お山の妄想のお話です。




智君に連れられて大きな門の前に来た。


でも表札は〖大野〗ではない。

ここは智君の家じゃないのかな?

じゃあ、誰の家??


立ち止まりそんな事をぼんやり考えている俺

にかまわず、智君は大きな門の横の通用口を

開け中に入って行く。

置いていかれそうで、俺も慌てて門をくぐっ

た。


中に入ると長い石畳があり、その向こうにモ

ダンな日本家屋がある。

その玄関に智君は向かって歩く。


表札は別の名字…

親戚の家にお世話になっているのかな…

だとしたら公園でのダンスは納得できる、い

くら親戚でも家の中での練習は気を使うだろ

うから。


玄関の扉を開けると中は広く、左の隅に女性

が姿勢良く立っていた。


「おかえりなさいませ」


女性はそう言いお座義をする。

上半身を倒す角度は30度、きっちりとした

挨拶と黒ずくめの服…

もしかして、この人はお手伝いさん?


一般家庭では滅多にお目にかかれないレアな

職業。

初めて見る存在をまじまじと見ていると、顔

を上げたその人と目が合った。

彼女はその時初めて俺に気付いたようで驚い

た表情をした。


「悪いけどタオルもらえるかな」

「はい」


濡れ鼠の俺を確認した彼女がタオルを用意し

ようと踵を返した時、左奥にある扉が開いた。


「これを使って」


現れたのは少年で、俺に向かってタオルを差

し出してくる。


「ありがとう…」


お礼を言い受け取ると、少年はニコッと人好

きのする笑顔を浮かべてから智君にもタオル

を渡す。


「智も」

「……ありがと」


人懐こい少年に対し智君の態度は少しよそよ

そしく感じた。

この子はお世話になっている家の子供かな?

だから遠慮がちなのかも。


智君は黙々と服の水滴を拭い、少年はそれを

じっと見つめている。

二人の間にある微妙な温度差を感じながら、

俺も手早く服を拭った。


濡れたタオルを控えていたお手伝いさんに渡

してから家に上がると、智君は『じゃあ…』

と少年に声をかけ右方面に歩き始める。


少年が出てきた扉とは真逆な場所にもう一つ

扉があり、その前で立ち止まると『翔くん、

こっち』と呼ばれた。

俺はタオルを返し少年にお礼を言うと、慌て

て智君の側へと駆け寄った。





「シャワーした方がいいよね」


部屋に入るとバスルームに連れて行かれタオ

ルを渡された。


「あ、ありがと」

「濡れた服は廊下に出しておいて、洗濯を頼

んでおくから。もしかして下着も濡れた?

ならコンビニまで買いに行くけど?」

「えっ?!パンツは大丈夫だよっ!」

「わかった。翔くんが着れそうな服を置いて

おくね」

「迷惑かけてごめんね」

「俺を庇ったから濡れたんでしょ、迷惑なん

かじゃないよ。さ、早くシャワーして」


そう言い残して智君はバスルームを出て行く

もしかしたら廊下で濡れた服を待っているの

かもと思い、急いで制服を脱いだ。



シャワーを浴びながら、これまでの事を考え

た。大きな家、初めて見たお手伝いさん、笑

顔が可愛い人懐こい少年。


そして少年が出て来たのとは違うこの家……

家の中はとても静かで、バスルームまでの廊

下を歩いた際に見えたリビングはシンプルで

片付いていた。


でも何だか妙な感じだった。

整い過ぎていて生活感がないんだ、それに誰

の気配もしない。

昼間だし智君以外の人は仕事とかで留守にし

ているとも考えられるけど、それとは違う気

がする。


どこが違うかと問われても中々言葉には出来

ないけど、無機質で寂しいと感じたんだ。

まるで親しくなる前の智君みたい…

何故かそんな事を思った。





用意されていたジャージを着て廊下へ出ると

話し声が聞こえ、その方向に進むとリビング

で智君が電話をしている姿があった。

誰と話しているのかはわからないけど、困惑

した様子だ。


「……はい、はい、わかりました。では少しだ

けお邪魔します…」


智君は電話を切ると小さくため息をつき、ド

アから中を窺う俺にすまなそうに言った。


「あっちの家からお茶の誘いがあって、翔く

んも一緒に行って欲しいんだ」

「あっちの家って?」

「さっきカズが出てきた方の家だよ」

「カズ??」

「タオルを渡してくれただろ、あれがカズ」

「あ、従兄弟さんの?」

「従兄弟…?違うよ、カズは弟だよ…」

「えっ??」


あの子が智君の弟??


「全然似てないだろ?俺と違ってカズは明る

くて人懐こいんだ」

「ああ、そんな感じだったね」

「気さくで話しも上手いから誰とでもすぐに

仲良くなれる…」


智君は弟の話をしているのに、何故か悲し気

だった。

以前弟とあまり会わないと聞いた事がある。

その時は離れた場所に住んでいて中々会えな

いのだと勝手に解釈していたけど、どうやら

違うみたい。


実際弟のカズ君はこの建物の反対側に住んで

いる、こんなに近くなのに『あまり会わない』なんて変だし、智君のあのよそよそしい態度は弟にするものじゃないだろう。


〖大野〗ではなく〖二宮〗とあった表札も謎

だし、家族なのに別々の棟に住んでいるのは

奇妙だ。沢山疑問に思う事はあるが、それを

智君に訊くのは気が引けた。


この家に入ってからの智君の物憂げな様子を

見たら、訊いてはいけない気がしたんだ。


「俺が行ってもいいの?」

「うん。あっちが招待したのは翔くんだから

ね。俺はオマケだよ」

「そんな…」

「……なんてね!変な事言ってごめん、気にし

ないで」


俺の当惑に気付いたのか、冗談めかして言う

と笑ってみせる。

でもその笑顔は無理して作っているようにし

か見えなかった。


『じゃ、行こうか』と歩き出す智君の足取り

は重く、気乗りしていないのが知れる。

あちらの家に行くのがどうして嫌なのか…

それも訊くことができないまま、俺は黙って

智君の後に続いた。





玄関ホールを突っ切り、カズ君の家の扉の前

に並んで立った。

隣の智君からは緊張感が漂っている。

呼び鈴を鳴らすのを躊躇しているようでもあ

った、きっとこの家に入るのが嫌なんだろう


「俺もう帰るから、お茶を断ろうよ」


嫌な思いをさせたくなくて提案すると、智君

は気を使わせてごめんねって苦笑した。


「カズがね、翔くんと話すのを楽しみにして

るんだ」

「弟君が?」

「うん、カズは家から出ないから話し相手が

欲しいんだよ。だから俺が友達を連れて来る

と必ずお茶に呼ぶんだ」


家から出ない?学校は?また一つ疑問が増えた。


「翔くんには悪いけど、少しの時間付き合っ

てやってくれる?」

「俺でいいなら、かまわないよ」

「ありがと…」


さっきはよそよそしい態度だったけど、やっ

ぱり兄弟なんだな。智君のカズ君を想う優し

さが伝わってきた。


「押すよ」


覚悟を決めた智君の細い指か呼び鈴を押す。

ピンポーンという電子音の後に『どうぞ、入

って』と少年の明るく弾んだ声がした。


声に促されノブに手を掛け扉を開けようとし

ていた智君の動きがふいに止まった。

そして俺に振り返り、小さな声で呟く。


「………くんは、ずっと………れる?」

「え?何?」


声が小さくて良く聞こえなかったから、もう

一度言ってと聞き返したけれど智君からは何

の言葉も返っては来なかった。







『翔くんはずっと友達でいてくれる?』


小さくて不明瞭な音だったけれど、俺には智

君がそう言ったように聞こえた。








おひさ