お山の妄想のお話です。




ブルブルと震える足、座り込むのを必死で堪

えた。

ここで座ってしまったら肉体的にも精神的に

も二度と立ち上がれない気がしたから。


この部屋を通り過ぎてトイレに行く気には到

底なれない、物音や気配であの人が目覚めて

しまうのが怖い。

でも何時までもここに立ち尽くしているわけ

にもいかないんだ。


振り返えると、見えるのはリビングと玄関の

扉……

出来ることならこのまま静かに玄関から出て

行きたい、でも荷物をリビングに置いたまま

だし彼に何も言わずに帰るわけにもいかない

だろう。


そっと寝室から離れ暫し考えた。

寝室の人を知らないフリでリビングに戻り、

用事を思い出したとか適当な理由をつけて帰

るか……

それとも今見たことを櫻井くんに話して、全

てをハッキリさせるか……


…………二択なら、後者だろうな

本心は嫌な事から目を逸らしたいから間違い

なく前者だ、でもそれは一時凌ぎにしかならい。

結局いつかは現実を見ることになる、だった

ら早い方がいい……


まず寝室の人が誰でどんな関係なのかを訊こ

う、そして櫻井くんの『大切な話』を聞いて

それから………俺の想いを……

それは話さなくてもいいかもしれないな……


『大切な話』が片想いの相手と上手く行った

ことでそれがあの眠る人だとしたら、俺の気

持ちなんて迷惑でしかないから。


俺は覚悟を決めて何回か深呼吸をしてから、

リビングのドアノブに手をかけた。





なんとか酒の支度を整えた。

まさかこの家に大野さんが来るなんて思って

いなかったから、ツマミになる物がチーズや

キムチくらいしかなくてコンビニに寄らなか

った事を無茶苦茶後悔した。


初めて来てくれたのに十分な持て成しも出来

ないなんて……

しかも今から大事な告白があるのに、チーズ

とキムチ……


告白が上手くいって、良いムードになって、

大野さんとの初キッスなんて流れになったら

どうする?

キムチ味のキスなんて全然ロマンチックじゃ

ねえよ。


レモンとまではいかなくても、せめて甘い方

が良い。

取引先から貰ったチョコレートがあった事を

思い出しパントリーを漁っていると、背後か

らカチャっとドアの開く音がした。


「すみません、今チョコを探しているんで少

し待っていてもらえますか?」


トイレから戻っただろう大野さんに向けて言

ったが返答がない。

それどころか動く気配も感じられなくて、ど

うしたのかと振り返ってみた。

すると俯き暗い雰囲気の大野さんがリビング

の入り口に佇んでいた。


「大野さん?」


先程はこんな感じではなかったのに?

もしかして具合が悪くなってしまったのだろ

うか?だったらすぐに休ませないと…


「どうしました?気分が優れないとか?酔い

が回ってしまったのかな…」

「  …………  」

「とりあえず座って、水を用意しますから」


大野さんは俺の言葉に反応せず俯いたまま。

明らかにどこかおかしい……


「大野さん?」


心配で呼びかけると彼は何かに耐えるように

ギュッと両手を握り、そしてゆっくりと顔を

上げた。


その表情が悲しみを帯びているように見えて

俺は戸惑った。

トイレに行く前はこんなではなかったのに、

短い間にこの表情をさせる程の何かが起きた

のだろうか?

それは何?気付かぬうちに俺が何かやらかし

たのか??


「どうしたんです?俺、何か気に障ることを

しましたか?」


だとしたらすぐに謝って許してもらわなけれ

ばならない。さもないと今後の計画に響く。


「……櫻井くんは一人暮らしだったよね?」

「はい、そうですが…」


質問の意味がわからない…

一人暮しだと何回も言っているはずだし、今

だって俺達以外誰もいないのに…


「…………合鍵、持っている人……いる?」

「いませんよ、親にも渡してませんし」


まさに大野さんの意図がわからない。

合鍵なんて今まで誰にも渡してないし、唯一

渡したいと思う人はあなただけだ。


「……じゃあ」


大野さんは俺の答えに訝しい表情をし、語気

を強めた。


「寝室で眠っている人は誰?」

「寝室……!!」


そこで彼の言わんとすることが分かった。

そうだ、寝室には領がいる!

でもそれを何故知っているのか?

驚愕に目を見開く俺に、大野さんは少しばつ

が悪そうにした。


「覗くつもりはなかったんだ……ドアが開いて

て、つい…」

「……ああ……」


目覚めて時間を確認した後、寝過ごした事に

気付いて急いで支度をしたんだった…

服を脱ぎ捨て寝室中を散らかして、領もベッ

トに寝かせたまま会場に向かったんだ。


あの時は大野さんが来るとは想像もしていな

いから、部屋のドアだって閉めていなくても

不思議じゃない。

そこを見てしまったのか…


「櫻井くんのプライベートを覗いたりして、

悪いと思ってるよ」


済まなそうに謝ってくれるけれど、大野さん

は悪くない。全部俺の不徳の極みだ。


「でもさ、誰かと一緒に住んでいるならどう

して一人暮しだなんて嘘をついたの?

…櫻井くんの大切な話しって、あの人のこと

なの?」


ああ、やっぱりこうなるのか…

酷い誤解をされている…

このシチュエーションなら当然だろう、でも

ここで何としてでも誤解を解かなければ最悪

な結末が待ち構えている。


誤解を解くには嘘は駄目だ。

この聡明な人をこれ以上騙すなんて愚行は出

来ない。

包み隠さず正直に全てを打ち明けよう。


もしそれで引かれたとしても、『愚かな俺で

すが、あなたを想うが故、愛するあまりの行

為でした』と伝えれば想いを汲み取り必ず許

してくれる。

心の広い大野さんなら、きっと…


そう信じて意を決っした俺は大野さんの前ま

で歩み寄り、己の両手で握り締められた拳を

そっと包んだ。


「大野さん、嘘や偽りのない本当の事を話し

ます。どうか聞いて下さい……」


必死に訴えると、それまで触れ合った手を見

ていた彼が顔を上げ俺を見た。

その目は未だ悲しみの色をしていたけれど、

それでも俺の言葉に頷いてくれる。


「ありがとう。では、話します」


臍を固め、彼の目を見て語りかけた。


「寝室にいたのは……領、です」

「…え?領って猫だったんじゃ…」

「あなたに嘘をつきました、領は猫ではない

んです」





櫻井くんが真実を話すと言い、俺はそれを聞

くことにした。

だって彼の本心が知りたいから。


でも開口一番からショックを受けた、だって

〖領〗は猫ではなくベットで眠る人だと言う

のだもの。

あんなに愛おしそうに語ったのが、猫ではな

く人の事だったなんて…


やっぱり櫻井くんの想い人はあの〖領〗さん

だったんだ。

俺なんかじゃなかった…


そうと分かって、悲しみより虚無感にとらわ

れた。自分が空っぽになったみたい。

本気の恋に破れると皆こうなるのかな…


櫻井くんはまだ話し続けているけど、殆ど頭

に入らないや。