お山の妄想のお話です。
俺は毎日智君の部屋へと通う。
そして大学でその日にあった事なんかを話す
んだ。
智君は部屋から一歩も出ないしテレビも見な
いから外の世界を知らない。
彼の知る世界は誘拐された日から止まってい
て、悲しいことに智君はそれを知ろうともし
ない。
前に『外に出たくないの?』と訊いたことが
あった。
その時智君に『囲い者のおいらの世界はご主
人様だけ、だからここにいればいいんだ』と
答えられて愕然とした。
『ご主人様』を中心に回る世界なんて、意思
も自我もない言いなりの奴隷と同じじゃないか。きっと隠されていた長い時間に、従順に
なるよう洗脳されてしまったのだろう。
最初の主人は庭までは自由にさせたそうだ、
しかし自分の婚姻を機に森の中の屋敷に閉じ
込めた。
次の主人はずっと薄暗い地下室に幽したまま
だったようだ。
現在の『主人』の俺は智君を奴隷のように扱
う気も、狭い部屋に閉じ込めて自由を奪うつ
もりもない。
できれば街へ出て、外の世界に触れて欲しい
と思っている。
そして買われた『商品』ではなく『大野 智』
という一人の人間に戻って欲しいんだ。
幼い頃の屈託のない笑顔が見たい、気兼ねな
く話せる関係に戻りたい。
あの頃のように対等な立場で俺を好きになっ
て貰いたい…
望むのはそれだけだった。
*
満月の夜、俺は庭へと智君を誘った。
丸く美しい十五夜を二人で愛でたかったから
外に出たがらない智君も、夜の庭くらいなら
一緒に来てくれると思ったんだ。
でも智君は困った顔で出られないと言う。
どうしてなのか理由を尋くと『おいらは日陰
者だから人に見られたらいけないんだ』なん
て頓珍漢な事を言うんだ。
確かに俺はオークションで智君を落札した。
でもそれはやっと見つけた大切な人を誰にも
渡したくなかったからで、男妾にするつもり
なんて毛頭無い。
だから俺にとって智君は『大切な人』であっ
て『日陰者』なんかじゃないんだ。
何回もそう言っているのに中々理解してくれ
ない、見解の相違だな。
でも智君の過ごした過酷な時間を考えれば、
そう思ってしまうのも仕方がないのかもしれ
ない。
「庭には誰もいないから行こうよ、部屋の小
さな窓から見るより綺麗だよ」
「……でも」
「俺は智君と二人でお月見をしたいんだ」
「…翔くん、それは命令?命令なら従うよ」
ほら、智君はまだ俺を『ご主人様』と認識し
ている。違うよ、違うんだよ智君。
俺が欲しいのは言いなりになる人形なんかじ
ゃないんだ。
洗脳が解けるまでまだまだ時間がかかりそう
だけど、俺は諦めない、必ず昔の『大野 智』
に戻してあげるから。
「命令なんかじゃないよ、これはお願い。
俺が一緒に来てって智君に頼んでるの」
「お願い?」
「そうだよ、だから月見が嫌なら断ってもい
いんだ。でも断られたら悲しいな…」
「翔くん…」
「ね、外で見よう?飲み物とお団子を持って
行こうよ。きっと凄く楽しいよ」
「……おいら外に出てもいいの?」
「良いに決まってる。出たいなら出ればいい
んだ、それは智君が決めることなんだよ」
「したいようにしても、いいの?」
「いいよ、誰も咎めたりしないから」
智君は窓から外をじっと見つめた。
外に出てみたいという思いと駄目だと止める
思い、 胸の内で葛藤しているのが見てとれる
鬩ぎ合い苦悩する心
負けないで欲しいと願った。
だってこれは心の解放への第一歩になるはず
だから。
暫くして、智君は窓から俺に視線を移した
そして覚悟を決めたように言ったんだ。
「翔くん、おいらを外に連れて行って」
智君が『大野 智』に戻るために、一歩踏み出
した瞬間だった。
俺は嬉しくて智君を抱き締めたい衝動にから
れたけれど、それをグッと堪えた。
だって抱きしめたりしたら抑えが効かなくな
って、キスとかしたくなる。
俺が欲望のまま突き進めば、智君は総て受け
入れてしまうはずだ。
それは俺と同じ感情だからではなくて、主の
要求に従った事でしかない…
それでは駄目だ、俺の望むものじゃない。
やっと踏み出した足を止めるような行為は厳
に慎まなくてはいけないんだ。
「うん、お月見の支度をして行こう」
飲み物と大学の帰りに買っておいたお団子を
持ち、智君と一緒に庭に出た。
智君は外に出る時に不安からか少し震えた。
だから俺は安心させるために智君と手を繋い
だ、それが恋人繋ぎだったのは大目に見て欲
しい。
智君の手を引き月明かりを進む、目的地は別
棟の裏庭。
そこは日本庭園になっていて茶室もある。
露地から見上げる月は風情があって、お月見
には打って付けだ。
茶室に着くと縁側に並んで座り、空を見上げ
た。
雲のない空に大きくて丸い月がぽっかりと浮
かんでいる、その美しさに俺達は暫くの間見
惚れていた。
「きれいだ…」
感慨深い呟きにそちらを見やると、そこには
月よりももっと美しい人が空を見上げ無邪気
に微笑んでいる。
「月が綺麗ですね……」
そんないとけない姿に我慢できなくなって、
思わず『I love you』と口走ってしまった。
「そうだね、凄く綺麗」
わかってはいたけれどやっぱり智君はこの言
葉の意味を知らないようで、素直な感想が返
ってきた。
少しだけ残念だったけれど、伝わらなくて良
かったとも思う。
いつかこんな回りくどいものではない、率直
な言葉で愛を伝えたい。
その時は『主』と『囲い者』なんかではなくて、『櫻井 翔』と『大野 智』でありたい。
そうなるためにも、智君にかけられた呪縛を
解く必要があるんだ。
そのためには労を厭わない、
必ずもとの智君にもどしてみせる。
「翔くん、本当に月が綺麗だね」
「智君と一緒に見るからでしょう」
美しい月夜、智君の何の含みもない言葉に
他の意味合いの返答をする。
『俺もあなたが好きです』
智君はまだ知らなくていいよ。
今は俺だけわかっていればいいんだ
『死んでもいいわ』
定番