お山の妄想のお話です。
小さな石造りのステージ、その前には数十人
がやっと座れるだけの石の座席。
ステージは木々や背の低い植え込みで囲まれ
よく見なければ存在がわからない。
俺がそのステージを見つけたのは満月の夜、
進学塾の帰りだった。
その日は理解出来なかった数式を講師に訊く
為に授業が終わってから数十分居残っていて
帰りが遅くなったんだ。
10時を大分過ぎてしまい急いで自転車を走ら
せていた。
普段は街灯の多い明るい道を行くのだけれど
その時はどうしても早く家に帰りたくて普段
は通らない公園を突っ切ることにした。
公園と言っても滑り台や鉄棒があるような小
さな児童公園ではなく、芝生や遊歩道がある
広い場所だ。
昼間なんかは子供連れやサボりの営業マンが
芝生やベンチで寛いでいて、夕方はウォーキ
ングやジョギング、犬の散歩をする人々で賑
わっている。
でも夜は人気がない、犬の散歩をする人がた
まにいるくらいの公園なんだ。
高い所や暗い場所が苦手な俺は今まで夜間に
ここを通ることはなかった。
でもその日は満月で何時もより明るく感じて
思い切って通る事にした。
横道から公園に入り、そこそこ広い歩道を自
転車で走る。
誰もいない広い芝生は一寸不気味だ。
小さな池の横を通った時に『水辺には霊が集
まりやすい』なんて誰かがテレビで言ってい
た事を思いだして背中がゾクリとした。
そんなふうにビビりながら自転車を漕いでい
た俺は、突然飛び出してきた小動物に驚きハ
ンドル操作を誤って歩道脇の藪に突っ込んで
しまった。
「痛ってえ」
枝に当たり腕は擦り傷だらけになり、自転車
の前輪は枝が挟まり中々抜け出せない。
「くそっ!最悪だ」
自転車を外そうとジタバタ踠き公園に入った
事を後悔し始めた時、藪の向こうの林から小
さな音がするのに気が付いた。
それはトン、トン、という軽やかな何がが跳
ねているような、得体の知れない物音。
何時もの俺なら関わるのを恐れて場を離れる
が、その時は何故か好奇心が勝り音の正体を
確かめようと思ったんだ。
自転車をその場に置き音のする方に進むと、
木立の向こうからそれは聞こえ静かに枝を掻
き分け進むとそこに石のステージがあった。
そこで見たんだ、
ステージの上で美しく舞う姿を
月明かりに照された細い身体の軽く伸びやか
な動きに魅了された。
トントンというのは石を蹴り飛び上がる音で
その滞空時間の長さは本当に浮いているよう
にも感じらるほど
「凄い……」
月明かりにキラキラ輝く姿、顔はよく見えな
いけれど絶対に美しいと確信していた。
だって、そうだろ?昔から決まっている…
*
「……は?それがお前の深夜徘徊の理由?」
「徘徊とか言うな、俺は目的を持って夜の公
園へ行ってるんだ」
目の前の親友が呆れたように言うのに、俺は
些か憤った。
「目的って?何だよ」
「消えたあの人、ん?人でいいのかな?他の
呼び方がわからんからいいか、消えてしまっ
た人を探すためだ」
「消えた?いや、お前の話を聞いた限り『
逃げた』んだろ?」
「違う!消えたんだ!」
そう、踊るあの人は一瞬で俺の前から消えて
しまったんだ。
あの時、美しい躍りに見惚れていて目の前に
下りてきた子供の拳程の物体に気付けなかっ
た……
「絶対にお前の大声に驚いて逃げたんだよ」
「お前だっていきなりデカイ蜘蛛が目の前に
垂れ下がってたら叫ぶだろ!」
「そりゃあ、叫ぶけどさ。その後驚き過ぎて
ひっくり返ったお前が、立ち上がってもう一
度ステージを見たら居なかったんだろ?
それって相手も驚いて逃げたとしか思えん」
俺は突然目の前に現れた大きな蜘蛛に驚いて
叫び、恥ずかしい事に後ろに倒れ尻餅をつい
たんだ。
「でも直ぐ起き上がったから、一瞬で消えた
んだ」
「……多分それは一瞬ではない。お前が起き上
がるまでたっぷり30秒はかかったはずだ」
「そんなにかかってねえ、一瞬だった!」
「長い付き合いの俺等はお前が意外とどんく
さいのを知ってるんだぞ?絶対に一瞬じゃな
いわ」
佐藤が嘲るように見てくるのを、俺は睨んで
威嚇する。
そんな俺達を交互に眺めながら、その場にい
たもう一人の親友がのんびりと問いを投げか
けてきた。
「一瞬も30秒もどうでもいいけどさ、どうし
てその消えた人が美形だって確信したんだ?
顔ははっきり見えなかったんだろ?」
「顔が見えなくてもわかるだろ、昔からどの
記述にも書かれているし」
「記述?なにそれ」
「伝説とかにも出てくるし」
「伝説?お前何言ってんだよ?」
妻夫木は俺が言わんとすることを察知出来な
いようだ。
だから教えてやったんだ、月明かりの下で見
た美しい者の正体を。
「伝説やお伽噺には妖精は美しいものとして
書かれているだろ?」
あの公園で俺が見たのは絶対に妖精だ
でなければあんなに華麗に舞えはしない。
「あの人はきっと公園の森に住む妖精なんだ
よ、だから一瞬で消えてしまったんだ」
話を聞いた二人は唖然とした顔をしている。
そうだよな、いきなり『妖精』なんて言って
も中々信じられないだろう、でもあの美しい
姿を見たらきっと二人も納得するはず。
「一緒に探すか?お前達も一目見れば妖精だ
と得心するだろうし」
「絶対に嫌だね」
俺の提案を二人は即座に拒否し、それから俺
の額に手を当ててきた。
「熱は無いようだが、お前大丈夫か?」
「勉強のし過ぎでおかしくなったとか?」
「どこもおかしくない!正気だ!」
二人の巫山戯た言い様に腹が立ち、額の手を
払いのけ俺は叫んだ。
「あれは美しい妖精だ!森の妖精さんだった
んだ!!」
教室中に響き渡る声にクラスメイト達が一斉
にこちらを見て何事かと訊いてくる。
俺が二人に話した事を話すと、聞いた皆も親
友と同じ反応だった。
誰も信じてくれず生暖かい目で見られ憤慨す
る俺に、その中の一人が話しかけてきた。
「櫻井……俺、その妖精を知ってるかも」
「えっ!マジ!!」
「ああ、でもそれ多分妖精じゃない」
「どういうことだ」
「凄くダンスが上手くて、夜一人で踊ってる
んだろ?俺もあの公園で見たことがある」
「そうか!やっぱり妖精はいたんだな」
「……櫻井と俺が見たのが同じなら、それは
完璧に妖精なんかじゃないぞ」
「どうして言いきれるんだ?」
「だって俺、そいつが誰か知ってるから」
「えっ??」
そいつの言葉に俺は驚きを隠せない。
「それ、きっと芸術コースの奴で……」
同じ学校なのに初めて聞く名前、
大野 智
それが森の妖精の正体だとそいつは言った。