お山の妄想のお話です。



ここに翔くんがいて、抱き合っている…

良い薫りがして温かくて、目の前には綺麗な

顔が微笑んで俺を見ているのに……

全然信じられないよ…


頭の中も疑問だらけで収集がつかない。

本当に本物の翔くん?

だとしたら何故ここにいるの?

俺に内緒で会いに来てくれた?

カズはこの事を知っていたのか?


翔くんに訊こうとして、取りあえずもう一度

よく顔を見た。勿論再確認のため。

張りと艶がある滑らかな肌、凛々しい眉、そ

の下には大きな瞳、すっとした鼻筋、そして

ふっくらとした唇……


うん、やっぱり翔くん。俺の翔くんだ。

美形だな~と惚れ惚れしていたら、だんだん

と綺麗な顔が近づいてきて唇に柔らかいもの

が触れた。


「 ! 」


翔くんとゼロ距離…

きっとこの柔いものは翔くんの唇…

俺達、キス、してる?


キスと言っても本当に触れているだけなのだ

けど、久しぶりで不意にだったから心臓が

ドキドキして顔が熱くなった。


いい歳したおっさんがこんな事で顔を赤らめ

るなんて恥ずかしい…

羞恥心から翔くんの顔を両手で引き剥がす。


「い、いきなり何すんだよ」

「だって智君が熱い瞳で見てくるから、キス

して欲しいんだと思って。それに俺もしたか

ったしね」


照れ隠しに少し睨むと、翔くんは悪びれもせ

ずに笑った。


「長く離れ離れだった恋人に会ったら、誰で

も触りたいキスしたいって思うでしょ?智君

はそう思わないの?」

「……思うけど」

「だったら…もう少し濃いのしていい?二人

きりだからいいでしょ?」


そう言い返事も待たずに再度顔を寄せてくる

しかし俺は翔くん言葉にひっかかりを感じた

んだ。


『二人きり』?

ここは事務所内だよな?

確かこの部屋の中には新しいagentがいるは

ずで、俺はその人に会うはずたった。

でもいたのは翔くんで……


「agentは?ここにいたはずなんだけど…」


どうしているはずの人がいなくて、いないは

ずの翔くんがいるのか?

翔くんがいたのは凄く凄く嬉しいけど、じゃ

あagentはどこに行った?


今の状況を把握することが難しくて訊くと、

翔くんは困ったような表情をした。


「………その事なんだけど、智君に謝らなきゃ

いけないんだ」

「謝る?俺に?」

「うん……」


翔くんは俺に回していた腕を解くと身体を離

した、そして済まなそうに言ったんだ。


「agentは…俺なの」




智君が可愛かったから突発的にキスしてしま

った。

でも『嫌がられたらどうしよう』なんてビビ

ってしまって、軽く触れるだけにとどめた。

所謂様子見だ。


智君は驚いた様子だけど嫌がる素振りがなく

これはイケるかも!なんて少し調子づいてい

たら顔を掴まれ引き離された。


やっべ、怒らせたかな?!

焦って智君を窺うと頬が赤く染まっていて、

怒りではなく恥じらっている様だったから一

先ず安心。


久し振りで夢にまで見た感触は、とても柔ら

かくて甘かった。このままもう一度、次はも

っと濃厚な恋人のキスがしたい。

そう思ってお伺いをたてたら、智君は突然現

実に戻ってしまった。


agentの存在を思い出したんだ……

途端に俺の心は罪悪感でいっぱいになった。

だってこの二年、智君を謀っていたんだから


………恋人同士の感動の再会は終了だ。

ここからは懺悔の時間、全てを話してあなた

に審判を仰ぐ。


俺にとっては最後の審判。

神はあなた、裁かれるのは俺。

でもあなたはきっと赦してくれる、俺を地獄

に落としたりはしない。


それが分かっている確信的な犯行だけど、罪

はきっちり償うよ。

今後の人生全てを智君に捧げます。

………これって償いにはならないか、だって俺

の意志だもの。



落ち着いて話せるようにソファーに座った。

対峙した怪訝な顔の愛しい人に、包み隠さず

この二年間の出来事を話そうと思う。


「和也君の後釜のagentは俺なんだ」

「……どういうこと?」


そう切り出すと智君の眉間の皺が深くなる。

ですよね、当然の反応です。


「二年前、再会した時にずっと一緒にいるた

めに何をするべきか考えたんだ。俺がこっち

に来るのは必須だと思った。あなたはダンス

で成功しているし、俺がNYの支社に転勤すれ

ば良いと簡単に考えてた。だけど智君は仕事

上全米を廻るでしょ?そうするとやっぱりず

っと一緒は無理なんだ。そんな時和也君からagentを辞めると聞かされて、だったら俺が

代わりにやろうと思ったんだ」

「…どうして話してくれなかったの?」

「甘えたくなかったから。あなたみたいに自

分の力だけで達成したかったんだ」


ひたむきに努力して夢を叶えた智君、俺も同

じ様に己の力であなたの役に立つ仕事につき

たかった。

生活面では言語の壁や習慣の違いで辟易し、

仕事においては差別的な出来事もあって横柄

な態度をとられたりして理不尽さに震えるこ

ともあった。


何度も悔しい思いをしたけど、俺には和也君

という師がいたから実際にはあなた程の苦労

はしていない。

人脈、駆け引き、戦略、全部和也君に教えて

もらったから、己の力だけでとは一概には言

えないけど、限られた時間で任せてもらえる

までになったことは実力だと思いたい。


これであなたと肩を並べて歩ける、だなんて

思うのは自己中で欺瞞かもしれない、だけど

俺にとってその自信は大切なものなんだ。

あなたに負い目を感じず並んで進んで行きた

いから。



俺のマンションで別れてからの事を全部話し

て、それからすぐ近くにいたのに日本にいる

だなんて嘘をついたことを謝った。

そして罪を償うために俺の人生を捧げると智

君に告げたんだ。


智君は最後まで話を聞いてくれた。

だけど、苦い顔をして黙ったままだ。

…やっぱり怒っているのかな、自分勝手が過

ぎると嫌気がさしたのかも。


ビクビクしながら言葉を待っていると、智君

はフーっとひとつ息を吐き出してから困惑し

たように言った。


「翔くんが自分勝手を通したという二年間の

代償がこの先の人生なら、十年我を通した俺

は何回翔くんに人生を捧げれはいいの?」

「…えっ」

「俺は完全に自分のために費やした十年だっ

た。だけど翔くんは俺達の未来のために頑張

ってくれたんだろ?だったら俺が礼を言うの

が筋じゃないの?」

「智君…」

「そりゃあ、会いたくてたまらない時に実は

近くにいたってのは恨めしく思うけど、その

代わりに沢山連絡をくれたから淋しさは紛れ

たし、何時でも翔くんと繋がっているって感

じられたもの」

「うん」

「だからもういい、謝らないで」

「……うん」


やっぱり智君は赦してくれた。

ありがとう、あなたの広い心に感謝するよ。

そして、その美しい魂が汚されないように俺

が必ず守るから。


ずっとずっと二人で手を携えて歩こう。

二人ならきっとどんな困難も乗り越えられる

永遠の幸福が掴めるよ。