お山の妄想のお話です。




大切な人を守る!


そう決めた途端恐怖心がなくなり、勇気が漲

ってきた。

本当に恐ろしいのは智君がいなくなってしま

うこと、だからもうあのナイフは怖くない。


だけど無闇に動くほど馬鹿じゃないから、今

の状況を把握しなくちゃいけない。


智君越しに前方を見た。

そこにはナイフを翳し少しずつ近づく紫陽と

背負っていたバックパックを手に持ち替えて

防御している智君がいる。


二人はお互いから目を離さず相手の行動を窺

っていた。

一触即発、極めて緊迫した状況。

緊張感が半端なく、少しでも隙を見せれば最

悪な事態に発展するのは間違いない。


座った姿勢の智君は不利な立場だけど、立ち

上がる時に生じる死角のリスクを考えたらこ

の体勢でいるしかない。

しかも背後には俺というお荷物まで抱えてい

るから防戦一方にならざるを得ないんだ。


女性だからそれ程の強い力はないと思うけど

研ぎ澄まされたナイフは脅威だ。

…何とかしないと、また智君が傷を負ってし

まう。


智君が一番望んでいるのは俺がこの場から離

れること、だけど俺は智君を守りたい。

よく考えろ、俺に出来ることが必ずあるはずだ。


「智さん、いまならまだ許してあげる。だか

ら私のものになって?」

「  無理  」

「……そう、残念だけど仕方がないわね」


最後の猶予だとばかりの言葉を、智君がすげ

なく返すと彼女の表情は憤怒に変わった。

凄まじい怒気は火焔光背を感じるほどだ。


恐ろしいと感じる反面チャンスだと思った。

彼女の怒りの矛先は完全に智君に向いていて

既に俺は眼中に無い、ノーマークの今なら思

い切った挙に出られる。


俺は一つの手段を思い付いていた。

上手くやれるかは定かでないけど、仮に失敗

したとしても智君が体勢を整える時間稼ぎに

はなるはずだ。


よし、やるぞ!!

自分に喝を入れて、頭の中で教わった事を思

い返した。

それは習い事でミニラグビーをしている友達

が教えてくれたタックル。


その時は適当に聞いていた、だって日常でタ

ックルをするなんてまずないだろ?

だけど今は教えてくれた事を感謝してるよ、

智君を助ける事が出来るんだから。


顎を引き腰を落とす、そして勢いよく大きく

踏み込む。頭は相手の体の外側にくるように

してお腹に向かって飛び込む。


そうイメージして、地面から起き上がると

そっと智君の背後から離れた。

緊張が極限状態に達している二人はそれに気

づかない、この好機は逃せない。


俺は紫陽の斜め前に出ると、思い切り足を踏

み出し彼女の腹目掛けてタックルをした。


「きゃっ!」


全体重を乗せてのタックル。

いくら俺が小柄だと言っても、その衝撃に細

い女性は耐えられない。

彼女はバランスを崩し地面に倒れ込んだ。


「翔!」


智君の声が聞こえたけど、それに答えること

もせずに必死にジタバタと暴れる彼女の動き

を封じていた。


「離せっ!このっ!」


頭上からの怒号、彼女がまだナイフを握って

いたなら刺されてもおかしくない状況。

だけど臆することなく身柄を押さえ続けた。


実際刺されても構わなかった、智君が無事な

らそれで良かったんだ。

でも数秒後、ガツッと鈍い音がして遠くでカ

ンッと金属音がした。


そして紫陽の上半身がうつ伏せにされたと同

時に『ううっ』と低い唸りが聞こえた。

何が起こったのか確かめるために顔を上げる

と、目の前に智君がいて紫陽の腕を背中側に

引っぱり捻り上げている。


これはテレビでよく目にする警察の逮捕術、

相手の動きを封じて拘束するハンマーロック

という関節技だ。


「智君っ!」


智君の無事を見知し、そのカッコ良さに思わ

ず歓喜の声を上げた。


「翔、よくやった……俺が押さえ付けているか

ら警察に電話してくれ」

「うんっ!」


言われた通りにしようと鞄からスマホを取り

出していると、道の方からバタバタと複数の

足音が聞こえてきた。


「大丈夫ですかっ!」


現れたのは数人の警察官、彼等は俺達の状態

を確認すると素早く行動した。

俺は警官に抱えられ智君は警官の肩を借りて

その場を移動する。紫陽は警官数人に押さえ

付けられ、ハンマーロックの体勢で手錠を掛

けられた。


「救急車を呼んでいますので病院へ向かって

下さい。経緯については後程お聞きします」

「はい、わかりました。でも…どうして?」


通報もしていないのに警官が現れたのが俺達

には謎だった。


「近所の方から数件の通報があったんです。

最初は女性が子供に怒鳴っていて虐待のよう

だと、それからすぐに女がナイフで人を襲っ

ていると入って駆けつけました」

「そうだったんですか…」


周辺の住民は騒ぎに無関心かと思っていたけど、警察に通報してくれていたようだ。


「あの、凶器はこのナイフで間違いありませ

んか?」


少し離れた場所から尋かれてそちらを見ると

一人の警官が地面を指差している、そこには

智君の血がついたペティナイフが転がっていた。


「はい、間違いないです。彼女が倒れた後蹴

って手から離させました」

「わかりました」


そんな話をしている間にパトカーと救急車が

到着し、静かな住宅街は騒然となった。

野次馬が周りを囲む中、往生際が悪く暴れる

紫陽はパトカーに押し込められ署に連行され

俺達は救急車で病院へ行き治療を受けた。


俺は擦り傷と打撲で軽傷、智君は肩を数針縫

う怪我で出血の割には傷は浅く、幸い筋肉や腱、神経なども無事だった。


治療後事情聴取を受け、日付が変わる頃やっ

と家に帰る事ができた。



無言のままタクシーを降り家に戻った。


病院へ行ってから家に着くまで智君との会話

は一切なく、俺はどうしていいのかわからない。


智君は怒ってる、だから話をしてくれない…

そう考えたら酷く悲しくて、俺から話しかけ

ることも出来なかった。


それでも自室に逃げ込まず重い沈黙が広がる

リビングに留まっているのは偏に側にいたい

からだ。

智君と向かい合うようにソファーに座り、た

だただ膝の上に置いた手を見ていた。


どのくらいそのままでいたのか、おそらく短

くはない沈黙を破ったのは智君だった。


「………翔………二度と危ないことをするな」


見たことのない険しい表情、厳しい口調だ。


「危ないこと……?」


それはあのタックルのことかな?

だとしたら納得できない。

あれは智君を守るためにしたこと、自分はど

うなってもいいと覚悟してやったんだ。


「そうだ、無謀なことはするな。自分を大切

にするんだ」

「無謀……確かにそうかもしれないけど、あ

の時はそうすべきだと思った。なにをしてで

も智君を助けたかったんだよ!」

「余計な事は考えるな!俺の事は放っていい

んだ!」

「そんな事できない!智君が大切だもの!」

「お前はまだ子供で庇護される側なんだぞ」

「確かに俺はまだ子供で守られる存在かもし

れない。だけどね、俺も男だから愛する人を

守りたいんだ!」









眠くて限界