お山の妄想のお話です。
*PUPPY*
「そうれ、持ってこい!」
暖かい陽射の中、広いバルコニーで智とチビ
助が戯れている。
小さなボールを必死に追いかける仔犬と笑顔
でそれを見つめる飼い主……ではなくて一時
預かりボランティア。
おいらにはほのぼのとした微笑ましい光景に
見えるけど、そうではない輩もいるようだ。
それは苦い顔を新聞で隠しながら必死で智の
様子を窺っているパパ。
気になるならバルコニーへ出ればいいのにチ
ビ助への嫉妬からかそれが出来ないらしい。
「智君の馬鹿……せっかくの休みなのにさ…」
久しぶりの二人揃っての休日、パパはベタベ
タイチャイチャしたかったみたい。
だけど智は『休みの日くらい沢山遊んでやら
なきゃ可哀想だ』と朝からチビ助に付きっき
りなんだ。
自分もかまって欲しいのにプライドが邪魔し
て言えないみたい、一心に智だけを目で追う
パパは新聞が上下逆なのにも気付いてない…
そんなパパが哀れで、珍しくおいらは膝に乗
って甘えてやったんだ。
「ニャ~」
「おっ?パパを慰めてくれるの?しーは優し
いなぁ」
カムフラージュ用の新聞を横に置きおいらを
撫で始める。
顎の下は特に気持ちが良くてゴロゴロと喉を
鳴らすと、パパは嬉しそうに微笑んだ。
近頃仏頂面ばかりだったから笑顔が嬉しい、
たまにはこんな触れ合いもいいもんだな。
「しーは本当に可愛い、凄く癒される。それ
に比べてあのチビは全然可愛くない!俺に唸
るしさ、智君にひっついて離れやしない…」
初めのうちはおいらを撫でながら『可愛い、
癒される』なんて和やかだったのに、智とチ
ビ助の楽しそうな声がバルコニーから聞こえ
ると次第に愚痴や文句に変わっていく。
「智君も智君だよ、俺とチビどっちが大切な
んだってーの。俺を放ったらかしてチビに夢
中でさ!俺は人生の伴侶だよ?!扱いが雑す
ぎるだろ」
ぶちぶちと愚痴が続く、撫で方も段々荒くな
ってきた。ちょっと痛かったけどこれもペッ
トの仕事だと我慢した。
なにしろ今パパを癒せるのはおいらしかいね
えし。
「それにさ、あんなに可愛がってどういうつ
もりなんだか!しーみたいに家の子じゃない
チビはいずれいなくなるんだぞ?」
確かにな。きっとあいつは迷子だから今頃飼
い主が必死に探しているはずだ。
雑種で野良のおいらと違って、ゴールデンレ
トリバーの仔犬だぜ?しかも一番可愛い時に
捨てるなんて考えられない。
パパは飼い主が見つかってさっさとチビ助が
いなくなればいいと思ってる、智が大好きだ
から当然だ。邪魔者は排除したいはず。
その考え方は間違っていない、だけどなんだ
か淋しいな。
「…………あんなに愛情を注いだら、別れの時
に辛いじゃないか。俺は智君が心配だよ…」
……そっか
パパはチビ助が居なくなった時の事を憂慮し
ているんだ……
おいらには嫉妬の炎を燃やしているようにし
か見えなかったけど、本当はとても憂いてい
たんだな。
ごめんな、パパ。
パパが凄く優しいこと忘れてた、ずっとただ
のヤキモチやきだと思ってた。
おいらはパパに申し訳なくて、謝罪のつもり
でペロリとその手を舐めた。
「えっ?!ふふっ、くすぐったいよ。心配し
てくれてるの?ありがとな」
そう言いまた優しく身体を撫でてくれる。
「でも大丈夫たぞ、智君は俺が慰めるから。
チビがいなくなった淋しさなんて感じさせや
しないよ」
「ニャッ…」
必ずパパならそうするだろう。
智はパパに任せておけばいい、と思っていた
*
それから数日後、警察から連絡が来た。
どうやら飼い主が見つかったらしい。
結構な日にちが経っていたのは飼い主が隣の
県に住んでいたからだ。
飼い主はゴールデンのブリーダー、そこで十
数匹の仔犬が生まれ育てていたがある時何者
かによって盗(拐われた)まれた。
必死の捜索により殆どの仔犬は保護出来たが
最後の一匹だけがどうしても見つからず、隣
県にも捜索範囲を広げたようだ。
保健所や愛護団体に問い合わせてみたが該当
する仔犬はいなくて、それではと藁にも縋る
思いで遺失物届けを出したところいなくなっ
時期が合致する仔犬の情報を得たらしい。
『保護している仔犬が見たい』と連絡がきた
が、流石に自分達では対応出来ないと(テレビ
に出てる人だからな)智はマネージャーという
奴に任せた。
マネージャーは指定した場所で飼い主と名乗
る人に会い、いなくなった日にちや仔犬の特
徴を写真や動画で確認し、それを智にも見せ
てチビ助が拐われた仔犬だと断定した。
*
「よかったなチビ、やっと母ちゃんや兄弟に
会えるぞ」
別れの日、智は笑顔でチビ助の頭を撫でチビ
助は智の膝の上でうっとりとしていた。
その姿はとても幸せそうで、もうすぐ別れが
くるなんて考えてもいないよう。
「良い飼い主さんに巡り会えるといいな」
キャンキャン!
『しゃとくん、大好き!」
意志疎通が出来ない二人。
何も知らないチビ助の無邪気さが切なくて、
おいらはクローゼットの奥へと潜った。
無関心を装っていたけど、おいらチビ助が好
きだった。
この暗くて狭い空間にいれば、すぐ後に起こ
る悲しいシーンを見なくてすむだろ……
*
チビ助がいなくなってから智の様子がおかし
い。普段からボーっとする事は多かったけど
それは自分の世界に入り込んでいる時だから
別段気にすることもなかった。
だけど今は少し違うんだ、ボンヤリと見つめ
るのは床に転がっているボールだったり、日
当たりの良い場所に置かれたクッションだっ
たり……
表情も寂しげで、悲哀を感じるんだ。
……やっばりチビ助がいないから。
あんなに可愛がっていたんだもの、喪失感が
強いんだろう。
パパはそんな状態の智に寄り添っている。
言葉はないけど、肩を抱いたりそっと手を握
ったりして慰めているんだ。
智はそれに気付いて『おいら平気だ』って笑
うんだけどね、やっぱり淋しそう。
ずっとそな日々が続いて、おいらは一寸苛つ
いてきたんだ。智を慰めて淋しい思いはさせ
ないってパパは言ったのに全然良くなってない、智の心の穴は空いたままだ。
なのにこの頃はあえて智を放っているように
も見える。
そんなに気遣わなくても時間が経てば勝手に
心は癒えると考えたのか?それとも何か企ん
でいるのかな?
もし前者だったらガッカリだ、失望する。
もうパパなんて知らん、おいらに触ろうとし
たら引っ掻いてやるんだから!
*
結論から言って、おいらがパパを引っ掻くこ
とはなかった。だってパパは最高な企てをし
ていたんだもの。
その日は智の方が帰りが早かった。
ソファーで寝ていたおいらに『ただいま、クロ』と声をかけ、智は隣に腰を下ろした。
そのまま、またぼんやりしている。
またチビ助のこと考えてるみたい、まだ淋し
さは埋まらないようだ。
おいらじゃチビ助の代わりはできない。
パパ早く智を慰めろよ!
心の中で帰ってこないパパに悪態をついてい
ると、マンションの廊下から聞きなれた足音
がしてきた。
この家の前で止まったからパパで間違いない
だけど何だか何時もと違う。
普段ならインターホンを鳴らして『智君、帰
ったよ~』と言ってから入って来るのに、今
日はインターホンも鳴らさずに静かにドアを
開けたんだ。
智はパパが帰ったことに全然気付かない、お
いらみたいに耳がいいわけじゃないからな。
キィ……パタン……ドアの閉まる小さな音
パパは気付かれないように入って智を驚かす
つもりなのか?子供の悪戯みたいだな。
ポテポテポテ……
だけど近づいて来たのは別の足音、軽やかに
走って近付いてくる。
開け放たれた扉の向こうにその姿が見えた時
おいらは思わず起き上がった。
何で?!どうして、あいつが?!
ワンッ!!
『しゃとしくん!!』
突如現れたのは数週間前に家に帰ったはずの
迷子の仔犬、チビ助だった。
チビ助は嬉しそうに吠えると智に向かって突
進した。
「えっ?!ええっ!!チビ!!どーして?」
驚く智の膝によじ登りグイグイ身体を押し付
けて喜びを表現している、ブンブン振られる
尻尾は千切れて飛んでいきそうな勢いだ。
「ふふ、驚いた?」
そんな場面にパパが得意気に現れた。
「どういうこと?!なんでチビが??」
「内緒にしてたけど、こいつを家の子にする
話をブリーダーとつけてたんだ」
「マジで?!」
「うん。智君が淋しそうだったから、こいつ
を返してからすぐにね。今まで時間がかかっ
たのは仔犬が社会に順応する力を養う必要が
あったから。生後二ヶ月ぐらいまでは親犬や
兄弟と接して犬同士のコミュニケーション方
法を学ぶんだって。その後に引き渡しになる
って言われてさ」
「そうなんだ……でも、本当にいいの?クロが
いるから駄目って翔くん言ってたよね?」
「ごめん、あれは俺がチビに嫉妬して言った
ことなんだ。しーは優しいからチビと喧嘩も
しないし問題ないよ」
「でも…翔くんはチビが嫌いだろ…?」
「嫌いじゃないよ、ただ智君がチビばかりか
まうから妬いてたの」
「そうだったの?ごめんな」
「これからは俺もかまってね」
「うん、約束する。ありがとう翔くん」
智は笑顔でドヤ顔のパパに抱きついた、抱え
られたままだったチビ助は凄く嫌そうだ。
おいらはそれを見て笑っちまったよ、面白い
のと安心したの両方でな。
これって大団円だよな?
おいらにも弟分ができて、めでたしめでたし
だ。
「智君、もう一つ約束して。前も言ったけど
寝室には絶対に入れないで」
「わかってる、絶対に入れない」
「良かった!じゃあ今晩は存分に俺をかまっ
てくれる?」
「んふふ、チビのお礼に満足させるよ」
「本当?凄く楽しみ」
良かったなパパ。
どうやら今晩は大運動会が決定事項だ。
*
クゥン、クゥン…
『しゃとしくん、しゃとしくん…』
カリカリカリカリ……
暗闇の中パパ達の寝室のドアを引っ掻く音が
聞こえる。
おいらは顔を上げて音のする方を見ると、そ
こにはドアを開けようと必死な金色のモフモ
フがいた。
『……おい、何やってんだ?』
声を掛けるとモフモフは振り返り、おいらに
訴えてくる。
『くろしゃん、しゃとしくんが大変なの!』
『大変?何がだ?』
『あっち側からしゃとしくんの苦しそうな声
がするの!』
『…あ~』
『それからしょーの意地悪な声もして……
きっとしょーがしゃとしくんを苛めてるんだ
ぼくが助けに行かないと!』
『いや、行かんでいい』
『どうして?!』
『う~、どうしてって言われてもな~』
生後3ヶ月ちょっとのモフモフが自然の摂理
を知るのはまだ早いだろう。
『教えてくれなきゃわからないよ!』
『教えなくても今に自分で感じるようになる
んだよ』
『くろしゃん、ぼくに意地悪してるの?』
『してねー』
意地悪しているわけじゃない、ただ自分の口
から話すのが憚れるだけだ。だってこいつは
まだお子ちゃまだもの。
何と言って納得させたらいいか考えあぐねて
いると、寝室から智の『ああっ!』という大
きな声が聞こえた。
『ほらっ!しゃとしくんが苦しんでるっ!
助けなきゃ!ぼくが助けるんだ!』
モフモフはまたキャンキャン吠えながらドア
をカリカリし始めた。
ヤバい、中の二人がこの騒ぎに気付いたら大
変な事になる。愛の行為は中断されて智がモ
フモフを宥めに来る、そしたらパパが不機嫌
になっちまう。
モフモフがこの家に引き取られたのはパパの
おかげだ、これは恩を仇で返すことになる。
おいらはキャットタワーから飛び下り、モフ
モフを落ち着かせるために側へと寄った。
『よく聞いてみろ!智は苦しんでないだろ』
『えっ??』
おいらの言葉を聞き、モフモフは動きを止め
耳をそばだてた。
「智……気持ちいい?」
「…うん、気持ちい……」
聞こえて来たのは甘い声、全然苦しそうじゃ
ない。
『あれっ?どうして??』
モフモフは不思議そうだ。
『どうしてかはお前が大人になったらわかる
ことだ。兎に角智は苛められてねえ、パパが
可愛がってるんだ』
『えっ??しょーが??』
『そーだ、だから邪魔すんな。お前はこっち
に来てろ』
理解不能で首をかしげるモフモフ。
おいらはその首根っこをカプリと咥え引き摺
ってドアから離れた。
『重い……デカい……』
最後に見た時は凄く小さかったのに、短い間
に成長して今じゃおいらより少し小さいくら
いだ。だからもうチビ助と呼べない、大型犬
の成長恐るべし。
『もう子供は寝る時間だ』
やっとの思いでモフモフ用のベットに運び、
おとなしく寝るように言いつけた。
だけどモフモフはおいらを縋るように見てく
るんだ。
『どうした?』
『くろしゃん、一緒に寝てくれる?』
『はぁ?!どうして??』
『ぼく、皆の事を思い出して淋しくなっちゃ
った。夜は兄弟と一緒に寝てたから』
ブリーダーの家に戻ってからはずっと母犬や
兄弟と一緒にいたみたい、突然一匹になった
から心細くなったんだろう。
『……しょうがねえな、一緒にいてやるよ』
そう言ってモフモフの隣で丸くなる。
関わらないようにしていた時と比べたらは考
えられない行動、だけど今はそれが出来る。
だってこいつはこれからずっと一緒に暮らす
んだもの。情をかけてもいいんだ。
『ありがと……くろしゃん』
モフモフがピッタリとくっついて来る、初め
て出来た仲間……温かい熱が心地良い。
『いいよ、おいら達は仲間だからな』
『うん……くろしゃん温かいね…』
すぐにモフモフはうつらうつらし始めた。
おいらも眠くなって来たけど、言っておくこ
とがある。
『お前に言っておくことがある』
『ん?なぁに?』
『おいらの名前はくろじゃねえ』
『えっ?でもしゃとしくんはくろって呼んで
るよ?』
『智は勝手に呼んでるだけで、おいらには別
に名前があるんだ』
『くろしゃんでない?なんて言うの?』
『おいらは…………しーだ』
『しー?しゃん?』
『そうだ、これからはそう呼べ』
『うん。おやすみ、しーしゃん……』
それからすぐにモフモフの寝息が聞こえてき
た。名前の訂正は出来たけど、しーだって実
は本当の名前じゃねえ。
だけどモフモフを混乱させない為にそう言っ
ておいたんだ。
だっておいらの本名は『さとし』、でもそう
言ったら人間の『智』と被るだろ。
紛らわしい名前をつけたパパには思うところ
があるけど、今となっては仕方がない。
『……こいつの名前なんてつけるんだろ?
名前が決まったらモフモフはやめてやるか』
ふあぁぁぁ、ああ眠い。
今日は驚くことがあり過ぎて疲れちまった。
*
「はい、注目!!これからこいつの新しい名
前を発表します!」
翌朝
ぽてんと座るモフモフの後ろに立った智がパ
パとおいらに向かって言った。
「名前決まったの?」
「おう!こいつにピッタリな名前だ。おいら
には此が一番しっくりくる」
「へ~、どんな名前?」
興味深げにパパ訊くと智は手に持っていた紙
を広げて見せた。
そこには〖ジョー〗と達筆な文字で書かれて
いる。
「今日からチビ改め、ジョーだ!」
「ジョー?それが智君的にしっくりくるの」
「そうだよ」
「どんな風に??」
「こいつさ、賢いんだけどどっか抜けてて
ちょっと残念なんだよ。そんな所が翔くんみ
たいで愛おしくて…だけどショーってつける
わけにはいかないから、ジョーにしたんだ」
「えっ???」
褒めてるのか貶されてるのか?
パパは少し複雑そうだ。
だけど愛されてるからいいじゃない。
おいらを〖さとし〗と名付けたのに、本人の
前では恥ずかしくて〖しー〗と呼ぶパパ。
翔くんみたいで愛おしいと言い、だけどショ
ーとは呼べないからと〖ジョー〗と名付ける
智。
似た者同士でお似合いだな。
二人には末長く幸せでいて欲しい、それこそ
おいらがいなくなっても。
ずっと、ずっと、永遠にな。
黒猫
終