お山の妄想のお話です。





クツクツと音をたてる鍋、辺りには良い匂い

が漂っている。


初めて自分一人で作った料理。

大好きな人に食べてもらいたくて頑張って調

理した。

とは言っても、野菜を切って煮込むだけのカ

レーなんだけどね。


ご飯は無洗米っていうヤツで水と一緒に炊飯

器に入れて後はボタンを押すだけ、カレーは

野菜を切るくらいで味付けは市販のルー。


智君が作るような凝ったものじゃないけど、

愛情だけは沢山込めたよ。

今も『美味しくな~れ♡』と念じながら焦げ

ないよいにかき混ぜているんだ。



二人の生活に戻ってから一週間が過ぎた。

智君は個展の追い込みで毎日ギャラリー通い

で帰りが遅いけど、夕飯だけは必ず一緒に食

べるようにしている。


ゆっくり話が出来るのはその時だけ、少し寂

しいけど邪魔物がいないだけマシだ。

紫陽さんがいないだけで心が安らぐし、寂し

いのもあと少しの辛抱だから。


今晩はお弁当を買うように頼まれていたけど

内緒でカレーにした。

俺が作ったと知ったら驚くだろうな。

きっと『翔、凄いじゃん!』って褒めてくれ

る。


配膳も勿論俺がやる。

ご飯をよそいカレーをかけ、そして薬味の福

神漬けを乗せお皿を渡す。

白いご飯、茶色のカレー、赤い福神漬け、見

事な色彩の正統派カレーの出来上がり。


ホクホクしながら完成図を想像して、致命的

なミスに気付いた。


「ヤバい、福神漬け買うの忘れた」


スーパーでカレーの材料は揃えたけど薬味の

存在を忘れていた。

どうしよう……福神漬け、冷蔵庫にないし。


時計を見たら20時過ぎ、スーパーはもう閉ま

っている。近くのコンビ二にあるかな?

智君の帰宅予定時間は21時だから、コンビ二

に行っても余裕で間に合う。

俺はどうしても外せない福神漬けを買いに行

くことにした。



コンビニは歩いて5分位の場所にある。

住宅街で夜は人通りが少ないけど街灯が多い

から余り危険は感じないけど、1ヵ所だけ注

意しなきゃならない所があるんだ。


それは小さな公園。

ブランコと小さな子供用のシーソーしかない

本当に小さなものだけど、植え込みに囲まれ

ていて見通しが悪い。


たまにヤンチャな人達が集まっていたりする

から気を付けなきゃいけない。

こんな時間に小学生が一人でいたら絡まれる

かもしれないからね。


公園の近くになったら走ろうと思っていたけ

ど道から中の様子を窺ったら誰もいなかった

ので安心して、そのまま歩いて通り過ぎよう

とした。


そうしたら突然後ろから腕を掴まれ公園に引

き摺り連れ込まれて、勢いのまま地面に倒さ

れたんだ。


「痛っ!」


したたか身体を打ち痛みが走る、それでもす

ぐに上体を起こした。

だって倒れたままだと何をされるかわからな

いし、隙をついて逃げるのもままならない。

身を守るために手を着いた所にあった小石を

握り相手の顔を見た。


ヤンキーか変質者のどちらかだと思っていた

のに、そこにいたのは紫陽さんだった。


「……えっ、紫陽さん?」


彼女は無言で俺を睨み、ひどい悪意も感じた


「智さんに何を言ったの!あなたのせいで会

えないし連絡も取れなくなったのよ!」

「あんたとは相性が悪いし料理も口に合わな

いからもう来てもらわなくていいってお願い

したんだ。連絡が取れないのは智君が忙しい

からだろ」

「なんて余計な事を!私が嫌ならあなたがど

こか他所に行けばいいでしょ!私と智さんの

仲を裂くようなことをしないで!」

「どうしてそうなるんだよ!智君は俺のため

に料理を作ってくれって頼んだんだろ!」

「違うわ!私とすごしたかったからよ!」


鬼の形相で叫ぶ紫陽さん…

俺は彼女が狂っていると感じた。


智君は俺の食事や一人での留守番を心配して

頼んだはずだ。それも週に数回だったのに、

彼女が毎日押し掛けるようになったんだ。


善意からだと信じていた智君は申し訳なく思

っていたみたい、だけど彼女が言うような気

持ちはなかった。

ベタベタしてくる彼女に困惑していたんだ。


紫陽さんはあたかも二人は恋人同士だったか

のような妄想を抱いている。

そしてそれが真実だと疑っていない。

だから『愛し合う二人』を引き裂いた俺が許

せないようだ。


もともと思い込みが激しい性質なのか、心が

病んでそうなったのかわからないけど狂人の

戯言に付き合うつもりはない。


「智君はあんたなんて好きじゃない。よく思

い出してみろよ、好きと言われたりそんな態

度をとられた事が一度でもあった?ないでしょ?智君はあんたを友達以上に見たことなん

てないはずだよ。端から見ていた俺にだって

わかったのに当の本人は全然気付かなかったの?どれだけ鈍感なのさ。そろそろ現実に目

を向けろよ!」


きっちりと事実だけを話した。

俺は嘘なんて吐いてない、智君だって言って

いた事だもの。


「嘘を言わないで!子供に何がわかるって言

うのよ!私たちは愛し合っていたわ、それを

あんたが邪魔したのよ!」

「本当に愛し合ってたなら子供の一言で断ら

れたりしないだろ!智君はあんたより俺のこ

とを大事に思ってくれてるんだ!」


正論を言うと彼女は怒りでワナワナと震えだ

した。どうやらプライドを深く傷つけてしま

ったようだ。


「あなたが、この私より上だって言うの?」

「実際にそうでしょ」


優越感に浸るつもりはない、ただ紫陽さんに

現実を直視させたいだけ。

そしてこんな鬱陶しい行動を止めてもらいた

いんだ、智君に煩わしい思いをさせたくない

から。


「………なんて……生意気なのかしら」


彼女は唇を噛み、怒りで声を震わせた。


「でも……今、やっとわかったわ。解決策を見

つけたのよ」


どっと彼女から黒いものが吹き出すような感

じがして、俺をねめつけるギラギラとした目

には狂気が宿っている。


良くない事が起こる!

そんな直感が働き、彼女から距離をとるため

に尻で後ずさった。


「翔君、あなたがいなくなれば全て上手くい

くのよね?」

「上手くいくって、何が」

「あなたがいなくなれば智さんの心はまた私

に戻ってくるってことよ。わからないの?」

「わからないよ」

「わからないのかぁ、なら仕方がないわね。

だったら教えてあげる、私は今からあなたを

排除します」

「排除?」

「そうよ、あなたは邪魔な存在だもの。智さ

んの側から消えてもらうの」

「あんた何言ってんだよ」

「ね?消えて?」

「ちょっ!」


不気味な笑顔に表情を変えた紫陽さんがジリ

ジリと近付いてくる。

そのただならぬ雰囲気に肌が泡立った。


「施設に戻れってことじゃないの…智さんや

私の目に二度と入らないように…」


彼女は俺に近付きながらバックから何かを取

り出した、手に握られたそれは鈍い光を放っ

ている。


「この世から、いなくなって?」


ニタリと笑い突き出したのはペティナイフ、

先の尖った小型のナイフだ。


「研いであるから切れ味はいいわ。私は料理

研究家だから切るのは得意よ、だけどあなた

すばしっこそうだから一発で仕留めないと駄

目よね?じゃあ、刺そうかな」

「  !! 」


彼女は完全に常軌を逸している、このままだ

と危害を加えられるのは明らかだった。

逃げなきゃ……刃物を持つ相手には抵抗する

より逃げるほうが正解だろう。


隙をついてこの場から逃れて近くの家に助け

を求めようか……

でもすぐに玄関を開けてくれなければ追い付

かれてしまう……


恐怖を感じながらも冷静に努め彼女を観察し

た、洒落たショートコート、その下には膝丈

までのタイトスカート、そしてハイヒールを

履いている。


こんなに走りにくそうな格好なら追い付かれ

ずに、コンビニかその向こうにある駅の交番

まで行けるかもしれない…

考えた末、サッカークラブに所属し走るのに

自信がある俺は目標を交番にした。


交番に駆け込んで状況を話し、この人を逮捕

してもらうんだ。

刃物を持って子供を追いかけたら徒では済ま

ない、きっと拘置所に収容される。


そして刑が確定すれば刑務所か精神病院送り

になってもう俺や智君の前に現れなくなる。

俺にはそれが一番良い方法に思えた。


それには先ず腰をついたこの状態から立ち上

がらなければならない。

でも立った瞬間に刃物を突き出されたら避け

られる自信はない…


どうにか隙を作らなきゃと考えた時、手に握

っている物を思い出した。

………さっき掴んだ小石………

これを投げつければ彼女は怯むはず、その瞬

間に立ち上がり猛ダッシュすれば追い付かれ

る心配はない。


一か八かやってみよう……

俺は覚悟を決め、握っていた小石を彼女目掛

けて思いきり投げつけた。















サイコパス