お山の妄想のお話です。
幸せな気分で目覚めた
それはきっと昨夜の夢のせいだと思う。
優しい手がずっとおいらを撫でてくれたんだ
その手は少しひんやりしていて、とても気持
ちが良かった。
夢なのに感触や体温を感じるなんておかしい
よな。
でもさ、その手には覚えがあるんだ。
母ちゃんではない、母ちゃんは結構ガシガシ
くる。それに小学四年生くらいでそういうの
は終わったから。
夢の中の手はそっと触れてきて、なんだか翔
くんっぽい感じだった。
………翔くんが来るはずないのにな
会いたくて夢に見るなんて、願望が半端なく
て笑ってしまった。
*
身体を起こすと熱はひいたのか大分楽だった
これなら学校へ行けるかもしれない。
休んだら昨日の事が翔くんにバレてしまうから、通常を装うには登校しなければならない
だろう。
自分から学校に行きたいなんて思ったのは生
まれて初めてだ。
時計を見るとまだ早く、翔くんの登校時間で
はない。
あれだけ迎えはいらないと言っておいたから
間違っても家に寄ることはないと思うけど、
まさかの事態に備えて母ちゃんに口止めしな
いといけない。
おいらは母ちゃんのいるだろう台所へと向か
った。
階段を下り台所へと近付くと、味噌汁の良い
匂いがして母ちゃんの鼻歌なんかも聞こえて
くる。何故か今朝は機嫌が良さそうだ。
「おはよ」
挨拶をしながら台所に入ると、母ちゃんは驚
いた顔で『あんたどうしたの?!』と言った
「起きたりして大丈夫なの?熱は?」
「熱はまだ測ってないけど大丈夫だと思う」
「とりあえず測って」
「うん」
母ちゃんに言われて体温を測ると、まだ平熱
より高かった。
でももう高熱ではないからなんとか学校に行
けそうだ。
「もう熱はそんなにないから、学校行く」
おいらが言うと母ちゃんは怪訝な顔をして体
温計の表示を見た。
「…まだ少し高いわ、大事を取って今日は休
みなさい」
「大丈夫だよ」
「駄目よ、無理して行ってまた皆に迷惑かけ
たらいけないでしょ」
「うう」
確かに昨日は皆に色々と迷惑をかけた、それ
は申し訳ないと思っている。
もしかしたらまた今日も何かが起こるかもし
れないけど、それは自分で対象するつもりだ
とにかくおいらは翔くんにこんな状況を知ら
れるのが嫌なんだ。
そしてそれを『自分のせい』だなんて思って
欲しくもない。
だから翔くんの前では普段と同じに過ごした
い。
「でも…」
「でもじゃないわよ、休みなさい」
「でもさ…」
「どうしたのよ、普段は学校行きたくないっ
て言ってるのに。今日は何かあるの?」
「ないけど」
「じゃあ休みなさい。それにもう翔君にも言
っちゃったし」
「へっ?!」
急に出てきた『翔くん』に驚いた。
何で翔くん?仮に迎えに来たとしても何時も
より大分早いぞ?
頭の中は疑問だらけだ、でも母ちゃんはそん
なおいらを気にしないで続けた。
「あんたを心配してさっきも来てくれたのよ」
「ちょ、どういう…」
さっきも来てくれた?どういうこと??
「昨日学校帰りに寄ってくれて、今朝も様子
を見にきてくれたのよ」
「マジで?!」
「ええ、昨日はあんたが熱を出したのを知っ
て急いで来たみたいで汗だくだったわよ」
「おいらが熱を出したの知ってたの?!」
「学校で聞いたみたいね」
熱を出した事がバレていたなんてショックだ
った。
自分では翔くんに知られないように、とても
慎重に行動したつもりだったのに……
しかも、おいらが熱で前後不覚の時に容態を
見に家に来たなんて。
おいらの努力は水の泡だ
「……翔くん、なんか言ってた?」
誰に発熱したことを聞いたのかわからないけ
ど、その理由までは知らないでいて欲しい。
「ん?熱を出すなんてもともと具合が悪かっ
たのかとは聞かれたけど、原因不明って言っ
ておいたわ」
どうやら水を浴びせられた事は知られていな
いようでホッとした。
「本当に翔君は良い子だよね、昨日も心配だ
から会わせて下さいって深刻な顔で言うから
少しだけって約束で部屋に通したんだけど、
結構長い間いてあんたを看病してくれてたみ
たいよ」
「翔くんが部屋に来た…?」
「ええ、あんたは眠ってたから知らないでし
ょうけどね」
翔くんが部屋に来て看病してくれた?
もしかしたら、夢だと思っていたあの優しい
手は翔くん?
おいらを優しく撫でてくれたのはやっぱり翔
くんだったんだ。
酷い態度をとって連絡も返さなかったのに、
まだおいらを見捨てないで心配までしてくれ
るなんて本当に良い奴…
本来なら喜べる立場じゃないけど、嬉しくて
ついニヤけてしまった。
そんなおいらを呆れたように見つつ、母ちゃ
んはしみじみと呟いた。
「幼馴染みってだけでこんなに尽くしてくれ
るなんて本当に有り難いことよ。あんたも翔
くんに何かあった時は必ず力になってあげる
のよ」
「わかってるよ…」
それは常に思っているさ
でも、何でも出来る翔くんにおいらがしてや
れることなんて無いんだよ。
今出来るのは翔くんから離れることだけ、
だっておいらのせいで変な噂をたてられてい
るんだもの。
翔くんには彼女がいるから噂はすぐに消える
と思うけど、これを機に『だらしない幼馴染
みの世話をやく』という呪縛を解いてあげな
いとね……
そうすれば煩わしい事がなくなって、翔くん
はもっと自由になれる。
おいらも、離れる事によってこの邪な想いを
封じ込めて浄化出来るし。
とっても辛い事だけど翔くんのためにやり遂
げなきゃ。これがおいらが翔くんにしてやれ
る唯一のことなんだからさ。
「あ、あんた朝ごはん食べられそう?」
おいらがぼんやりしていると、母ちゃん料理
をしながら訊いてきた。
いつも朝はあまり食べられないけど、今日は
全く食欲がない。
「あんまり食べたくない」
「やっぱりね、でもお薬飲まなきゃならない
から少しでも食べないと……お粥か饂飩、プリ
ンもあるのよ」
「プリン?プッチンするやつ?」
たまにスーパーで買ってくるやつかと思って
いたら、母ちゃんはちょっと自慢げな顔をし
た。
「違います、洋菓子店の美味しいやつ。智君
にって翔君が今朝届けてくれたの」
「翔くんが?わざわざ?」
「そーよ、冷蔵庫の中見てごらんなさい」
冷蔵庫を開けると洋菓子店の箱が入っていた
それは翔くんの大好物のプリンを売る店のも
のだった。
「これ……」
「昨日あんたを見舞った後に買いに行ってく
れたみたいよ、沢山あるから皆さんもどうぞ
って。本当に翔君って……」
母ちゃんの機嫌の良い訳はこれだったのか…
翔くんを褒め称える言葉を聞きながら納得し
た。
本当に良くできた幼馴染み、おいらには勿体
ない。自分自身でこんなに感じるんだから第
三者にはもっとそう思われているだろうな。
プリンを一個取り出して眺めた。
飾り気のない素朴なプリン、翔くんのお気に
入り…
このプリンを食べている時の幸せそうな翔く
んの顔が思い浮かぶ。
おいらその表情が大好きだったよ。
「翔くんのバカ、こんな風に優しくされたら
おいらの決心が鈍るじゃねーか…」