お山の妄想のお話しです。




ふわり、と意識が浮上しパチリと目を開く。


うっすらと明るい常夜灯の光の下、ぼんやり

辺りを見回してみる。

本棚……勉強机……見慣れた家具たち…

うん、俺の部屋だ。


どうして部屋にいるのか?

確か気持ちが悪くてトイレに行って吐いたは

ずだけど…


その後は……思い出せない…

でもベットにいると言うことは自力で部屋に

戻って来たのかな?

それなら問題ない、智君にさえバレなければ

いいんだから。



今、何時かな?

そういえばお風呂に入ってないし、歯も磨い

てないや。

とりあえず起きよう…

肘を立て身体を起こそうとして左手の違和に

気が付いた。何故か動かせなくて、そして温

かいんだ。


なんだ?と思い見てみると俺の手は誰かに握

られていた。そして、その向こうに布団に突

っ伏す頭があった。

綺麗な手と小さくて丸い頭……ほんのり薫る

甘い香り……


これは俺の大好きな人だ。

でも、どうしてここにいるの?この状況が理

解できないよ。もしかして夢?


「…智君……」


小さな呟きは決して起こそうとしてじゃなか

った、ポロリと口を衝いて出ただけ。

なのに智君はピクリと動き顔を上げた、そし

て俺を覗き込むように身体を寄せて来たんだ


「翔……大丈夫か?」

「えっ?」


至近距離で見た顔はとても緊張していて握ら

れた手にも力がこもった。


「気持ち悪かったりどこか痛い所はない?」


その言葉で理解した、アレがバレたのだと。

多分もう誤魔化せないとも感じた。


「……ないよ、平気」

「ああ、良かった…」


智君はホッと安堵の息を吐き立ち上がると

明かりを点けた。そして机の上にあるペット

ボトルを渡してきた。


「顔色も良いな…倒れてた時は真っ青だった

から凄く焦ったぜ」

「…ごめんね」

「謝んなよ、お前が悪いわけじゃねえだろ」

「……でも…迷惑…」

「だから、やめろって…気にすんなよ」


智君はベットの端に座ると労るように俺の頭

を撫でてくれる。

そして俺が意識を失っている間のことを話し

てくれた。


「翔が凄い勢いで部屋を飛び出したからおか

しいと思ってすぐに後を追ったんだ。トイレ

で吐いてるみたいだったから心配で何度も呼

んだけど返事はないし、鍵がかかっててドア

も開かないしでどうしようかと思ってたら、

そのうち物音もしなくなってヤバいと感じて

ドアを壊して入ったらお前倒れてるじゃん。

血の気が引いたぜ」


吐物が喉に詰まらないように横向けに寝かせ

た後、すぐに知り合いの医師に連絡した、救

急車を呼ぶよりそちらの方が処置が早いと思

ったからだそう。なぜなら医師は二人とも同

じマンションに住んでいたから。


一人は内科医の栗原先生、もう一人は外科医

の渡海先生だ。

二人は智君からの電話ですぐに駆け付け俺を

診てくれ『貧血』と診断した。

安静にして異常があれば受診しろと言われ、

一晩様子をみることにしたらしい。


「二人ともすぐに来てくれて助かったよ、俺

はオロオロするだけで何もできなかった」


そう苦笑いするけど、智君はずっと俺につい

ていてくれたんだろう。


「そんなことないよ……ありがとう」


智君がいてくれるだけで安心だし、凄く嬉し

い。二人きりだととても心が穏やかだ。


「紫陽さんは?」


そう言えば、彼女はどうしたんだろう…

まだ家にいるのなら絶対に会いたくない。


「…紫陽さんには帰ってもらった」

「そう……」


彼女が存在しないことに凄く安心した、智君

の手前流石に『良かった』とは言わなかった

けど。


「…翔、お前さ……紫陽さんと……」


智君は何か言いかけたけれど、俺の安堵の表

情を見て止めたようだ。


「俺と紫陽さんが何?」

「いや、何でもね~今は安静が第一だしな。

朝まで確り眠れよ」


何を言いかけたのか知りたかったけれど、

優しく笑って横になるように促してきたので

仕方なくそれに従った。


俺の首まで布団を掛けて智君は立ち上がる、

このまま部屋を出て行ってしまうのかと思う

と寂しくてつい『智君』と呼んでしまった。


「部屋に行って毛布持って来るよ、今晩は翔

の看病するからな」


俺の縋るような目のせいかそれとも最初から

そのつもりだったのか、智君はそう言って部

屋を出て行こうとする。

今晩は一緒にいられると喜んだがすぐに現実

に戻った、だって智君はさっきみたいにベッ

トに凭れて眠るつもりみたいだから。


「智君、看病って何をするの?」

「ん?お前が苦しそうにしたら汗をふくとか

水分摂らせるとか?」

「熱があるわけじゃないから平気だよ、看病

なんていらない…」

「でもな、お前倒れてるから心配なんだよ」

「俺だって智君が心配だよ、仕事が忙しくて

全然寝てないでしょ?俺の看病なんていいか

ら布団で休んで」


個展の準備や作品作りで一日中忙しい智君に

は出来る限り身体を休めて欲しい。

布団に入ってゆっくり眠って欲しいんだ、こ

れ以上俺のせいで負担をかけたくない…


「そうは言っても、やっぱ離れるのは嫌だ。

心配だもの」


俺を心配して近くにいたいと言う智君、

そんな智君を休ませたくて看病なんていらな

いと訴える俺……

どちらも自分を曲げないから事態が進まなく

て時間だけが過ぎていく…


そんな中、妙案が浮かんだようで智君がポン

ッと手を打った。


「そんじゃ、和室に布団を並べて寝よう。

それなら翔の言うように俺も布団で寝れるし

俺もお前の様子を見れる、それになんだか昔

みたいで楽しいだろ?」

「えっ?!いいの?」

「おう、これ以上の解決策はねぇだろ?」

「うん……」


俺もそれが一番の妥協案だと思って頷くと、

智君は『ちょっくら準備してくる』と楽しそ

うに部屋を出て行った。



客間として使用している和室に布団を並べて

横になった。

一緒の部屋に寝るなんて久しぶりで、なんだ

か母さんがいたあの頃に戻ったみたいだ。

楽しくて取り留めの無い話をしていたけど、

いつの間にか智君が眠ってしまった。


やっぱり疲れているんだね……

俺のせいで余計な心配かけてごめん。


寝顔が見たくて音を立てないように気を付け

ながら近づいた。

安らかな寝顔…だけど前と同じで隈が酷い…

個展を成功させるために頑張っている智君に

これ以上負担はかけられないよね。


紫陽さんのこと…まだ我慢できるかな…

無理でも何とかするしかないのか……

そんな事を考えながら寝顔を眺めていたら、

俺の方を向いていた智君が体勢を変え仰向け

になった。


頭を乗せた枕の位置が変わったからか、後頭

部が下がり顎が上がる形になっていた。

少しだけ開いた唇…そこから零れる寝息に引

き寄せられる。


十も違うと言うのにあどけない寝顔と薄桃の

唇が視界を支配して、いけない考えが頭を過

っていく。


この柔らかそうな唇に触れたい…

…………キス……したい


もうそれだけしか考えられなくて、どんどん

顔を近づけてしまう。

だけど、これはいけない事だと理解もしてい

るんだ。

だって合意の上じゃない、それは犯罪だと思

っていたから。


自尊心が駄目だと止めに入る、だけどまるで

引力のように吸い寄せられるんだ。

頑張って抗っていたけどあの日の紫陽さんを

思い出してしまい、一気にそれが崩れた。


あいつがしたのに、俺が駄目なわけがない。

あいつより俺の方が智君に相応しいんだ…

俺の方が智君を想ってる

あいつが出来て、俺が出来ないなんてありえ

ない………




眠る智君の色香に迷った俺はついにその唇に

己のそれを押し付けてしまった……










万有引力