お山の妄想のお話しです。




夕飯がオムライスだったあの日から度々智君

からあの香りがするようになった。


でも俺より帰りが遅かったのはあの日だけで

他の日は家にいて『おかえり』と言って迎え

てくれたんだ。


だから部屋に誰かが来ていたのかと疑ったけど、香りは智君からしかしなかったから別の

場所で匂いが移るほどの時間一緒にいたこと

になるのだろう。


俺が学校に行っている間に誰といるのか……

甘い香りから一緒にいる相手は女性だと思っ

ている。


昼間に女性と会うなんて、その人とはどうい

う関係なのか……

とても気になっているけど怖くて智君に尋ね

ることは出来なかった。


だって『恋人』なんて答えられたら……

俺…… どうしていいかわからないよ……



「今晩は鮭のムニエルつーやつ作るぞ~」


今日も智君から甘い匂いがする…

この頃はその匂いを嗅ぐだけで、気分が悪く

なり食欲も無くなるようになった。

だけど機嫌良く料理をする智君の姿を見たら

食べたくないなんて言えないよ。


だから普段通りを装って『美味しいね』って

食べるんだ。多分美味しいだろうとは思うん

だけど正直味を感じない、それは智君の味付

けじゃないお店みたいなお洒落な味だからか

もしれないけど。



そんなある日〖肉じゃが〗が出た。

一緒に暮らすようになってから何度も食卓に

のった定番メニューだ。

俺の好物のそれは智君の実家の味付けで、一

寸濃いめのものだった。


だけどその日は見た目も味も全然違っていて

薄味で今までなかった絹さやなんてものが入

っていた。


「今日の肉じゃが……いつもと違うね」


そう訊くと智君は『だろ?』なんて得意げに

言う。


「垢抜けた肉じゃがだろ?薄味だから素材の

味が良くわかるし、この緑の豆が入ったこと

によってボンヤリしていた色が引き締まるん

だよな~」

「そうだね、野菜の味がよくわかる…」

「これまで濃い味だったからさ、これからは

薄味にして素材本来の味を楽しもうと思った

んだ。その方が成長期の翔にはいいだろ」

「これも美味しいけど、俺は前の味の方がい

いな…智君はこれが美味しいって本気で思っ

てるの?」


俺と智君は味覚が同じだから美味しいのも

イマイチなのも一緒な筈、この肉じゃがは上

品過ぎて口に合わないから智君も心から美味

しいと感じてないと思う。


「あ~、実は醤油か七味かけて味を濃くした

いって思った。だけどレシピを教えてくれた

人が子供に濃い味付けは良くないって言って

たからさ」


俺の予想は的中した、やっぱり美味しいと思

ってないんだ。そしてレシピを教えた人の存

在も明らかになった。


「これ、教えてもらったの?」

「うん」

「…今までのお洒落な料理も?」

「そう。レパートリーの幅を広げようと思っ

てさ、色々教わった」


変わった料理が夕飯に出る時には必ず智君か

ら甘い匂いがしていたから、料理を教えてい

たのはその人物だろう。


『どんな人?智君とどういう関係?』


知りたい、でも返ってくる言葉が怖い…

だけどずっとモヤモヤと不安でいるのも嫌だ

から腹を決めて訊く事にした。


「…どんな人に習ってるの?」


『料理教室』という言葉を期待していたけれ

ど、返ってきたのは胸を抉るようなもの。


「ん?まだ駆け出しだけど料理研究家、女優

みたいに綺麗な人だよ」


ニコニコと笑顔で語るのはその人に好感を持

っている証だ。


「どこで習ってるの?その人と二人きりでじ

ゃないよね?」

「二人だよ、それがどうかしたか?」

「料理教室じゃないんだ…」

「違うよ、無償で教えてもらってるし」


そうして智君はその人の事を話し出した。

出会ったのは雑誌の編集部。

絵画だけでなくこの頃はイラストも描き始め

た智君が打ち合わせをしている時に、彼女も

編集部にいたらしい。


お互いの担当から紹介され、彼女が料理研究

家だというので色々と訊いたのが始まり。

その時に教わったのがあのオムライス……


それから雑誌社で会った時や時間が合う時な

どに、彼女のスタジオで料理を習っていたよ

うだ。


「受講料払うって言ったんだけどさ、男手ひ

とつで子供を育てるのは大変でしょうから力

になりますよって言ってくれたんだ。優しい

人だよな」


嬉しそうにその人を褒めるので胸にじわじわ

と不安が募り、嫌な考えが頭に浮かんだ。


「………智君は……その人と付き合ってるの?」


俺の問いに智君はハトマメ状態だった。


「はぁ?!バカ言うな、付き合ってねえよ」

「付き合いたいと思わない?」


自分の首を絞めるような質問だけど、訊かず

にはいられなかった。


「彼女と?それはない。仮に俺にその気があ

っても彼女程の美人が相手にしてくれるわけ

ねーし」


俺モテねーし、と笑う姿には少し安心した。

これまでを思い返しても智君が恋愛に浮かれ

ている様子はなかったから真実だろう。


だからと言って楽観も出来ない、なぜなら彼

女の思惑がわからないから。

男だけでは大変だからという理由だけで、果

してここまでするのか?


詳しく訊けば年齢は智君より少し上で未婚だ

という。今は仕事に全力投球とか言っている

ようだけど、本当かはわからない。


智君は新進気鋭の画家で容姿も整っているか

ら、親切を装って近づいた可能性もある。

利用しようと打算的な考えで近付いたのなら

智君だって気付いて距離を置くだろうけど、

それが恋愛感情だとしたらあなどれない。


その気の無い智君が絆されてしまう危険性が

ある……

性格が良くて女優のような美人がそれとわか

る好意を寄せてきたら、鈍い智君だって何時

かは気づいてその気になってしまうかも…


そうなったら小学生の俺にはどうにも出来な

いよ、指を咥えて見ていることしか…


嫌だ!

智君をとられるなんて考えたくもない!

絶対に許せないよ!!


でも……でも、子供の俺に何ができる……

大人の女性から奪い返すことが俺にできる?

泣いて駄々を捏ねて別れてって騒ぐの?


そうして智君を困らせて……

嫌われるのか……


子供にはどうにもできない。

唯一できるとしたら、智君を俺から奪わない

でと神様に祈るくらいだろう。


それで願いが叶うのなら、何回でも何万回で

も祈りつづけるよ……


いつまでも二人で暮らせますように


欲張りはしません、今は些細な幸せで充分で

す……だから神様、どうかお願いします。






だけど神様なんて、いないんだよね……