お山の妄想のお話です。
食事をするため久し振りに街に出た。
大きな街の夜は人が多く賑やかで、そこかし
こに酔っ払いや客を待つ女達がいる。
そいつらを襲えば容易く血を吸うことが出来
るけど、それは汚れていて酷く不味い。
身分が低く力も弱いヴァンパイアの標的だ。
俺は少食ゆえに美味なものを求める、若く美
しい処女の血が一番美味い。
でもそんな獲物が夜中に外にいることはまず
ないから契約をした家に行くんだ。
契約とは定めた期間中、血を提供すればその
一族を俺の御抱えとするもの。
公爵という高い身分の持ち物に他のヴァンパ
イアが手を出す事は許されない。
俺との繋がりにおいて彼らは身の安全と繁栄
を得ることが出来るんだ。
長い間いくつかの家と交わしてきたことで、
簡単に美味い食事ができ満足している。
*
人間界では上流階級の屋敷、目的の部屋は2
階だ。
ヒラリとバルコニーに降り立ち、ガラスの扉
をコンッと一回ノックするのが到着の合図。
「お待ちしておりました…公爵様」
開いた扉の先には就寝用の白いドレスを着た
うら若き乙女が立っている。
「すまないな…」
招かれ室内に入ると娘ははにかむような笑顔
を俺に向け、長く艶かな美しい髪を白い手で
払いのけ細い首筋を露にした。
「公爵様、どうぞ……」
そして吸いやすいように頭を傾けるとすっと
瞼を下ろす、俺は娘に近付き身体を抱くよう
にして瑞々しい肌に牙をたてた。
「………あっ 」
牙が食い込んだ瞬間ビクリと身体が震えた。
小さな声を漏らすがそれは痛みではなく快楽
から来るものなのでそのまま吸い続ける。
数分間甘い血を堪能し、満足したところで首
筋から顔を上げた。
牙が抜けると同時に傷口が塞がり元の滑らか
な皮膚に戻る、それを確認してから娘の様子
を見ると恍惚とした表情をしていた。
「大丈夫か?」
1リットルにも満たない量だから身体に影響
はないはずだが一応確認はしておく。
「はい、なんともありません」
「そうか、よかった」
「あの……公爵様は御満足なさいましたか?
私ならまだ大丈夫なので……」
「もう満足したよ」
頬を染め潤んだ瞳で見上げてくる娘の誘いを
断ると、途端に悲し気な表情になった。
「…もう帰られるのですか?」
「ああ、お前はゆっくりと休め」
「公爵様、もう少しだけ……」
「すまん、長居は出来ない」
俺は娘の言葉を遮りベランダへと進み、振り
返らずに『また来る』とだけ告げて空中に舞
い上がる。
「公爵様……」
縋るような娘の声を背後に聞きながら空を蹴
り屋敷を後にした。
*
時計塔の頂上に座り夜の街を見下ろす。
食事も済み他に用もないから屋敷に戻るつも
りだったけど、さっきの娘の事を考えてしま
い足を止めたんだ。
俺を迎え入れた時の表情…
娘の瞳は熱を帯びていて、まるで恋でもして
いるよう……俺に想いを寄せているみたいだ
でもそれは作られたもので、補食者である俺
が楽に食事が出来るようにかけたヴァンパイ
アの『術』なんだ。
肌に牙をたてれば自動的にその術にかかり忌
むべき存在を恋慕の対象にしてしまう、そん
な厄介なもの。
愛しいと錯覚すると恐怖も抵抗もなく血を差
し出し、吸われることに喜びさえ感じるよう
になる。
あの娘のように契約した者なら問題はない、
契約が終われば術を解き記憶を消せばいいの
だから。
そうすれば彼女は全てを忘れ普通の生活を送
る事が出来る。
恋をして結ばれ子を産み孫ができ、幸せな時
を過ごし短い一生を終える。
俺達ヴァンパイアと比べればとても儚い時間だ。
「人間はすぐ死んじまう」
翔も……
俺が足を止めたのはあの娘と翔を重ねてしま
ったから。
翔の肌に牙を刺せば『術』にかかって俺を愛
してしまうだろう。
熱のこもった瞳を向けて吸って下さいと乞う
ようになる。
………それを嫌だと思ったんだ。
術にかかった翔を見るのは辛い……
偽りの愛はきっと俺を傷つけるだろう
それを考えるだけで胸が痛い
「なんだよ、これ……こんな筈じゃなかっ
たのに」
相葉ちゃんから受け取った時は人間の子供が
珍しく面白そうだったし、好みに成長したら
食えばいいなんて軽く考えてた。
だけど一緒に暮らす間に情が芽生え、可愛く
て愛しい掛け替えのない存在になってしまっ
た……
翔を食べたい…
快楽に溺れさせ甘い血で喉を潤したい……
その欲望がなくなったわけじゃない、それ以
上に大切にしたいという思いが強くなってい
るんだ。
人間の世界に戻すのは今からでも遅くない、
高い地位を与え生活に困らないようにすれば
何の支障もないだろう。
山奥で人外共と暮らすよりその方が翔には幸
せなはず……
同じ時を過ごせる仲間達、そして伴侶となる
相手ができれば幸福な一生が送れる。
伴侶……翔の隣にいるのは俺じゃない…
美しい妻と可愛い子供達に囲まれ、まぶしい
ような深い幸せの中にいる翔を想像して苦し
くなった。
まだ見ぬ相手に激しい怒りを感じたし、手も
とから消える翔に絶望した……
怒り、淋しさ、悲しみ、負の感情が入り乱れ
る。
これほど翔の存在が大きかったなんて、この
想いは餌食に持つものじゃない。
これは……この感情は……
〖 愛 〗
俺は頭を振り思い浮かんだ言葉を薙ぎ払った
だってそれは持ってはいけないものだから。
ヴァンパイアが人をパートナーとすることが
ある、それは人間をヴァンパイアに変えると
いうこと。
そうすれば永遠の時を一緒に過ごせる、けれ
ど同時にパートナーにも血を渇望させること
になってしまう。
仮に翔をパートナーにしてしまったら、彼も
また血を求めて暗闇の中を奔り回ることにな
るんだ。
「そんなの絶対嫌だ」
女の首筋に牙をたてる翔なんて考えたくもな
いよ、俺のようなおぞましい存在にしたくも
ないし。
翔には陽光の下で生活して、いつまでもキラ
キラした笑顔でいて欲しい。
だけど……出来ることなら離れたくない
人間として生きて欲しいと思う気持ち
ずっと一緒にいたいと願う心
相対する思いは頭の中をグルグルと廻り出口
が見つからない。
「あーっ!!やめたっ!」
答えが出ないのなら考えるのは無駄なこと、
俺は思考を止めると立ち上がった。
「さっさと帰って翔の寝顔見よ」
あどけない寝顔を眺めて疲労困憊の脳ミソを
癒すことにする。
それに翔はまだまだ子供だから、今後のこと
をすぐにどうこう決めることもない。
「久しぶりの食事だったのにな~、変な事考
えちまって台無しだ」
ふ~っと溜め息をついて、ピョンと時計塔か
ら飛び下りる。
暫く落ちていくまま身を任せ、冷たい風で思
考をすっきりさせ地面に激突する前に浮上し
た。
「さー、帰るぞっ!」
再びこの街を訪れるのは数ヶ月後、それまで
屋敷でゆっくりしよう。
*
な~んて思っていたのに、王家からの召集が
かかった。
突然王が退位すると言い出したらしい。
長い間在位していたからそろそろ辞めて自由
になりたいのだろう。
『お前は変わり者だから蒼穹と字を授ける』
したり顔で言った王に呆れたものだった。
見たこともない青空を俺につけるなんて、王
の方が余程風変わりだと思う。
まあ、王と俺は伯父と甥の関係だから似た者
同士ということだ。
とりあえず王宮へ行き謁見したが退位の意志
は固く継承者も既に決まっていて、退位の儀
から戴冠式までの諸々の儀式に全て参列する
はめになった。
数ヵ月は屋敷に帰れない……
翔の顔を見れないのが辛いけど仕方ない。
少しの我慢だと自分に言い聞かせ、このこと
を翔に伝えることにした。
階級
王
公爵
侯爵
伯爵
子爵
男爵