お山の妄想のお話です。
目覚めたのはお昼を少し回った時間。
普段なら休日でも昼前には起きているが、昨
夜は久し振りに悪友に会い結構飲んだし仕事
の疲れも溜まっていたんだろう。
「う゛~」
ベットの上で伸びをしてから身体を起こす。
良く眠ったせいか珍しく寝起きがいい、こん
な日は稀で何だか良い予感もした。
ま、俺の良い予感なんて精々自動販売機で当
たりが出る位だろうけど。
昼過ぎだが、清々しい1日の始まり。
取りあえずやるべきことは今日中に済まそう
と決めた。
気分がいい間に物が散乱する部屋の掃除を終え、日用品などの買い物に行こう。
そして明日は一日のんびり過ごすんだ。
海外ドラマを見続けるのもよし、一日中ネッ
トの海を彷徨うのもいいだろう。
侘しいと思われるかもしれないが、恋人がい
ない男の休日なんてそんなものだ。
取りあえず腹拵えと、奇跡的に冷蔵庫に残っ
ていたヨーグルトを食べ部屋の片付けにかか
った。
*
買い物に来たのは百貨店。
そこだけで必要な物が全て揃うし駐車場も併
設されているから便利だ。
まずは紳士服売り場でワイシャツとネクタイ
を購入した。
ついでにスーツも新調しようかとも考えたが
止め、小物を新しくすることにした。
買ったネクタイに合うタイピンを探し数店見
て回ったけれど気に入った物がなく次の機会
にしようと思い始めた時、目の前に老舗の宝
石店が現れた。
良い品物は有りそうだけど値段もそこそこす
るだろう、少し躊躇したが見るだけ見ようと
足を踏み入れた。
落ち着いた雰囲気の店内。
いくつもショーケースが並び其をゆったりと
覗き込んでいる客が数人いるが、そこに店員
が付き従う姿がなくてホッとした。
メンズジュエリーのコーナーに向かい目的の
小物を見て回る。
目についた物はあったけれど、買うのを躊躇
う金額だった。流石老舗、俺みたいな若造に
はまだ敷居が高いようだ。
早々に購入は断念したけれど、こういう店に
はそう訪れることはないから他の商品も見て
回ることにした。見るだけならタダだし、今
後役立つことがあるかもしれない。
女性用のネックレスやピアスを眺め、母や妹
にプレゼント出来そうな物を探してみる。
高額な物が多いけれど、中にはそこそこの値
段の品物も多少はあったから誕生日のプレゼ
ントに贈れそうだ。
リングのコーナーに差し掛かったけれど、悲
しいかな贈る人がいないのでスルーした。
でもある一角でつい足を止めてしまう、
そこにはマリッジリングが並べられていた。
交わす相手もいないのにどうして目に止めた
のか……
自分でも分からなかったけれど、これも何時
か必要な時が来るかもしれないと思い眺めて
いた。
「マリッジリングをお探しですか?」
長いこと眺めていたせいか店員が来てしまった。
買うつもりも無いのにヤバイなと思いながら
も、当てもないのに見てましたと言うのもカ
ッコ悪くて「はぁ」と曖昧に答え苦笑うと店
員はニッコリと笑った。
「こちらには金やプラチナ素材でシンプルな
ものや繊細な細工の入ったもの、宝石等が嵌
め込まれたものもなどを取り揃えてございま
す。お気に召した商品がございましたらお申
し付け下さい」
「……はい」
マジでヤバい、逃げられない…
どう言って店を出ようか内心焦っていると、
店員さんはにこやかに話し出した。
「指輪の丸い形は、永遠に途切れることのな
い愛情を象徴していると御存知ですか?婚約
指輪で『永遠の愛』を約束して結婚指輪は『
永遠の絆』を表すと言われているのです」
「…そうなんですか」
エンゲージリング、マリッジリングという言
葉は知っていたけれどそんな意味があったの
は初耳だ。
今まで結婚なんて意識したことがないから興
味もなかった。
永遠の愛や永遠の絆……
途切れることのない想い……
ショーケースに目をやると、睦まじく二つ並
んだ輝きがあった。
一つは俺、もう一つは……
あの人ならいいな
脳裏にあどけない笑顔が浮かんだ。
別れた頃の姿しか想い描けないけれど、あの
細く形の良い指に俺の手ではめることが出来
たらどんなに幸せだろう。
だけど現在の彼が何処で何をしているのかも
わからないのだから、それは俺の空想、いや
妄想でしかない…
少し悲しい気分になってしまい、店員に適当
に言い店を出ることにした。
「次回はお二人でいらして下さい」
そう見送られ、なんとも答えられないのが切
なかった。
*
買い物も終わり車に乗り込んだ。
まだ3時程だし天気も良い。折角の休日だし鬱々した気分を変えるためにドライブへ出る
ことにした。
普段は公共交通機関での通勤だから車には滅
多に乗らない、だからバッテリーの心配もあ
ったんだ。
食料品は買っていないから遠出でも大丈夫そ
うだ、それならと海を見に行く事にした。
どうせなら綺麗な海が見たい。
ネットで調べてみると二時間もしない場所に
穴場の海岸があることがわかり、そこを目的
地にし車を走らせた。
海に着いたのは夕暮れ時だった。
まだシーズンではないから海岸に人影はなく
ただ波の音だけが響いている。
駐車スペースに入って暫く車内から海を眺め
ていたが、近くで波を見たくなりみぎわへと
向かった。
浜辺にあった大きな石に座り、打ち寄せる波
を眺め考えた。
俺の人生もこんな風にずっと同じループで終
わるのか、それって結構寂しいななんてね。
だけどじっと見ていて気付いたが、一定に寄
せては返すを繰り返しているようでも、それ
は少しずつ形を変えていた。
これは『同じような日常』であっても必ず『
同じ』ではない。
大きな変化ではなくても、小さな変化は日々
起きていると言うことだろうか?
もしかしたら、今この瞬間にも俺にとって予
期していない何かが起こっているのかも……
「まさかなぁ、ンなこと無ぇよな~」
きっとそんな事はないだろう。
あの日から長い時間が過ぎたけれど何も変わ
らなかったように。
あの人が戻ってくればきっと俺の世界は変わ
るのだろうけれど……
当ての無い時を待ち続けるのにも、限界が近
づきつつあるんだ。
ね、智君、そろそろ俺やめてもいいかな。
「ただ待つだけなのは、とても辛いよ…」
この想いが海の向こうに届けばいいのに、
遠い異国のあの人に元に届けばいいのにな…
*
海からの強い風と寒さ、そして暗さに耐えき
れず車に戻った。
朝の『良い予感』は全然外れたようで、良い
ことなんて一つもない。
それでも、もしかしたらなんて駐車場の端に
あった自販機でコーヒーを買ってみたけど勿
論当たりが出るはずもなく、やっぱり今朝の
予感は錯覚だったと確信した。
まあ、一つ良かった事といえば今日一日で
沢山智君を想ったこと。
そして胸の中の想いはあの日からずっと変わ
っていないと再認識したことだ。
運転席に座りエンジンをかけて車内を温めな
がら、コーヒーを飲み一息つく。
そして鞄にスマホを入れっぱなしだったのを
思い出し連絡がなかったか確認すると、悪友
達からラインが来ていた。
佐藤からは『目覚めたら家だったけど、俺は
どうやって帰って来たんだろう??』という
もので、妻夫木からは『今日彼女が家に来て
からずっとイチの話だ、嫉妬心を必死で抑え
ている。もしかして俺は彼女に試されている
のだろうか?』というものだった。
内容からしてどちらにも返信しなくて良さそ
うだとは思ったけど、既読スルーもどうかと
考え簡単に返した。
佐藤には『三人でタクシーに乗り、妻夫木が
お前を家まで送った』と返し妻夫木には『
それも愛の試練だ頑張れ』と送った。
そして帰途につこうとした時に今度はスマホ
に着信がはいった。
画面には『妻夫木』の文字。
ラインを読んでかけてきたみたいだ。
用件はきっと下らない事だろうけど、一応で
てみた。
「お~、どうした?」
『お前今晩も暇だろ?飲みに行こうぜ』
「は?」
まさかの二晩連続の飲みの誘い。
『彼女がさ〖今晩はイチのラジオがあるから
あなたの相手はしてられない〗なんて言うん
だよ~、俺よりイチっつーダンサーを取るん
だぜ?!やってられねーよ。だから憂さ晴ら
しに飲もう!どうせ彼女もいねえし、お前暇
だろ!』
的は得ているが酷い言い種だ、失礼極まりな
い。
「悪いがお前の愚痴を聞いて不味い酒を飲む
つもりはない。他を当たれ」
冷たい言葉で突き放すとヤツは慌てて謝って
きた。
『すまん、酷い言い種だった。奢るから愚痴
を聞いてくれよ』
「反省したならいいが、無理だ」
『どうして!?』
「今は都内にいない」
『は?何処にいるんだ?』
「神奈川県の………海岸辺り。や、もう静岡か
もしれん」
『どうしてそんな所に、まさかデートか?』
「いや、一人だ。車のバッテリーが上がらな
いようにドライブしてたんだよ」
『なんだよ、じゃあすぐに帰って来れないじ
ゃん!』
「ああ、だから無理だ。佐藤でも誘えよ」
『あいつとだとキャバクラに連れて行かれそ
うで嫌なんだ。俺は彼女と別れたくないし』
「我儘だな、兎に角俺は無理だから」
『ちぇっ、頼りにならんな。飲むのが無理で
も愚痴だけは聞いてくれ』
「長く無ければな、簡潔に愚痴れ」
『わかった、簡潔に話す。あいつ昨日イチを
出迎えに本当に空港へ行ったみたいだ。
そこで見たイチが可愛い系イケメンだったら
しくて〖cute!〗〖イチって凄くキュート〗〖駄目!私のハートはイチに奪われたぁ〗な
んて彼氏である俺の前で言うんだぜ!酷いだ
ろ!!』
「ああ、酷いな~」
『それで腹が立って〖俺とイチ、どっちを選
ぶんだ!〗ってキレたら、あいつ即〖イチ♡
〗て言ったんだ。そして〖ブッキー五月蝿い
から家で静かにイチの声を聞く〗って帰っち
まった。彼氏としての俺の立場ってどうなん
だよ!』
スマホからは憐れな男の空しい遠吠えが聞こ
える、妻夫木の話で昨夜のタクシーの運転手
の話を思い出した。
妻夫木の話と照らし合わせても、イチがcute
で凄いダンサーらしいのが分かる。
「まあまあ、落ち着け。只のミーハー根性な
だけだろ。直ぐにお前の所に戻ってくるさ」
『そうかな…』
「お前はどんと構えて待ってろよ」
『………そうだよな、理想より現実だものな』
「そうそう、心配すんな」
『櫻井ありがとな』
「いや、大したことは言ってない」
その後妻夫木との通話を切った。
時計を見ればもう20時少し前だ。
「そういえばラジオって何時からだ?」
妻夫木の彼女や昨日の運転手の入れ込みよう
から、そのイチという人物に興味を持った。
どうせ運転中は音楽を聴く位しかできないの
だから、今晩はその〖cuteなイチ〗の出演す
るラジオを聴きながら帰る事にした。
独身男の優雅な休日