって櫻井

君の姿を見たら諦め切れなくなるもの。

未練を残して行かないと決めてるしね。


もうすぐ俺も有給の消化には入る、実は15

日が最後の出勤日だった。

16日に素敵な思い出をつくり、幸せを胸に新

しい職場のある南の島に向かう予定だった。

けれどそれも泡と消えた…


色々と上手くいかないけど、それが運命なら

仕方ない。こんな挫折だらけの人生でもいつ

か転機が訪れると信じよう。


失恋は過去に何回かしてきたから、今回だっ

て乗り越えられるさ。

きっとね……





大野さんが席を立った時すぐに引き止めなか

った事を後悔している。

いくら大らかな彼でもハッキリと答えなかっ

た俺に悲憤しているはずだ。


誕生日を忘れていたのは興味がないからだから、周囲の事など気にせずに『大野さんと』

と言えばよかったんだ。

そうすればあんなに悲しい顔をさせずにすん

だのに……


去り際の表情を思い浮かべると胸が痛い

でもそれは己の不甲斐なさが招いた報いだ。


「櫻井さん!聞いてますか?!恋人の誕生日

を忘れるなんてあんまりです!しかもすぐに

断ってくれないなんて酷い!」


大野さんへの悔悟の念にかられている間も不

平不満を言う彼女にうんざりする。

このまま無言でここを去ればキャンキャンと

非難を続ける彼女も身の程を知るだろうか?

自分は選ばれなかったと理解してくれれば

面倒な別れ話をしないで済むのに…


そんな事を考えている間に休憩時間が終わっ

てしまい、俺は彼女に後で話そうと言い残し

社食を出た。

 

自分の中ではもう結論に至っている。

利用して不要になったら別れるなんて、最低

だと思うけれど重んじるのは本心だ。

今俺の心の多くを占めているのは彼女ではな

く大野さんなのだから。



あの日から数日過ぎたが彼女との時間が合わ

ず話すことが出来ないでいた。

もしかしたら気付かれて意図的に避けられて

いたかもしれない。

この手の話を電話やメールで済ますのも憚れ

る、最後くらいは誠意を見せなくては。


こちらの決着がつかなければ大野さんには会

えない、彼とは清廉潔白で向き合いたい。

なので社食や社内で姿を見かけなくなったの

を淋しいとは感じたけど都合が良かった。


その後、俺も仕事が忙しくなり彼女に別れを

切り出せないまま大野さんと約束していた日

の前日になってしまった。

もう約束は反故になっているが、なんとか彼

と食事が出来ないかと考えていたのに…


結局彼女との予定は組んでいないし、今とな

っては音信不通。これは自然消滅ということ

でいいだろう、きっと彼女はダメージを最小

限に抑える方法をとったんだ。


周囲には振っても振られてもいない、お互い

が多忙で会うのが困難になったとでも言って

おけばプライドも守られるだろうし。


彼女がそれで構わないなら尊重しよう、俺も

修羅場を望んではいない。

利己的だけれど相手の考えも同じだろうから

解決したと判断する。


これで咎められずに大野さんに会える。

すぐに連絡をと思ったがそこで重大なミスを

犯していたのに気付く、俺は彼の連絡先を知

らなかったんだ。


大野さんが俺に恋愛感情を持っていると知っ

た時点で面倒事に巻き込まれるのを嫌い、意

図的に個人情報を伝えないようにしていた。

それが仇になるなんて……


しかし一つだけわかっている事もある、それ

は彼の職場だ。

同じ社内なのだから内線を使い呼び出せばい

い、俺はすぐに総務へと電話した。




最後の出勤日。

設備さんや庶務1課への引き継ぎを終わらせ

俺が今日で辞めるのを知るごく僅かな人達に

挨拶を済ませてから帰途に着く。


最後に一目でも櫻井君を見たいと思ったけど

未練タラタラな自分が情けなくて速攻でビル

から出たんだ。


少し離れた場所で振り返り元の職場を見ると

大企業の本社だけあり大きくて立派なビル、

今更ながら自分には場違いだったと感じて少

し笑えた。


業界でもトップクラスの会社に求められるの

は櫻井君のようなエリートだけなんだと改め

て思った。

これから櫻井君は出世コースに乗って役職を

上げ、秘書課の彼女と結婚して幸せな生活を

送るんだろうな……


俺が最後に出来るのは彼の順風満帆な人生を

祈るくらいだ。

さよなら、櫻井君……

君の成功を遥か遠くの島から願っているよ、

きっと君には必要無いだろうけどさ。



目覚めたのはお昼を過ぎた頃だった。

カーテンのない窓からの直射日光を顔面に浴

びて熱さと眩しさで目が覚めた。


俺は包まっていた毛布から這い出し長い間住

んだ部屋を見渡した、引っ越し荷物を送った

後だからガランとしていて物悲しく感じる。


何年も暮らした部屋、愛着のある場所を離れ

るのは淋しい。だけど感傷に浸っている場合

ではないんだ、だってこれは新たな人生への

旅立ちなんだから。


明日部屋の鍵を返せばこの街に俺の居場所は

なくなるけど、代わりに大自然の中でののん

びりとした生活が待っている。

穏やかな暮らしの中でいつしか心の傷も癒さ

れるだろう。


「門出を祝うために旨いものでも食うか…」


もうこの街に戻ることはないから、最後にお

気に入りの店に行くことにした。

そこは櫻井君と行くはずだった美味い海鮮の

店だ……





庶務課に内線をかけると対応した社員に大野

さんは庶務2課だと言われた。

彼の所属も把握していなかった事を恥じなが

ら庶務2課へ電話したが何回コールが鳴って

も誰もでない。


おかしいと思いながら何気に時計を見て状況

を理解した、既に19時を回っていて終業時間

をとっくに過ぎていたんだ。


俺は残業が多いからこの時間でも会社にいる

のに違和はないけど、他の部署は定時で仕事

を終えるのだろう。コールを鳴らし続けても

反応がないのはそのせいか……

もう帰ってしまったんだな……


受話器を置いて項垂れた、だって唯一の連絡

手段が断たれたのだから。

これでは次に彼に会えるのは来週になる、

それも運良く社食で会えればの話だ。


仕方がない、会えたら次は俺から食事に誘え

ばいい。もしかしたら今までの酷い態度に見

限られ断られるかもしれないが、諦めずに行

動しよう。


あの人との距離を詰めるのは今度は俺の番な

のだから。








中途半端m(_ _)m


花火の音だけするが

山が邪魔で見えぬ( ;∀;)