お山の妄想のお話です。




「ふあ~っ」


チュンチュンと小鳥の囀りで目覚め、大きく

伸びをした。

時計を見ると普段の起床時間よりだいぶ遅く

て、もうダッシュで走り続けなければ遅刻は

確定という時間だった。


翔くんの迎えのない日(修学旅行や林間学校)

なら滅茶苦茶焦っている時刻だけど、今朝の

おいらは余裕綽々だ。


なぜなら今朝は車で送ってもらえるから。

昨夜母ちゃんが『一応病み上がりだし、明日

の朝は車で送ってあげる』と珍しく慈悲の心

を見せたんだ。

おいらに断る理由はなく、有り難くそれを受

けたと言う訳だ。


それでもそろそろ学校へ行く準備をしなけれ

ばならないと、支度を始めるためベットから

下りようとした時に枕の横に置いたスマホが

目に入った。

昨日は翔くんからの返信はなく、どうやら今

朝もないようだ。


「……翔くん」


翔くんはとっくに学校へ行ったんだろう。

この時間まで母ちゃんが起こしに来なかった

ということは、翔くんは家に寄らなかったん

だな…

そりゃそうだ、おいらが『もう迎えは要らな

い』って言ったんだもの来るわけねえ。


わかっているのに淋しいのはどうしてか。

今頃彼女と笑いながら歩いてるんだろうな、

なんて考えると胸が痛いのは……

それは、おいらの叶うことのない想いのせい

だろう。


今から長い間、この淋しさや痛みに苦しめら

れるだろうけどそれも仕方がないこと。

……翔くんの幸せはおいらの幸せなんだから、

耐えて祝福しなくちゃな。



制服を着て鞄を持ち階段を下りる。

洗面所で身支度を整えていると台所から母ち

ゃんの話し声がした。

父ちゃんや姉ちゃんはとっくに出掛けたはず

だから、独り言かな?いやでも誰かと会話し

てるみたいだぞ?


もしかしてテレビと会話する可哀想な人にな

ってしまったのかな…

もう少し母ちゃんとスキンシップを図った方

がいいかもしれない。

そう思いながら台所へと入った。


「母ちゃん、おいらが話し相手になるからテ

レビと話すのよせよ~」

「何言ってんのよ失礼ね、母さんがテレビと

話すわけないでしょ!」

「え~っ、じゃあ独り言?」

「独り言でもないわよ、母さんは翔くんと話

してたの!ね、翔くん」

「 えっ?」


台所に立つ母ちゃんが振り向いて言う。

おいらもその視線を追うと、そこにはダイニ

ングテーブルでお茶を片手に寛ぐ翔くんの姿

があった。


「おはよう智君、元気になって良かった」

「えっ?何で?何で翔くんがいるの?!」


もうここには寄らないはずじゃ……

驚いて訊くと翔くんはニッコリと微笑んだ。


「いつも通り智君を迎えにきたんだよ」

「なんでだよ!おいら迎えはもう…」

「俺はそんなの承諾してないからね」

「でもっ!」


おいらと一緒にいたらきっと嫌な思いをする

し、彼女だって良い気持ちはしないだろう。

それに優先すべきは幼馴染みより彼女じゃな

いのか?


「彼女が怒るぞ……」


あの子の怒りの形相を思い出して嫌な気分に

なった。あまり性格の良い子じゃないと思う

けど、翔くんにとっては彼女だしやっぱり大

事にした方がいいんじゃないかな。


おいらがそう言うと、翔くんは少し困った顔

をして何かを言おうと口を開いた。


「智君、そのことだけど…」

「ええっ!翔くん彼女できたの!」


でも翔くんの言葉を最後まで聞く前に、母ち

ゃんが『彼女』という単語に飛び付いた。


「どんな娘?可愛い?それとも美人系?翔く

んと付き合うなら相当レベルが高いんでしょ

うね~」


歳は?どこの学校?名前は?

矢継ぎ早に質問されて翔くんはタジタジだ。


「おばさん…違うんです」

「え?何が違うの?」

「俺に彼女なんていません」

「でも、智が…」

「智君は勘違いしてるみたいですね」

「そうなの?」

「はい。俺には智君より大切な人なんていま

せんから」

「ふふふ、そうなの?じゃあ智をお嫁に貰っ

てくれる?この子結婚できそうにないし」

「勿論、喜んで」

「いやだぁ、翔くんったら」


母ちゃんと翔くんはおいらをダシに冗談を言

って笑っている。

おいらは二人の会話に苛苛して翔くんを睨み

つけていた。



「あら、もうこんな時間だわ。そろそろ出な

いと遅刻しちゃう。私は戸締りをするから二

人は外で待ってて」


一頻り笑った後、時間に気付いた母ちゃんが

言いおいら達は外に出た。

おいらは苛苛でぶすっとしているのに、何故

か翔くんは機嫌が良い。


「おめえ、何ニヤニヤしてんだよ」

「ふふ、だって智君をお嫁に貰えるんだよ。

そりゃあ嬉しいでしょ」

「いつまでもくだらない事言ってんな!それ

にどうして彼女はいないなんて嘘ついたんだよ、別に知られて困ることじゃないだろ」

「いや、現に今はいないんだ」

「はあ?どういうことだ?」

「別れたから」

「ええっ!何で!」

「まあ、色々あって」


おいらは驚いてまじまじと翔くんを見た。

翔くんは優しい眼差しで、すっとおいらの頭

に手を伸ばし『跳ねてるよ』と髪を撫でた。

優しい動作、熱を出した晩の優しい手と同じ

だ。


やっぱりあれは翔くんだったんだな。

気持ち良さに目を細めながらも、おいらの心

は疑問でいっぱいだった。


あんなに翔くんに好意を寄せていた彼女が簡

単に離れるとは思えない。

本当に翔くんと彼女は別れたのか

それは何時?

だとしたらその理由は何なのか?


………………もしかして、


おいらは二人が別れる理由になり得る事柄に

思い当たった。

もしかして、あの噂のせい?


おいらがホモで翔くんと相葉ちゃんと三角関

係だという噂……

翔くんもホモだと勘違いされてしまったの?

それで彼女にフラれたとか?


だとしたら、おいらどうすりゃいいんだ…

おいらのせいで翔くんの幸せを壊したなんて

あってはいけないことだ。


「翔くん、なんで…」


別れた理由を知りたくて訊こうとした時、タ

イミング悪く母ちゃんが来てしまった。


「遅くなっちゃった。二人とも早く乗って!

飛ばすわよ~」


急かされて車に乗り込むと、車はすぐに走り

出した。


「ごめんね翔くん。一緒に乗っていけば、な

んて誘っておいて遅刻したら洒落にならない

わよね」

「この時間ならまだ余裕ですよ」

「そお?でも途中渋滞でもあったら…」

「この道で渋滞を見たことなんて一度もない

し、仮に遅刻しても生徒会長特権でなんとか

します」

「ええっ!生徒会長特権なんてあるの?凄い

わね~智の旦那様」

「愛する人のためなら事実を捻じ曲げる事も

厭いませんから」

「ふふふ、頼もしいわ~」


母ちゃんと翔くんは、またさっきのノリで巫

山戯始め、おいらはそんな二人に呆れて黙っ

て窓の外を眺めていた。


母ちゃんがいるので翔くんに別れた理由を訊

くことはできない。

学校に着いたら校舎は別だし、訊く機会はな

いだろう。


どうしよう、とっても気になる…

本当においらの噂のせいなら、翔くんや彼女

に謝らなくちゃならないよ。

そして、よりを戻してもらうように彼女に頼

む必要もあるだろう。


それでなくても何が起こるか予測がつかない

校内なのに、新たな問題を抱えて更に気が重

くなった。


……おいら、今日を無事に過ごせるかな…


重い気持ちで流れる景色を見ていたら、髪に

何かが触れた。

顔を上げると、窓の反射で隣に座る翔くんが

見える。


「まだ跳ねてるね」


ガラス越しに目が合うと、翔くんは笑ってま

たおいらの髪を撫で始めた。

跳ねた髪を直すのがそんなに楽しいのかな…


彼女と別れたって言うのに、悲しむ素振りも

ない翔くん。

なんだか翔くんがよくわからなくなった。





胸糞悪い録音を聴いた後に再び女バレーに荒

井先輩を訪ねた。


そしてあの会話を聴いてもらったんだ。

茂部の口から先輩の名前が出たこともあるけ

れど、やはり俺の手が届かない三年の教室で

は智君を護る協力者が必要だったから。


再生中先輩は嫌悪のために綺麗な顔をずっと

歪めていた。

そして聴き終わると、すぐさま録音の声の人

物達を教えてくれたんだ。

そいつらはやはり智君の教室に押し掛けた奴

等だった。


「やっぱりあの子達だったのね、大野君に嫌

がらせをしていたのは」

「この会話ではまだ智君に何かしようとして

いるみたいです」

「そうね…」

「先輩、お願いがあるんです」

「………何かしら?」

「俺は智君を護り切るつもりですが、離れた

場所ではそれは困難です。だから、力を貸し

て頂けませんか?良くない事態が起こりそう

な時に連絡をして欲しいんです」

「……いいけど、連絡をして間に合うの?」

「必ず駆け付けます」

「そう、分かったわ」

「ありがとうございます!」

「でも、私でどうにかできそうなら櫻井君に

は連絡しないから」

「……え?」

「もう忘れたの?私にとっても大野君は大切

な人だからね」

「……はい。覚えています、でも智君は譲れま

せん」


俺は先輩を睨むように見つめた、先輩も俺を

静かに見つめている。

その眼差しは俺の真意をはかっているようで

もあった。


暫く無言で対峙していたが、バレー部の後輩

が先輩を呼びに来たので急いで俺の携帯番号

を渡してそこで別れた。


これで何とかなるだろうか

いや、するんだ

もう誰にも智を傷つけさせはしない。

必ず俺が護るから


学校からの帰り道、何度も何度も誓った。



俺の家の数軒手前

智くんの家の前で立ち止まり二階を見上げる

と部屋の明かりは消えていた。


まだ8時前だけど、もう眠ってしまったのか

な?また熱がぶり返したなんて事がなければ

いいけど…


結局今日は智君にラインを送れなかったな…

でも休んでいるなら、その眠りを妨げたくは

ない。


「智君、明日の朝迎えに行くよ。それまでゆ

っくり身体を休めてね」


俺は智君の部屋の窓に向かいそう呟いてから

自宅へと足を進めた。






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