お山の妄想のお話です。
翔
日曜の午後、再び大きな門の前に立つ。
自転車で来たために乱れた髪をぱっぱと整え、身形に乱れはないか確認してからインターホ
ンを押した。
『はい、どちら様でしょうか』
スピーカーから女性の声で問われたので
『先日お世話になった櫻井です』と答えた。
『櫻井様……、智様の御友人の?』
「はい、お世話になったお礼に伺いました」
『少々お待ち下さいませ』
通信はそこで途切れ、俺がインターホンの前
で言葉通りに待っているとギギッという音と
共に門が開いた。
その先には前回玄関で見たお手伝いさんがい
て会釈してきたので、俺も慌てて頭を下げた
「いらっしゃいませ、どうぞこちらへ…」
「あ、はい」
お手伝いに案内されあの広い玄関に着いた。
でもそこには誰もいなくて、俺は焦ってしま
った。
俺のシュミレーションでは門で名乗る→智君
に連絡がいく→智君が門の外に出て来てくれ
るor玄関で出迎えてくれる、だったんだ。
それなのに玄関には智君の姿はない…
「あの、智君は?」
「……智様は外出しておられます」
「あ、そうなんですか……」
智君が留守なんて想定外だった。
以前何気無い会話の中で『休みは家でだらだ
らしてる』と言っていたから、居ると思い込
んでいた。
だから用意した菓子折りは和也君の家に渡し
て、智君には外で何か奢る計画だったんだ。
俺はあの日別れ際に見た智君の悲し気な表情
がずっと気になっていて、今日ここに来たの
もお礼にかこつけ彼に会うためだったんだ。
………語弊があるかもだけど俺的にはデートに
連れ出そうと思っていたんだ。
休日に二人で出かけるなんて初めてだけど、
絶対に楽しめるプランを立てて準備万端で訪
ねたのに…
肝心の智君がいないなんて完全に的外れだ…
「では、これを皆さんで…」
目当ての人がいないなら長居は無用だ。
菓子折りをお手伝いに渡し帰ろうとした時、
二宮家の扉から和也君が飛び出してきた。
「櫻井さん!」
「あ、和也君こんにちは…」
「今日はどうしたの?智に用事?」
「うん、一昨日のお礼に来たんだ」
「そうなんだ、智はまだ出てこないの?」
和也君はニコニコしながら側に来て、そして
智君の部屋の扉を見た。
「出てこないって言うか……」
「智様は外出しておられますよ」
俺が『留守』と言う前にお手伝いが和也君に
説明を始めた。
「え、智いないの?」
「……はい、朝早くからお出掛けになりした」
「朝早くに?釣りに行ったのかな?」
「外出先はうかがっておりません……」
釣り?智君は釣りをするの?そんな趣味があ
ったなんて初耳だ。
「じゃあ何時に戻るかわからないね…」
中々会うことのない兄弟らしいから智君に会
いたかったんだろう、和也君は残念そうに智
君の部屋を見た。
そんな時突然お手伝いが提案してきたんだ。
「…櫻井様、和也様とお話をしながらお待ち
になったらいかがでしょうか?」
「え?」
「それ良い案だね、もっと櫻井さんと話した
いと思ってたんだ」
「え?」
「櫻井さんこの後予定ある?」
「えっと、予定は無いけど…」
「なら俺にまた学校の話をしてくれる?」
智君が留守の時点で予定は無くなった。
だけど智君が留守だからこそ家に上がるのを
躊躇した。
だってお邪魔するのは二宮家になるし、そこ
には智君が嫌うあの女性がいるはずだ。
例えばその人と話なんかしたら智君を裏切っ
た気持ちになるだろう…
智君も気分を害するだろうし、ここは辞退す
るのが妥当だ。
「ご両親がいるだろ?せっかくのお休みにお
邪魔するのは迷惑になるから帰るよ」
「そんな気遣いいらないよ、二人とも出かけ
ていていないもの」
「あ、そうたんだ…」
「朝から一人きりでつまらないし…」
『淋しい』和也くんの表情がそう言っている
ようだった。
彼の顔に智君が重なる…
出会ったばかりの頃、智君は何時もこんな表
情をしてた…
あの頃を思い出して胸が切なくなった。
智君の弟の和也君………
二人の淋しさには違いがあるだろうけど
やっぱり放っておけないよ……
「わかった、でもあまり長くは居れないよ」
「本当に?ありがとう!」
和也君は嬉しそうに俺の手を引いた。
「お茶をご用意しますね」
お手伝いさんも何故か満面な笑顔だった…
智
目が覚めると部屋の中は薄暗かった。
あれ?朝?
いやいや、そんな筈はない。
課題の存在を思い出し焦って始めたのが昨日
の夕方で、それから朝方までかかって仕上げ
たんだから。
枕元に置いたスマホを確認すると、やっぱり
夕方だった。
「うわ~、一日潰しちゃった」
もう日曜の夕方…貴重な休日をほぼ寝て終わ
らせてしまった。
勿体ないことをしたと思ったが、金曜からの
不快さや不安を忘れ没頭出来たし普段の休日
もゴロゴロ過ごしていたのを思い出し結局
『ま、いっか』で落ち着いた。
でも落ち着かないものもあった。
それは空腹を訴える腹の虫で、さっきからグ
ーグーグーグー大合唱だ。
「なんか食い物あったかなぁ?お米は炊いて
ないし、カップ麺は昨日食べたのが最後だっ
た…」
食料事情を思い浮かべ、すぐに食べられるも
のが無いと判断する。
「用意するの面倒だし、コンビニ行くか」
自炊をすっかり切り捨ててコンビニ弁当に決
定した。
一人分を作るより買った方が楽だしコストも
かからないからね。
部屋着のスエットからTシャツとGパンに着替
え、財布を持つと部屋を出た。
玄関で靴を履いていると、後ろから声をかけ
られた。
「智様」
振り返るとそこにお手伝いさんがいた。
俺の外出や帰宅を何時もチェックしているあ
の人だ。
「何か?」
普段外出はモニターでの確認だけなのに今日
に限ってどうしたのかと怪訝に感じながら訊
くと、今まで見たことのない笑顔と共に小さ
なレジ袋を差し出してきた。
「お菓子を頂きましたので、どうぞ」
「お菓子?」
「はい、今日お客様がいらして頂きました。
智様もご存じの方でしたのでお裾分けです」
「……?」
腑に落ちない点がいくつもあったけど、差し
出された物を受け取った。
彼女の意図はわからない、だけど受け取らな
いと動けないと思ったんだ。
「お出掛けですか?お気をつけて…」
彼女そう言い頭を下げ、俺は気味が悪くなっ
て急いで外に出た。
通用口を出てからホッと一息つく
なんとも気持ちが悪い…
いつも無愛想な彼女の笑顔を見てしまったせ
いかな?
それとも不快な含みの言い回しか?
「俺も知ってる人がくれた菓子?」
袋の中を覗くと和菓子の包みが数個入っていた。店舗名は駅前の老舗のものだ。
「和菓子か、渋いチョイスだけど挨拶代わり
なら妥当だな」
俺も知っていて高級な和菓子を手土産に持っ
て訪ねてきた人か。
じいちゃんの知り合いかな?
お手伝いの笑顔は不気味だったが、多分毒は
盛られてないだろう。
菓子には罪はない、そう思い頂くことにして
袋を持ったままコンビニへ向かった。
*
月曜のお昼休み、何時ものように翔くんがや
ってきた。
金曜の事があったから、俺の態度は少しぎこ
ちなかったかもしれない。
でも翔くんは何時もの晴れやかな笑顔だった
「金曜はありがと、それから御迷惑をおかけ
しました」
「またそれ?濡れたのは俺のせいだからって
言ったじゃん。迷惑じゃないよ」
「でも洗濯までしてもらったしさ」
「びしょ濡れだったからね」
「それなんだけど、聞いてくれる?」
「どうかしたの?」
「アイロンまでかけて貰ったでしょ、家に帰
ったら朝と違うパリッとした制服に母親が驚
いて制服の濡れた過程を訊かれたんだ。だか
ら車からの水はねでずぶ濡れになって友達の
家で洗ってもらったって話したらお礼に行け
って言われてさ、土曜は塾で無理だったから
昨日智君家にうかがったんだよ」
「えっ?マジ?」
「マジ、駅前の和菓子買ってさ。だけど智君
留守だったでしょ。お手伝いさんに朝から釣
りに行ったって言われたよ。あなた釣りもす
るんだね、知らなかったよ」
「……え??」
昨日はずっと家にいて寝ていたけど…
それはお手伝いもわかっていたはずだ。
「帰ろうと思ったんだけど、和也君が家から
出てきて学校の事を知りたいって言うから暫
く和也君と話してたんだ~」
「カズと…」
「話してる間に智君が帰ってくるかもって期
待してたけど、夕方になっても戻らなかった
から帰ったんだよ」
「あ、そうなんだ…」
「帰り遅かったんだね。それで成果はあった
の?大物釣れた?」
「………釣れなかったよ。結構粘ったけどボウ
ズだった」
「そっか、残念だったね」
「……うん」
俺は翔くんに話を合わせた、真実を言うより
良いと思ったから。
本当の事を言えば翔くんは、どうしてそんな
嘘をと怪訝に思うだろう。
あのお手伝いは〖二宮家寄り〗の人。
幼い頃からカズの面倒を見てきた人だ…
だから俺が居たにもかかわらず、嘘をついて
翔くんをカズの話し相手にしたんだろう。
彼女はカズのためならそれくらい平気でする
友達がいなくて淋しい思いをしているカズを
思えば嘘を罰することはできない…
「それでね、俺和也君の勉強を見ることにな
ったんだ」
「は?!」
「和也君の志望校ってここでしょ?それに俺
と同じ特進目指してるって言うから、時間の
ある時に入試の過去問でわからないところを
教えることになったんだ」
翔くんの言葉にドクリと胸が鳴った。
「俺も塾があるからたまにだけどね。予定を
合わせるために連絡先の交換もしたんだ」
「…………へぇ」
もう連絡先も交換したんだね…
「でもさ、和也君頭が良いから俺が教えてや
る事なんてないんじゃないかな」
「……………」
俺の胸はジクジクと痛みだした。
これって何回も経験したパターンだよな
カズを知ると、決まって夢中になっていく…
翔くん……
やっぱり、翔くんも…
「それでね、和也君とは連絡先の交換したけ
ど智君とは未だにしてないじゃない。だから
さ今交換しない?」
「……………」
連絡先…?嫌だよ…
この時、翔くんには教えたくないと思った。
教えたってきっとかかってくることはないだ
ろう。
鳴らない電話を待つのは辛いし惨めだ…
カズに夢中の翔くんに俺からかけることも絶
対にないから
「そんなのしなくても学校で会うじゃん…」
「そうだけど、休みの時とかさ…」
「休日は翔くん塾で忙しいだろ、カズの番号
知ってるならカズに言伝ててよ」
「いやいや、和也君には言えないこともある
だろうし、俺はあなたの番号が知りたいよ」
翔くんは必死に俺の番号を訊いてくるけど、
教える気にはなれなかった。