お山の妄想のお話です。
翔
家を飛び出すと、まずタクシーを捕まえるた
めに駅前へと走った。
タクシーの運転手の方が俺より断然病院など
の施設をわかっているからだ。
この辺りの地理に明るくない俺が闇雲に探し
てもすぐには該当する病院は見つからない、
それならプロに頼んだ方が早い。
駅前に着くと運良く空車が一台止まっていた
のでそれに乗り込んだ。
「どちらまで?」
ドアが閉まると年配の運転手が尋ねてくる。
「病院なんですが、何処の何と言う病院なの
かわからないんです。ただ周辺にある建物な
どの形状はわかるんですが…それで運転手さ
んが思い当たる所へ行ってもらえますか?」
なかなかに無茶を言ったが、これまたラッキ
ーなことにベテランドライバーらしく幾つか
心当たりがあったようだ。
「近くにその形の建物と大きな公園がある病
院は……たぶん喜多川総合病院だと思います」
「だったらそこに行って下さい!」
「はい、でも違ったら…」
「他にも心当たりがありますか?」
「もう一つ聖メリー病院というのが公園を挟
んで建っています」
「喜多川が違ったら、そちらに連れて行って
もらえますか?」
「かしこまりました。それでは先ずは喜多川
総合へ向かいます」
「お願いします」
タクシーは病院へ向かい走り出す。
俺はこのまま幸運が続く事を祈った、少しで
も早くさとし君を見つけたいから。
きっと今この瞬間も天国からの誘惑に耐えて
俺を待っているはずだから。
*
「すみません、大野 智さんの病室は?」
喜多川総合病院に着きすぐに受付でさとし君
の病室を訊いた。
ここに入院しているのかも定かではないけど
『大野 智さんはここに入院してますか?』と
訊くより変に疑われないと考えたんだ。
ここにいるとしたら、訪ねてきた俺をさとし
君の知人だと思って病室を教えてくれる可能
性もある。
入院患者にはいない、と言われたら適当に誤
魔化して次に向かえばいいんだ。
「大野 智様ですか?」
受付のお姉さんが俺をジロジロ見ながら言う
怪しい奴だと思われたかもしれない。
「はい、長く入院してるはずなんです。それ
を最近知って、矢も盾もたまらず…」
悲壮感を演出し続けると、受付嬢は俺を気の
毒そうに見てから入院患者を調べ始めた。
騙したことを内心で詫びながら待っていると
モニターを見ていた彼女の視線が一点で止ま
った。
「……大野さんは入院されていますが、面会は
ご家族だけになっています。ですから…」
「そんな……」
「遷延性意識障害ですので、当院では一般の
患者さんのような面会をお断りしているので
す」
「さとし君は面会も出来ないほど酷い状態な
んですか!」
「いえ、容態は安定してらっしゃいますよ。
セキュリティの関係で意識障害の患者さんに
危害を加えられるような事がないようにと、
面会はご家族のみとなっているんです」
「……そんな」
さとし君のいる病院を見つけ出したのに、面
会出来ないなんて…
意識の無い患者への配慮はわかる、病室に患
者しかいない間に問題が起こったら大変だか
ら。患者の安全を第一に考えたらそうなるだ
ろう。
でも俺はさとし君に危害を加えたりしない、
だって愛する人を守るために来たのだから。
それをどうやって伝えたらいいのか……
どんなに考えても浮かばない、まさかさとし
君の魂が恋人で現世に留めておくために会い
に来た、なんて言えないだろ。
それこそ疑念を抱かれ、精神科を受診しろと
言われそうだ。
それでもここで引き下がることは出来ない、
どんなことをしてもさとし君の所へ行くんだ
『友達なんです、どうか教えて下さい』そう
必死に頼み込んだ。
何度断っても受付から動かない俺に受付嬢が
困り果て、助けを呼ぼうとキョロキョロし始
めた。警備員を呼ばれでもしたら、俺は連れ
出され二度と病院内には入れなくなる。
ここは一度退き、自力でさとし君の病室を探
した方が良いのかもしれない…
そう思った矢先、受付嬢が俺の背後に向かい
大きな声を出した。
「婦長!すみません!」
「えっ?あら?どうしたの」
「あの……こちらの方が…」
呼ばれて近づいてきた看護師が受付嬢と小声
で話しだす。ことの顛末を聞かせているんだ
ろう、やはり追い出される前に去った方がい
いのか……
「あなた、大野君のお友達なの?」
「えっ、はい。さとし君は大切な人です」
「そう……会いたいわよね」
「はい」
てっきり『出ていけ』と言われると思ってい
たが、婦長は憐憫の眼差しを向けてきた。
「でも、ごめんなさいね。病院の方針だから
お部屋を教える事は出来ないのよ」
「……そうですか、わかりました…」
やっぱり駄目か…
気落ちした、けれどまだ自力で探す方法が残
っている。
一度ここを離れ他の面会客に紛れて病棟に行
く手段に切り替えよう。
「お手数をかけました」
軽く頭を下げその場を離れようとすると、今
度は婦長が『あっ!』と大きな声を出した。
「あなた、ちょっと待って!今エレベーター
から大野さんが下りて来たわ。面会させても
らえるかもしれないわよ」
「えっ!?」
驚く俺にそこで待ってと言い残し、婦長はエ
レベーターから下りてきたご婦人へ近づいて
行った。
そして此方を見ながら話をし、ご婦人が頷く
と俺を手招いた。
「こちらは大野君のお母さん、あなたの事を
話したら面会を許してくれたわ」
さとし君のお母さん?
言われて見れば面影があった。
「ありがとう、お見舞いに来てくれて。あな
たお名前は?」
「櫻井 翔といいます」
名乗るとさとし君のお母さんは驚いた顔をした。
「あなたが、『しょうくん』なのね」
「……はい?」
「あの子意識は戻らないんだけどね、たまに
呟く事があるの。私は何回か『しょうくん』
ってあなたの名前を聞いたわ」
「本当ですか?!」
「ええ、寝言みたいなものだけど。きっと智
もあなたに会いたいのよ」
やっぱり天は俺に味方をしてくれている。
駄目かと思ったらさとし君のお母さんが登場
して面会が可能になったのだから。
*
案内してもらい病室に入ると、窓の側に置か
れたベッドに愛しい人がいた。
でも今まで俺が見てきたさとし君とは印象が
全然違う……
家にいたさとし君は健康的な肌の色で、頬も
まろくキラキラした優しい目をしていた。
だけど目の前に横たわっているのは、ベッド
のシーツと同じ位白い肌、頬は痩けて……
瞼は閉じられたまま…
これが現実のさとし君……
一年も昏睡状態なのだから痩せているのは当
然なのだけれど俺はショックを受けた、そし
て酷く悲しくなったんだ。
「……痩せているでしょ。ほぼ点滴だけで過
ごしているから。でもね必要な栄養はとれて
いるから心配しないでね」
顔色が変わった俺に、お母さんは安心させる
ように言った。
そしてこの頃は指先や瞼が少し動くこともあ
り、これは良い兆候だろうとも。
「そうですね、必ずさとし君は目を覚ましま
すよ」
「ええ、智は寝坊助なだけで起きない訳じゃ
ないもの…」
寝顔を見ながらしばらく話した。
ご両親は毎日病室に来て語りかけ、さとし君
が目覚めた時困らないようにと間接のマッサ
ージなどもしているそうだ。
さとし君が目覚めるまでまだ時間がかかりそ
うなら、俺もマッサージなどの協力をしたい
と思った。
「私は一度家に戻るけど、しょう君は?」
「しばらくさとし君といてもいいですか」
「ええ、智も喜ぶわ」
病室に入り30分程経った頃、用事があるらし
いお母さんは家へと帰った。
二人きりになると俺は細い指に指を絡ませ握
り、顔と顔を近づけた。
「さとし君、来たよ…」
耳元で話しかけたが反応はない。
「身体に戻れたよね?光に捕まったりしてな
いよね?」
さとし君が言った眩い光を俺は見ることが出
来ないが、触れた肌は温かく呼吸もしている
からあちらに行ってはいないと思う。
「ねえ、どうしたらあなたは目を覚ましてく
れるのかな?どうしたら俺を呼んでくれる?
俺は何をすればいいのか……」
俺が必ず目覚めさせる!なんて意気込んでい
たくせに、いざさとし君を目の前にすると無
力感に襲われた。
大きな病院の治療でも意識が戻らなかったのに、ただの学生に何が出来るというのか…
「さとし君…、さとし…」
唯一してやれるのは、話しかけ、名前を呼び
額や頬を撫でるくらいだ。
「さとし君、俺はここにいるよ」
頬を撫でると、ピクリと瞼が動いたような気
がした。
気のせいか?気のせいだよな…
「さとし君、俺を呼んでよ」
小さな唇を指で辿ると、握っていた指先に少
しだけ力が入ったように感じた。
もしかして、気のせいじゃない?!
「さとし君?」
もう一度呼び掛けると微かに唇が動いた。
これは気のせいなんかじゃない、さとし君は
戻ってこようと頑張っているんだ。
俺の部屋で話した後この病室に戻り、光の誘
惑に負けずに身体に戻ることに成功したのだ
ろう。だけど目覚めるには、まだ何かが足り
ないようだ。
「さとし君頑張って、がんばれ!」
言葉に反応して身体のあちこちがピクリと動
く、さとし君は必死に応えてくれている。
もう少し、あと少しだ、俺が他にしてやれる
ことはないのか?!
言葉を掛けるだけのもどかしさ、どうにかし
てあげたいという焦り。
そんなことで占められた脳内に突然の閃きが
あった。
〖眠り姫を起こすのは何だ?〗
白雪姫や茨姫を眠りから目覚めさせるのは、
いったい何だった?
…………キス
答えは王子のキス。
さとし君はsleeping beautyと呼んで差し障り
ない。俺は王子とは言えないが、それが出来
るのは世界中で俺しかいないはずだ。
きっとさとし君だってそう望んでいる。
混乱した頭で考えたこと、くだらなく安直だ
がそれしかないと第六感が働いたんだ。
……俺は自分を信じる、そしてさとし君も応え
てくれるはずだ。
「さとし君……」
さとし君の頬を両手で包み顔を近づけていく
小さく形の良い唇がすぐ目の前に……
そっと触れたそこはカサカサと乾いていて、
月明かりの下で交わった時とは違う……
プルりとして瑞々しい唇を思うとたまらなく
なって、少しでも潤いを与えたくて舌で舐め
た。
すると少しずつ口も開き、俺は咥内も潤すた
めに舌を這わせていった。
夢中で舐めていると俺の舌に何かが触れた。
弱々しいが意思をもって動いているそれは、
間違いなくさとし君の舌だ。
「 !! 」
驚いて唇を離しさとし君の顔を見ると、白か
った頬がうっすらと桃色に染まり両の瞼の下
では眼球が動いているようだった。
「さっ、さとし君っ!」
叫ぶように名前を呼ぶと、さとし君の唇が動
いた。
「………しょ…………」
聞き取るにも困難な程小さな小さな声だった
けれど、俺にはハッキリとわかった。
さとし君が俺の名を呼んでくれたんだと。
「……さとし君……」
戻って来てくれた、
さとし君が俺のところに………
目頭が熱くなり、すぐにボロボロと涙が零れ
落ちた。
「さとし君……お帰り」
嗚咽を抑え何とか声を絞り出すと、さとし君
の唇が微かに動いて微笑んだ形になったんだ
*
「で、めでたく智君は目を覚まし俺は今まで
ずっと一緒にいたんだ」
「それってマジでぇ??」
「マジだし」
「一緒にいたって、ずっと病院にいたの?」
「うん。ご家族にご了承をいただいて、智君
のお世話してたんだよ。今までご両親が大変
だったから体を休めてもらったんだ」
そう言うと友人達は呆れ顔になった。
「良い結果になったなら連絡ぐらいしなさい
よ!携帯も通じないし私たちは凄く心配して
いたんですよ!」
「ごめん、病院にいたから携帯は切ってたん
だ」
「何古いこと言ってるんです!今は院内でも
通話可能な場所は多いし、病室でもメールは
OKなんですよ!」
「あ~、そうなんだ。ごめん知らなかった。
ま、知っていても智君のお世話が忙しくて連
絡できなかったと思うけど」
「……すっごくデレた顔してるけど、翔さんの
言う〖お世話〗っていったい何だよ」
「えっ?お世話は…色々あんだよ♡」
「………」
「………」
「 ? 」
智君のお世話は沢山ある、でもそれは人には
言えないような事も含まれているんだ。
やっと逢えた恋人同士なんだから、仕方無い
だろ?
二宮と松本は呆れを通り越し剣呑な表情に、
相葉は意味がわからないらしくキョトンとし
ている。
俺は身の危険を感じさっさと戻る事にした、
勿論愛する智君の所へだ。
「じゃ!俺は行くから!部屋の鍵はかけて帰
ってくれ」
数枚の下着や服を手早く鞄に詰めると、その
まま玄関へ走った。
背後から二宮や松本の罵声がするがそんなも
のは無視だ。
今の俺は一刻も早く智君の元に帰らなきゃな
らないのだから。
愛しい人はきっとすぐに動けるようになる。
そうすれば、もう月の満ち欠けに関係無く愛
しあえる…
今度は生身の体で……ね♡
「終わる終わる詐欺」
次の智章で終わり
……たい