お山の妄想のお話です。
智
早い時間に仕事を終えた。
これから家に帰って新しいagentと顔合わせ
になる。
どんな人なのか……少し緊張する。
気難しくなければいいな、でもフランク過ぎ
るのもちょっと……
ビジネスパートナーとして適度な距離を取っ
てくれたらそれでいい。
カズとは兄弟だから結構甘えてしまったけど
新しい人にはそれが出来ないから。
取り敢えず初見はきっちりしよう。
「緊張してるの?」
隣を歩いている相葉ちゃんが俺の顔を覗き込
み言う。
強張った顔をしていたのかな?心配をかけて
しまったみたいだ。
「…うん、初対面だしね。カズの説明だと為
人が全然わからないしさ」
「カズちゃん何て言ってたっけ?」
「イケメンで俺の好みのタイプとか…」
「確かに良くわかんないね」
「やり手みたいだけどさ、やっぱ見た目より
人間性が大事でしょ?これから長く付き合う
わけだし」
「だよね。プライドが高くてすかした奴だっ
たら最悪だものね」
「うん…でも、どんな人でも上手く付き合え
るように頑張ってみる。大人だしね」
「ダメっ!嫌な奴ならすぐ切るべきだよ!!
チームワークが悪ければ良い仕事なんて出来
ないしね。大ちゃんが気に入らない奴ならオ
レがブッ飛ばしてでも辞めさせるから安心し
ていて!」
「頼もしいな~」
乱暴なことを言ってるけど相葉ちゃんはそん
な事はしない、凄く優しいからね。
心配させたのは俺のせいだから、もっとしっ
かりしなきゃ。
例え嫌な奴だとしても仕事だと割り切ればい
いんだ、それでも駄目なら辞めてもらう。
……そうは思ってるんだけど、何故か妙な胸騒
ぎがしてならないんだ。
「オレがついてるから安心して」
「うん」
相葉ちゃんの言葉に頷いたところで部屋に到
着した。中には既に新しいagentがいるはず
だから気を引き締めていこう。
最初が肝心だよ。
翔
胸がドキドキして落ち着かない
当然だ、もうすぐ智君に会えるのだから。
電話では映像を見ていたけど、生身の智君は
二年ぶりだ。
早く会いたい…
あの扉が開きあなたが入って来て、俺を見た
らどんな反応をするかな?
驚き目を見開いて、その綺麗な瞳から喜びの
涙が流れる。
そして俺の胸に飛び込んで来る……
俺はその身体を強く抱きしめるんだ、そして
二度と離さない。
ずっと共に歩けるように覚悟して離れた二年
間、それを無駄になんかしないさ。
今晩は触れ合えなかった時間を補うために、
ずっとくっついていよう。
会話は無くてもいい、抱き合って甘いキスが
できればそれが最高の幸せだ。
そんな事を考えながら応接用のソファーに座
っていた。
常に意識していないと喜びに顔がニヤけ、嬉
しくて妙なステップを踏み出しそうだ。
自分ではかなり顔の筋肉を引き締めていたつ
もりだったけれど、和也君が俺を据わった目
で見ているから失敗しているのだろう。
「翔さん、だらしない顔はよして下さい」
「えっ?キリッとしてない?」
「鏡見なさいよ、ニヤニヤして不細工。薄気
味悪くてとても不愉快です」
「薄気味悪いって、酷いな」
「本当のことですから。そんな間抜けな顔を
見たら智の恋も冷めるでしょうね」
「それはないよ、智君はどんな俺でも愛して
くれる。俺が彼の全てを愛おしく想っている
ようにね」
「……そうだといいですね」
その言葉は和也君には惚気に聞こえたようで
とても嫌そうな顔をされた。
『大好きで大切な兄をこんな奴に…』なんて
思われて、やはりこの件は無かったことにと
なったら大変だ。俺は再び身を引き締めた。
*
「智が到着したようです。もうすぐここに来
ますよ」
連絡があったのかスマホを見ながら和也君が
立ち上がった。
玄関まで出迎えに行くのかと思ったが、彼が
デスクに置かれた鞄を持ったので慌ててしま
う。
「帰るの?!」
「そうですよ、邪魔でしょ?」
「邪魔って……」
「引き継ぎは終わってますからね、もうここ
にいる必要もないし」
「や、新任としての紹介とか…」
「いらないですよ、事務所にあなたがいれば
智だって察しがつくはずです。それに私には
しなきゃいけない事が別にあるんです」
「何を?」
「智と一緒に相葉さんも来ますからね」
「…あ」
浮かれていてすっかり相葉の存在を忘れてい
た、彼は今でも俺にとって厄介な存在だ。
新しいagentが俺だと知れば智君を大切に思
っている彼なら激昂してもおかしくない。
淋しい想いをしている智君の姿を身近で見て
いて、俺を不甲斐ない奴だと思っていただろ
う。それに加え二年もの間智君を騙していた
と知れば怒りは納まらないはずだ。
それはきっと智君の代弁でもある、ならば真
摯に受け止めよう。
二、三発は殴られても文句はない。
「この後の想像がついたようですね。相葉さ
んは智を奪ったあなたを少なからず恨んでま
すし、ここ数年の翔さんの態度には不満があ
るようでしたから」
「…そうだな、その通り。殴られる覚悟は出
来てるよ」
「何を言ってるんです、そんな修羅場智に見
せるわけないでしょ。そうなる前に連れて帰
ります」
「……えっ?」
「この家に入る前に引っ張って行きますから
後は二人で…」
「いいのかい?」
「ここにいてあなた達のイチャイチャを見せ
つけられるのは御免ですからね」
「……感謝するよ」
「それは今後の働きで返して下さい。仕事も
プライベートも智を満足させるのが翔さんの
役割りなんですから」
「ああ」
「では、私は行きます。翔さんはここで待機
していて下さい、じきに智が来ます」
玄関のベルが鳴り智君の到着を知らせると、
和也君は事務所を出て行く。
暫くすると玄関の方から相葉の憤ったような
声が聞こえたがそれはすぐに静かになった。
どうやらここから引き離すのに成功したよう
だ。すると、この部屋に入って来るのはただ
ひとりしかいない。
近づいてくる気配を感じ、俺は立ち上がり扉
の方を向いた。
あの扉が開いた先には愛しい人が……
ほら、もうこんなに近くまで
智
帰宅を知らせるために玄関のベルを鳴らすと
すぐにカズが出てきた。
珍しくお出迎えかな?と思ったら手には荷物
を持っている。
「あ、ただいま…どこか行くの?」
「急用が出来て帰らなきゃならないんです」
「帰るの?!」
「ええ、一刻を争う事態なので」
「待って、中に新しい人いるんだよね?紹介
してくれないの?!」
「私がいなくても挨拶ぐらい出来るでしょ。
子供じゃないんだから」
「でも……」
カズ抜きで上手く出来るか不安に思っている
と、相葉ちゃんがポンと肩を叩き勇気付けて
くれた。
「大丈夫、オレがついてるから安心して!」
そうか、相葉ちゃんがいる。
相葉ちゃんも新しい人とは初対面だもの、二
人でいれば何とかなる。
「何言ってるんです?相葉さんも私と行くん
ですよ」
「へっ?!何で?!」
「あなたにも関わる用事だからです。もう下
に車が来ているはずですから急がないと」
「嫌だよ!オレは大ちゃんと一緒に行くの!
もし相手が変な奴だったら困るだろ、大ちゃ
んを守るのはオレの役目だからねっ!」
「事務所で待っているのは人畜無害な人だか
ら安心して下さい。あなたがいなくても全然
大丈夫です」
「でもっ、オレだって挨拶しとかなきゃ!」
「それは今でなくてもいいです、どうせ長い
付き合いになるんだし」
「そうかもしれないけどっ!」
「とにかく行きますよ。じゃないと馬に蹴ら
れますけらね」
「えっ?馬?馬がいるの?部屋の中に?だっ
たら尚更行きたい!」
「馬鹿ですね、言葉の綾ですよ。つべこべ言
わずに来なさい!」
カズは相葉ちゃんの腕を掴むと引きずるよう
に歩き出した。
相葉ちゃんは暫くじたばた踠いていたけど、
最終的には大人しくついて行く。
普段気にしたことのない二人の間のパワーバ
ランスを見てしまい、少し気まずい思いだ。
玄関の前で呆然とそんな二人を見ていたら、
カズが急に振り返り俺に言った。
「智、しっかりね」
しっかり?一人でもしっかりやれと??
俺ももうすぐ三十路でカズより年上なのにそ
んな風に言われたら情けない気持ちになる。
子供じゃねーとムッとすると、カズは俺を見
て笑った。
それはシニカルなものではなく、慈愛と淋し
さが融合したような複雑な微笑み。
大切なものを手離した…
そんな悲しみを秘めているようにも感じた。
「……カズ?」
その表情が切なくて呼び止めると、カズは手
を払う仕草をした。中で待っているから早く
行けと言うことだろう。
相葉ちゃんもカズの表情に感じるものがあっ
たようで、神妙な様子になると労るようにカ
ズの肩を抱き、小さく俺に手を振ってから歩
いて行ってしまった。
様子がおかしかったカズが気になるけど、相
葉ちゃんがいるから心配はしないよ。
二人は支え合う事を誓ったパートナーなんだ
から。
………俺にだって翔くんという立派なパートナ
ーがいるんだ。何かあったらきっと慰め癒し
てくれる。
だからどんな困難にも立ち向かえる。
よしっ!
俺は両手で頬を挟むように叩き、気合いを入
れると玄関の扉へと向き直った。
困難と呼ぶような大袈裟なものじゃないけど
まずは新しい仕事仲間との対面だ。
カズのお墨付きだから素性もきっちりしてい
るはず、憂うことは何もないんだ。
玄関扉を開け中へと入る。
少し先に見えるのが事務所として使っている
部屋のドア。
さあ、ここを開けて新しく任に就く人と相見
だ。
妙な胸騒ぎを感じながらも、俺はドアをノッ
クした。
Affection