お山の妄想のお話です。
「旦那さまっ!起きて下さいよ!」
ドンドンと扉を叩き大きな声で呼び掛けてみ
たけれど室内からの反応は無い。
「もうお昼ですよ!午後一番で潤さまがいら
っしゃいます!ゴロゴロしていたら叱られま
すよっ!」
置屋の番頭である潤さまはとても厳格なお方
だ。あちらを仕切っているだけあり時間には
特に厳しい。
怠惰に過ごし約束の時間に間に合わないなん
て事があれば激しくお怒りになるだろう。
「う~っ?潤来るの今日だった?」
ドアを叩き続けているとやっと旦那さまの声
がした、ただ完全に覚醒していないと分かる
寝ぼけ声だ。
「そうです、短い時間でお食事と身支度を済
ませないといけません。入りますよ!」
返事を待たずにドアを開け中に入り、薄暗い
室内を窓に向かい歩きカーテンを開いた。
明るい昼の日差しが辺りに溢れると眩しかっ
たのか旦那さまは顔を押さえた。
「もうお昼ですがおはようございます。時間
がありませんよ、早く支度しなきゃ」
「う゛~、わかったよぅ」
ガシガシと頭を掻きながらやっと起き上がっ
た旦那さまは何時もながらの酷い状態だ。
寝乱れたベットの上、はだけた寝巻から胸元
が覗いている。
一見すると色っぽいが眠気で半開きの目と、
爆発にでも巻き込まれたのかと思う程の寝癖
が全てを裏切っている。
初めてこの姿に直面した時は初対面時の凛と
した美しさとのギャップに驚き、料亭の主な
のに弛緩した姿に愕然とした。
この店で働いても大丈夫なのかと不安になっ
たくらいだ。
でも旦那さまのお世話をさせて頂くうちにそ
れが杞憂だった事に気付いた。
昼行灯のような人だけどやるべきことは必ず
するから。だから店の評判も良く繁盛してい
るのだろう。
「お顔を洗い髪を整えて来て下さい。その間
にお食事をお持ちしますから」
「うん」
旦那さまがのっそりと寝室を出て行ってから
が時間との戦いだ、直ぐ様ベットメイクを済
ませ料亭の調理場へと食事を取りに走る。
これが近頃の僕のパタン。
起床時はいつも慌ただしい、だけど旦那さま
のお世話が出来る事に幸せを感じるんだ。
毎日そんな感じで、気付けばもうこの店で働
き始めてから数ヶ月が経っていた。
*
午後になり潤さまが離れにいらした。
応接室には旦那さまと料亭の番頭である雅さ
まもいてお三方で店の経営についての話し合
いが始まった。
お茶をお出しし退室しようとすると、潤さま
に後で話があるので呼ぶまで隣の部屋にいる
ようにと言い付けられ、料亭の手伝いをしに
行こうと思っていたのをやめて指示に従い待
機することにした。
正座をし呼ばれたらすぐわかるように耳を澄
ますと、隣からの話し声が微かに聞こえてくる。それは歯に衣着せぬ強い言葉であったり
笑い声であったりして主従関係というより友
人同士のそれだった。
以前雅さまが話して下さったけど、実際お三
方は古くからの友人なのだそうだ。
…陰間として働いていた頃の仲間なのだと。
皆さま売れっ子で贔屓のお客が大層いたそう
だ。中でも大変なお金持ちに年季明け前で旦
那さま身請けされてこの料亭の主になり、そ
の後雅さまと潤さまを呼び寄せたのだそう。
雅さまは冗談のように話されていたけど、皆
さま見目麗しいし本当のことだと思った。
「和、入っておいで」
そんな事をぼんやりと思い出していたら潤さ
まからお呼びがあり慌てて応接室へ向かう。
入室すると座れと言われたので下座の席に腰
掛けた。
「智と雅にも聞いて欲しいんだけど、そろそ
ろ和を置屋に住まわせようと思う」
「えっ?!」
「いきなり何だよ!潤?!」
潤さまの言葉に旦那さまと雅さまは驚きの声
を上げたけど、僕はとうとうその時が来たの
だと思った。
元々陰間にするために買われたんだもの……
この料亭に居られたのも太る迄と期限があっ
たからだし。
「いきなりじゃないだろ。 元々体調が良くな
るまでという事だったじゃないか。和ももう
大部ふっくらしたし置屋に戻る頃合いだろ」
「だけど、置屋はさ……」
雅さまが口ごもる。
「確かに和は役者を目指す陰子ではないけど
陰間として店に来たんだから置屋にいなきゃ
ならない。こっちで智や雅から所作を習った
としてもあっちの指南は出来てないだろ?」
あっちの指南?なんのこと??
僕には分からなかったけれど、旦那さまと雅
さまが固まった。
「いや、和にはまだ早いと思う……」
旦那さまがくぐもった声でモゴモゴ言う。
「早いことはないだろ、もう13歳だぞ!直ぐ
に盛りになる。陰間の売れる期間が短いのは
あんた達もわかってるだろ!」
陰間は11から14歳が『蕾める花』15から18
歳が『盛りの花』と言い一番の稼ぎ時なんだ
女性でも男性でもない中性的な期間に一番需
要がある……
僕は13歳、今までは貧乏で食べられなかった
からガリガリに痩せていて童顔だから年齢よ
りだいぶ下に思われていた。
だけど旦那さまの元で健康的な生活を送らせ
てもらい成長して年相応になったんだ。
僕は丁稚として料亭に来た訳じゃない、本来
の陰間として必要なら『指南』を受けるのが
筋だろう。だけどそれって何なの?
「潤さま、指南ってどんな事なんですか?」
わからない事は自ら訊くしかない、そう思い
質問すると旦那さまは気まずそうにし、雅さ
まは悲しそうな顔をした。
「……指南と言うのは、客を受け入れる場所
を開拓することだ」
「開拓?」
「わかりやすく言えば、客のアレを受け入れ
るためにソコを慣らすんだよ」
「慣らす…」
言われて初めて理解した。
女郎と違い陰間が受け入れる場所は一つしか
ない、しかもソコは元々その機能はないから
練習して慣らさなければお客を喜ばすことが
出来ないんだ……
「置屋には指南役がいる、だから今日和には
あっちに移ってもらう」
「…えっ?」
突然過ぎて言葉に詰まる。
仕方無いことだとわかっているけど、縋るよ
うに咄嗟に旦那さまを見てしまった。
僕の視線に気付いた旦那さまは眉を寄せてい
たのを笑顔に変え、大丈夫だと口で型どった
「待てよ潤、先走るな。和はおいらにとって
大切な子だ、置屋の奴になんて任せられねぇ
訓練はおいらか雅がする。そんで立派な陰間
に仕上げるからこのままこっちに置いとく」
「そうだよ潤くん!あっちは陰子や舞台子ば
かりで生活の為に売られた子はいないじゃん
プライドが高い子ばかりだから和ちゃんが行
ったらきっと虐められるよ。そしたら病んで
またガリガリになっちゃう!到底仕事なんて
できないよっ!」
「その通り!あっちに行ったら和は潰される
ぞ!だから訓練はここでする!」
「誰がするんだ?!この子に情が湧いたお前
達に出来るのか?置屋の奴は他にも仕事があ
るからこっちには寄越せないぞ?」
潤さまはどうしても僕を連れて行くつもりだ
「お前んトコの奴なんて必要ねぇよ。ここに
はおいらと雅がいるんだぜ?正に身を持って
知ってんだ慣らしなんて完璧に出来らぁ」
「大ちゃんの言う通り!オレ達は経験者だか
らねっ!どーすれば楽に入れられるかは知っ
てるよ!」
「お前ら入れられるのに慣れていても入れた
事なんて無いだろ!それで出来るとか言うなよ」
そう咎められ雅さまは黙ってしまった。
けれど旦那さまは出来ると断言した、でもそ
れを聞いた潤さまは冷ややかに笑ったんだ。
「智は絶対に無理だな」
「どうしてそう言い切れるんだよ!」
「だって坊ちゃんが許さないだろ?」
「……そ、それは…」
『坊ちゃん』と名が出た途端に旦那さまの威
勢が悪くなる。それが何故なのかは雅さまか
ら聞いて知っていた。
番頭さん達から『坊ちゃん』と呼ばれるお方
は旦那さまを身請けした大財閥の御曹司、こ
の料亭のオーナーで旦那さまの御主人様。
とても独占欲が強く嫉妬深いらしい。
料亭にもこの離れにも頻繁にいらしているそ
うだけど、僕は一度もお会いしたことがなか
った。下働きが身分の高い方に出合わすこと
なんてそもそもないから気にもしていなかっ
たけど。
「和に身の回りの世話をさせているのも坊ち
ゃんは良く思ってないんじゃないのか?反対
されなかったのか?」
そういえばここで暫らく身辺の世話をしろと
言われた時も雅さまが心配していたっけ。
「反対……されてねぇよ…」
「本当?坊ちゃんも寛大になったんだな」
「……違う、アイツには言ってねえんだ」
「はっ?!お前正気か?バレたら大変な事に
なるぞ!」
「わかってるよ、だから秘密にしてんじゃね
ーか!翔に感付かれたらヤバイんだ、お前も
絶対に告げ口すんなよ!」
「しないけど……俺は…知らないぞ…」
潤さまは心配そうに旦那さまを見る。
旦那さまはそんな潤さまに言い聞かすように
言い、雅さまもそれに続いた。
「お前が黙ってれば大丈夫だ」
「そうだよ、これまで知られなかったんだか
ら。潤くん絶対にナイショにしてね」
その姿はとても必死そうだった。
坊ちゃんという方はそんなに恐ろしいのだろ
うか……
よく考えてみればお世話のために頻繁に離れ
に出入りし、下働きとはいえ料亭の仕事もし
ているのにチラリともそのお姿を見ていない
のはおかしな事だったんだ。
お二人がそんな方から僕を隠し守ってくれて
いたと知り嬉しく思うと同時にここの支配者
である坊ちゃんに恐怖を感じ顔が強張る。
「そんな不安そうな顔しないで、和ちゃんは
オレ達が守るから」
「そーだぞ。それにあいつは理不尽な奴じゃ
ないから安心しろ」
「はい…」
僕を安心させるためだろう、お二人は笑顔を
向けてくれるが潤さまだけは違い憂色が浮か
んでいる。
「智がそうしろと言えば従うけど…閨の訓練
をこっちでやったと知ったら置屋の子達は和
だけ特別扱いだと不愉快に思うだろう。だか
ら置屋に移った時更に風当たりが強くなって
虐げられる可能性は大きい、お前はそれでも
大丈夫か?耐える自信はあるのか?」
陰間になるために買われたのに置屋に入るこ
となくここに居るというだけで、既に特別な
待遇なのに旦那さまや雅さまのような方々に
指南して頂くなんて妬まれて当然だろう。
だけど僕はそれに負けない強さを身に付けた
いと思った、ここに居た時間を後悔したくな
いから。
「大丈夫です、どんな事があっても頑張りま
す。此方でお世話になった分をお返し出来る
ように励みます」
「そうか…わかった。小さいくせに肝が据わ
ってるんだな。では、こっちで仕込んでもら
う事にしよう。この際だからどっちに頼むか
自分で決めろよ」
「えっ?!」
「言っておくがどっちも不馴れだから上手く
慣らせるかわからない。お前も覚悟が必要に
なる、よく考えて決めろ」
潤さまに『よく考えろ』と言われたけど、僕
は指南が何か理解した時から決めていた。
「それでは…旦那さま、よろしく御指南下さ
い」
確固たる意思で言い頭を下げた。
僕は旦那さまを尊敬しているから、旦那さま
に触れて頂きたかったんだ。
少し前から陰間となった時『初めて』が旦那
さまなら良いのにと思っていたし。
……そうすれば何時か僕が消えても旦那さまの
記憶に残るかもしれないから。
僕は旦那さまをお慕いしている…いつからか
好きになっていたんだ。
好きな人との体験を思い起こせば他の誰かに
抱かれても我慢出来るはずだもの。
「……本当においらでいいの?」
「はい」
「わかった…傷つけないように頑張る」
旦那さまは少し戸惑っておられたけどすぐに
引き受けてくれて安堵した。
ただその時、雅さまの顔が悲し気に歪んだよ
うに見えたのが少しだけ気になったけれど…
To be continued
まさかの大宮?!
いえ、安心安全のお山です
旦那さまのビジュアルは
成瀬さんw