お山の妄想のお話です。




母が亡くなったのは小5の時だった。

仕事帰りに乗ったタクシーが飲酒運転の車に

追突された。

双方の運転手は重体、母はそのまま…


俺は一人残された。


病弱で定職に就けない父との結婚を反対され

駆け落ちをした母は祖父母や親戚に絶縁され

ていて、俺が物心つく前に病死した父には身

寄りがなく俺に頼れる人はいなかった。


同僚や友人が集まってくれて何とか母を送る

ことは出来たけれど、俺を引き取ってくれる

所はない……施設に入るしかなかった。


マンションは賃貸だったので明け渡すために

家財道具をすべて処分した。

ガランとした部屋には生活の匂いはなく、母

と暮らした痕跡はもうない。


だけど壁や床に残る傷などを見ると当時の場

面を思い出す。

壁の凹みはヒーローごっこをしてぶつかって

できたもの、床の傷は『10万円貯まる』と書

かれた缶の貯金箱を誤って落とした時につい

たんだ。


その貯金は彼に会いに行く時のために、お小

遣いから少しづつしていたもの…

今それは俺が施設に持って行く荷物の中に入

っているけど、もうそのお金を使う事はない

だろう…


だって施設に入れば自由に外出は出来ない、

それに俺は彼の居場所を知らないんだ。

年に数回、誕生日やクリスマスなどに送られ

てくる葉書は差出住所がバラバラで、最後の

ものは外国だった。


母は知っていたかもしれないけど、亡くなっ

た後では訊く事も出来ない。

唯一彼と繋がっていたここを出てしまったら

もう一生会えないかもしれないな…

母との別れ、彼との別れ、二つを同時に受け

て辛く悲しく奈落の底に落とされたようだっ

た。



施設での生活は最悪だった。

高圧的な態度の職員に命令口調で指図され、

従わなければ頭ごなしに叱られた。

そして子供達の中にはカーストが存在してい

て、中途半端な年齢で入った俺は下の方に位

置付けられ理不尽な扱いをうけた。


職員は俺が従順でないのが気に入らなく、子

供達は施設に入るまでは親と幸せに暮らして

いた俺を妬んでいたのかもしれないな。


性格の捻くれた奴らといても良いことなど一

つもないし、なにより同等に見られるのが嫌

だったから俺は何時も一人でいた。


虚勢を張り一人でも平気なふりをしていたけ

ど、本当は凄く淋しかった。

そんな俺の心を支えていたのは『禍福は糾え

る縄の如し』という母の口癖。


幸せと不幸がすぐに変転する人生の様子を縄

にたとえたもので『今の幸運は永遠には続か

ないだろうから油断するな』と『今が辛くて

も必ず良いことも起こる』という二つの意味

が合わさったもの。

前向きな思考の母の座右の銘だ。


母のように幾つもの困難を乗り越え強くあり

たいと思うから、この言葉を胸に耐えた。

だけどやはり折れそうな時もある…

そんな時は彼から届いた葉書を見る。


それは自作の美しい風景や花などが描かれた

物や観光地のポストカードとか様々だったけど、どれを見ても彼の笑顔が思い浮かんで和

み穏やかな気持ちになれたんだ。

大切な葉書、俺の心の拠り所だった。



ある晩事件が起こった。

風呂から戻って来ると俺の机が荒らされてい

たんだ。筆箱の中身はぶちまけられ、ノート

や教科書も床に落とされていた。


それを見たとき正直『やれやれ』と思った。

以前はクローゼットをやられたことがあった

し、何回も同じ低レベルな嫌がらせしか出来

ない奴らに呆れていたんだ。


奴らが俺に恐怖を与えたいのか、怒らせたい

のかはわからないが相手にしないのが一番良

い選択だろう。

決して怯えたわけではないし屈したわけでも

ない、ただガキなんて相手にしないというス

タンスをとり黙々と片付けた。


「ははは、何してんのお前?ダセェ」

「部屋散らかしたらセンセー達に叱られるぞ

~整理整頓はしっかりやれよ~」


背後から数人が嘲るように声を掛けてきた、

きっとこいつらが犯人だろう。

こんな奴らに付き合うのは時間の無駄

俺は陳腐な台詞を無視して片付けを続けた。


粗方片付け終った時、机の引き出しの鍵穴に

針金が突っ込まれているのに気付いた。

そこは唯一鍵付きの引き出しで大切な物を入

れておくための場所だ。


だから俺も大切な物を入れていた、母の写真

と形見、それと智君からの葉書。

まさかと思って引き出しを引くと簡単に開い

てしまう。

鍵を壊されたのだと悟り慌てて中を確かめる

と母の写真と形見はあったものの葉書が一枚

も残っていなかった。


彼奴等葉書に悪さをしたのか!

まさか破ったりしてないよな!

無惨に引きちぎられた葉書を想像して背中が

冷えた。


もう一度引き出しの中を見てどこにも無いこ

とを確信してから、机の下に潜り隅隅まで探

す。机の下、ベッドの下、タンスの隙間…

ゴミ箱の中も探したけれど見当たらない。


いったい何処に……

部屋の中にないとなると……

そこで窓の異変に気が付いた、閉めておいた

カーテンが中途半端な形になっていて、窓も

少し開いていたんだ。


咄嗟に窓に駆け寄り外を覗くと、地面に何枚

もの葉書が落ちているのが見えた。

一階だったからすぐに窓から飛び降り拾うと

それらはやはり智君からの葉書だった。


泥で汚れてしまった物、クシャクシャに丸め

られたもの……

破れた物がなかったのだけが救いだった。


「何だよ~、その下手くそな絵の葉書がそん

なに大事だったのかよ。だったら捨てるだけ

じゃなくて破って燃やせば良かったな~」

「バカ、火で遊んだりしたら大目玉食うぞ」

「そーだな、じゃあ次は水にぶっ込もうぜ」


窓から身を乗り出し嘲笑う奴ら……

大切な葉書を捨てたのだけでも許せないのに

次は燃やす?水に入れる?ふざけるな!!

カッと腹が熱くなり、体が怒りに震えた。


その時、俺の中で抑えていたものがプツンと

切れる音を感じたんだ。



「櫻井君、あなたは他の施設に移ってもらう

ことになるかもしれないわ」


部屋にやって来くるなり施設長は困ったよう

に言った。

あの晩悪ガキどもの頬を拳で殴って多少の怪

我を負わせた俺は謹慎処分になっていて、素

行が悪いと問題視されているようだ。


俺としたら悪いのは彼奴等だと言い分もあっ

たけれど、ここに愛着があるわけでもないの

でどうでもよかった。


他に行けと言うなら従う、きっと何処も同じ

だろうけど。

でも次の場所では大事な物の保管には気を付

けないといけない。


ここでは奴らにはまだ良心が残っていたようで、母の写真などは無事だったけれど次では

どうなるかわからない。

これ以上宝物を汚されるのは嫌だから、細心

の注意を払わないといけないな。


何を言われても無視し葉書の皺を伸ばす事に

集中する俺に、施設長は深いため息を吐いて

から部屋を出て行った。



何処でも同じ、俺にとっては18歳になるまで

出られない牢獄なんだ。



そんな囚われの俺に一筋の光がさした。

俺を引き取りたいという物好きが現れたよう

なんだ。


名前や性別、必要と思われる情報は一切教え

られなかったけど、ここを出られるならどん

な人でも我慢しようと思った。


施設さえ出られれば何でも出来る、多少の束

縛はあるだろうけど容易に外に行けるからア

ルバイトだって可能になる。

お金を貯めて時が来たらその家を出ればいい

んだ。


仕事につき自立して、智君を探す。

勿論引き取ってくれた人には恩返しはするつ

もりだけどね。


俺を指名で引き取りたいという人がいる。

こんなチャンスは二度と無いだろう、なんと

しても気に入られてここを出るんだ。


そんな想いを胸に応接室のドアをノックする

と、中から『入りなさい』と上機嫌な施設長

の声がした。厄介払いができると喜んでいる

みたいだな。


「失礼します」


礼儀正しく利発に見えるよう、とにかく好感

を持たれるように…

そう心がけ部屋に入ると、扉の横には施設長

がいて離れたソファーには男性の後ろ姿が見

えた。


施設長はニコニコしながら俺の手を引くと、

男性の前まで連れて行った。


「この子が櫻井  翔君です」


紹介するものの男性は俯き顔を上げない。

そんなだと挨拶も出来ないと対処に困って見

ていると、スーツの肩が小刻みに震えている

のがわかった。


震えてる?どうして??

疑問に思っていると、その人は膝の上で握り

しめていた手を上げ俯いたまま目の辺りを拭

ったんだ。


チラッと見たその手……

見覚えがあった、細くて長くて形の良いそれ

は過去に何度も繋いだことのあるものに似て

いる。優しく頭を撫でてくれたあの人の手に

酷似していた。


まさか……でも、違うよな?

だって智君はスーツなんて着ないし、俺が施

設にいる事だって知らないはずだもの。


無駄な期待を持たないようにと頭は否定を繰

り返す、けれと同じくらいに『でも』と願望

が湧く。

だって細い肩や小さな頭、あの頃と色は違う

けど柔らかくホワホワな髪は智君と同じなん

だもの。


声を掛けてみよう、そして顔を見せてもらお

う。智君か別人か確めなきゃ進めないよ。


「……はじめまして、櫻井  翔です…」


俯いて座るその人の前に立ち言った、すると

ゆっくりと顔を上げてきたんだ。

そして明るい光に照らされたその容貌が見え

た時、俺はその人に抱きついていた。


「さと……くんっ!」

「……しょ、しょう…」


嗚咽ではっきり名前を呼べない、その分力一

杯抱きしめた。

涙声で俺を呼びながら、智君もギュッと抱き

しめてくれる。


ああ、やっぱり智君だ…智君だったんだ…

望んでいた人との再会に喜びが溢れて、俺は

智君の胸でわんわん泣いた。



どれ程泣いていたのか、気付くと応接室には

俺と智君だけだった。

施設長は何処に行ったのかと、心地よい胸元

から顔を上げると綺麗な指が俺の前髪をかき

上げた。


「施設の人は出て行っちゃったよ、俺達が大

泣きしてたから気を使ってくれたみたい。そ

れよりもっと顔を見せて、ホントのホントに

翔だよね?」

「翔だよ。智君も本物だよね?」

「うん……だけど、翔がここにいるってことは

姉ちゃんは本当に亡くなったんだね…」


智君は酷く辛そうに言った。

今まで信じたくないと思う気持ちがあったけ

ど、俺との対面で漸く受け入れたようだ。

姉さんとは母のこと、あの頃『亡夫の弟』と

なっていたから智君は母を『姉ちゃん』と呼

んでいたんだ。


「…事故で…突然…」


当時を思い出すと辛くて悲しくて、また涙が

出そうになった。

そんな俺の眦を拭いながら智君は口惜しそう

に言う。


「ごめん、俺がもっと早く知っていたら辛い

時に一人にしなかったのに」

「智君が謝ることじゃないよ…仕方なかった

んだ…」


母が亡くなったのも、俺がここにいるのも智

君のせいじゃない。運命だったんだ。


「仕方なかったなんて言うなよ、無理に納得

しようとするな。お前はまだ子供なんだから

どうして!なんで!って感情を出していいん

だよ」

「……でも…」

「これからは俺がいる、だから無理に大人ぶ

らなくていいんだ。頼り無いかもしれないけ

ど一緒に暮らしてくれるよな?」

「…う…」

「俺は翔に我儘言って、甘えて欲しいんだ」

「いいの…?」

「当たり前だろ!」

「俺、迷惑かけるよ?」


まだ年若い智君が俺を引き取るなんて、絶対

に大変だろう。それでもいいの?


「迷惑?なにそれ?家族なんだからそんなの

ねーよ」


母が居なくなり消えた『家族』という言葉と

優しい微笑みに、また涙が溢れ出す。


「…ずっと一緒にいてくれる?」

「いるよ、翔がもういいって言うまで」

「俺、絶対にそんなこと言わないよ」

「そうかぁ?んふふ、嬉しいなぁ」


そう言って智君はもう一度俺を抱きしめてく

れた。



母の家を出た後、専門学校で学び卒業した智

君はアルバイトをしながら全国を周り絵を描

いていたそうだ。


ある公園に一週間程居続け絵を描いていたら

奇抜な様相の女性に声をかけられ、芸術につ

いて語り合った。何日か会ってその女性は智

君の絵柄と人間性をいたく気に入り、一緒に

海外へ行こうと誘った。


智君は海外に行くのも勉強になるかも…なん

て気軽についていき、そこで女性の正体を知

り驚いたそうだ。


その女性は『前衛の女王』の異名を持つ、と

ても有名な芸術家だった。

彼女や彼女と親交のある芸術家達に学び智君

は才能を開花させ、ヨーロッパでは新進気鋭

のアーティストと称されるまでになった。


その間も俺たちを忘れた事がなく、葉書を送

ってくれていたんだ。

勿論母とは連絡をとっていたけど、母が出し

た条件に従っていたという。


それは『電話は母からかけるのみ』というも

ので、他には『家の近くに来ても寄ってはい

けない』等もあったようだ。

多分それは里心がつかないようにとの母の配

慮、夢を掴んで欲しいとの願いからだったと

思う。


智君はそれに従い連絡を待っていたが、ある

時期を境に母からの電話はなくなった。

当初は仕事が忙しくなったのかな?と思って

いたそうだが、数ヵ月もないと心配になり約

束を破って電話したらしい。


でも繋がることはなく、いよいよおかしいと

思い日本にいる友人に様子を見てきて欲しい

と頼んだ。

そして数日後、友人から連絡で母が亡くなっ

た事を知ったそうだ。


すぐにでも日本に戻りたかったが、依頼され

た仕事を中断することも出来ず一月あまりを

過ごし漸く帰途についた。


興信所で調べさせてあったから俺の居場所は

わかっていて、すぐに引き取ると申し出たけ

れど親族でもなくまだ若い智君には無理だと

断られたそうだ。


しかし智君は諦めず、養育里親研修を受講し

児童相談所の調査、児童福祉審査会の審査を

へて適当と認められ里親に登録。

そして俺を引き取るために申し出てくれた。


「年齢と独身だってのが心配だったけど、な

んとか認めてもらえて良かったよ。駄目だっ

たらやよいちゃんの友達の力を借りようなん

てズルを考えてたんだけどね」


新築のマンションに俺の少ない荷物を運び込

みながら智君は言った。


「前衛の女王のお友達ってどんな人?」

「う?よくわかんない。なんか偉い人っぽか

ったけどね」

「ふ~ん、権力を借りるのか。狡いよね」

「そんだけ必死だったんだよぉ、だけど結果

オーライで不要だった」


俺の事でそんなに必死になってくれたなんて

凄く嬉しくてニヤついてしまった。


そして誓ったんだ、今はまだ子供で力も財力

もないけど、大きくなったら絶対にあなたを

守り幸せにする男になるって。



俺は絶対にずっと一緒にいる、

智君も約束を守ってね。











台風で職場はclose

しかし今日私は元々休み

損した気分や