お山の妄想のお話です。



上履きから画鋲を剥がして、急いで教室へと

向かった。

階段を一段飛ばしで駆け上がり教室に入った

のは先生よりほんの少し早いくらいだ。


席につき息を整えていると、隣の席の奴が

『どうしたんだ?』と心配してくれて、それ

には『なんでもねえ』と笑って答えておいた



先生の話を聞きながら、ぼんやりと上履きの

画鋲の事を考える。

片方に四つづつ、御丁寧にも両面テープで靴

の底に貼られた画鋲。

悪意しか感じないけど、おいらそこまで人に

怨まれることをしたんだろうか?


いくら過去を振り返ってみても思い当たる節

はなく、原因として考えられるのはやっぱり

例の噂だけ。

真実かもわからない噂で、こんな悪質な嫌が

らせを平気でするなんて人間って恐ろしいと

つくづく思った。




授業中ずっと傷ついた足の裏がジクジクと痛

み我慢出来なくなったおいらは、休み時間に

上履きを脱いでみた。


白い靴下の裏にはぽつりぽつりと血の跡がつ

いていて、多少の出血があったようだ。

『ふはは、流血や~』なんて自虐で苦笑いし

ているとヒョイと菜々緒ちゃんが覗き込んで

きた。


「え?血?どうしたの??」

「……画鋲踏んじまった~」


ついうっかりを装って言った。

きっと『大野くんドジね』って笑って終わる

だろう、だってまさか上履きの中に画鋲がセ

ットされてるなんて思わないものな。


「四つも踏んだの?いっぺんに?」

「う?」


潜めた声に顔を上げると、菜々緒ちゃんが眉

を寄せておいらを見ていた。

どうやら靴下の血の跡を数えて不審に思った

ようだ。


「……うん、廊下に落ちてて……」

「嘘ね。何があったの?」


上履きに画鋲とか、何だかカッコ悪いし余計

な心配もされたくない。

騒ぎにもしたくないから適当に誤魔化そうと

したけど、菜々緒ちゃんには通じなかった。


綺麗な顔の眉間に深い皺が寄り瞳が鋭く光る

何だか翔くんが被って見えた。

翔くんもおいらが隠し事なんかすると、直ぐ

に気が付いてこんな顔をするんだ。

美形が怒ると皆似てくるのか、険しい表情も

格好いい。


そんな事を考えながら菜々緒ちゃんを見つめ

ていた、彼女もおいらを見下ろしているから

まるで見つめ合っているようだ。


「おいっ!そこ!なに見つめ合ってんだ!」

「君たちお付き合いしてるのかな?!」


それに気付いたクラスメイト達が悪巫山戯を

始める。

おいらはそれにうんざりして菜々緒ちゃんに

悪いと思った。だってホモ疑惑のある男とな

んて学校のマドンナの沽券に関わるからな。


「大野くんがイケメンだから見惚れてたの。

それからまだお付き合いはしてないわ、とっ

ても残念だけどね」


悪のりがエスカレートする前に止めさせなく

てはと考えていたら、そんな揶揄に馴れてい

るのか菜々緒ちゃんはサラリとかわした。


おどけた口調だったけど、瞳は鋭いままで

『黙ってろ』と威嚇している。

それがわかったのか、奴等は黙り静かになっ

た。そんな奴等に、ふんっと鼻で息を吐いて

菜々緒ちゃんは再びおいらに向き直った。


「大野くん、それ消毒した方がいいよ。錆び

た画鋲だったりしたらバイ菌が入るから」

「これくらい大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないわよ、破傷風って怖い病気

があるの。保健の先生に見てもらった方がい

いよ、刺さった画鋲も念のため持って行って

ね」


大袈裟だとは思ったけれど、有無を言わさぬ

態度に諦めて保健室に行くことにした。

そういう所も翔くんに似ているから、おいら

逆らえないんだ。




中休みに言われた通り刺さった画鋲を持って

保健室へと向かった。

上履きから取ったあと画鋲を近くの掲示板に

刺しておいたから、それを取ったり廊下を歩

いている間ジロジロと見られる。


殆どは昨日と同じ興味本位や奇異の視線だっ

たけど、今日はその中に敵意や怒りなんかも

感じた。強いて言えばそれは女子から放たれ

ているようだ。


ヒソヒソ話す中から『櫻井君』『生徒会長』

という言葉が聞こえて、昨日の下校時の事が

原因なのが感覚的に分かった。


翔くんはファンが多いからおいらの昨日の態

度が気に入らないんだろう。

だとしたらその反応も当然だ、おいらだって

あれは酷かったと思うもの。





保健室に入ると保健医がふんぞり返るように

椅子に座っていた。


「お前、また寝にきたのか?」


おいらは徹夜で製作した後の日なんかに、よ

く保健室で寝ているから保健医と結構仲が良

い。


「違う、渡海先生消毒してくれ~」

「面倒臭い」


一応画鋲を見せ、踏んで血が出たのを説明し

て治療を頼んだが返ってきたのはぞんざいな

言葉だった。

おいらを治療する気は全くないらしい。


話しによるとこの渡海先生は、以前は手術成

功率100%を誇り『オペ室の悪魔』という通り

名がつく程の天才外科医だったらしい。

それが何故今は学校医なのか甚だ疑問だけど

この横柄な態度をみれば、まあ、色々あった

んだろうと予想がつく。


そんな偉大な外科医にとってこんな傷は治療

するに値しないのだろう。


「じゃあ消毒薬くれ」

「画鋲は新しくて錆びてないから消毒はいら

ねえよ、そこの洗面台で傷口を綺麗に洗えば

大丈夫だ」

「破傷風にはならないの?」

「たぶんな」


いい加減だけど天才外科医の言うことを信じ

て傷口を洗うことにした。

渡海先生は片足で立ち、グラグラ揺れながら

足の裏を洗うおいらを面白そうに見ている。


「なぁ大野、それうっかり踏んだんじゃねえ

だろ?」

「……そうだよ」

「上履きに画鋲、陰険だな。誰の仕業か見当

はついてんのか?」

「さあ…わかんね」

「俺の予想だと生徒会長さまの熱狂的なファ

ンだな」

「翔くんの?どうして?先生何か知ってるの?」

「まあな、色々噂は流れてくるし」

「どんな噂?教えてくれ」


そうだなと先生は話してくれた。


おいらのホモ疑惑

昨日の相葉ちゃんのお迎えや、それで起こっ

た翔くんとの一悶着。

おいら達が三角関係で翔くんがフラれたとか

閉口するようなバカな話しだった。


「フラれるならまだしも、おいらが翔くんを

フるなんてあり得ないだろ。そんなの信じる

人がいるのか?」

「さあ人それぞれだから、それともう一つあ

ってな。そっちはお前が生徒会長を狙ってた

けど彼女が出来てフラれたから嫌がらせのた

めに櫻井を同性愛者にでっち上げようとして

昨日のは櫻井を陥れるための罠だとか」

「………わな」


どうしてそうなるのか、逞しい想像力に脱帽

だ。


「そんな噂があるから、櫻井の熱烈なシンパ

がお前に報復してんじゃねえのか?」

「そうかな……」


だとしたらおいらは翔くんに迷惑をかけたし

仕方がない事かもしれない。


「ならしょうがない、みたいな顔してんじゃ

ねえよ。こんな嫌がらせを放っといたらもっ

と悪質になるぞ。根も葉もない噂だなんて思

ってないで違うなら違うと言った方がいい」

「うん…」


おいらがあれこれ言われるのは構わない、

でも翔くんが変な誤解をされるのは嫌だ。





渡海先生に諭され保健室を出た。

確かに翔くんに対しての噂だけは何とかしな

くちゃいけない。


翔くんはおいらのホモ疑惑とは無関係だと、

皆にどうやって伝えたらいいのか…

必死に考えながら階段を上がり始めると誰か

に『おいっ!』と呼ばれた。


人気のない階段、呼ばれたのはおいらだろう

声がした方を見上げると、踊り場を過ぎた手

すりの所に数人の頭が見えた。


「櫻井君から離れろ!変態!!」


その怒号と共にバシャッっと大量の水が降っ

てきて、おいらはそれを全身に被った。


一瞬何が起こったのか理解できなくて呆然と

していたが、走り去る足音に我に返り階段を

駆け上がった。

でももうそこには誰の姿もなくて、ただ水を

入れたであろうバケツだけが残されていた。


「なんだよ、これ」


画鋲の次は水、それにあの言葉


「女の子の声だったな…」


翔くんを想う誰か達の仕業か。

その子達には翔くんの側においらがいるのが

我慢できないほど嫌なんだろう。

だからこんな、嫌がらせを…


「おいらのせいで翔くんが、たとえ噂でもホ

モって言われるのが嫌なんだろうな」


その気持ちは凄くわかる、おいらだって嫌だ

もの。

じゃあ、おいらはどうしたらいい?

翔くんに迷惑をかけないためには?

答えは簡単だ、もう近づかなきゃいい。


『櫻井君から離れろ!!』


あの言葉の通りに離れればいい。

おいらに関わらなきゃ翔くんは安泰なんだ。

だってカーストの天辺にいるんだから


酷い目にあうとしたら噂の発端のおいらだけ

で十分だ。




「はぁ、制服ビショビショ…体操着持ってた

かなぁ」


全身から滴り落ちる水滴を眺め、どうでもい

い事を呟いて

おいらは胸の痛みを誤魔化した。







水の後始末は誰がするんや?