お山の妄想のお話です。




店主からの話を聞いた後から、俺は様々な感

情に苛まれていた。


今まで、どんなに酷い事をしてでも必ず先生

を捕らえようと考えていた。


それは先生が消えてからの俺の悲願であり、

手に入れるためならどんな手段をも厭わない

と考えるまでに追い詰められた、先生への渇

望だ。


でも今、その思いが揺らいできている。


先生が店主に俺の事を訊いてくれと頼んだの

は気まぐれではなく、ずっと俺を気に掛けて

いてくれたからではないのか?


姿を消したのには確固たる理由があって、

それは、もしかしたら俺のことを想ってだっ

たのでは…


……俺のための別離

世間知らずで短絡的な子供の未来を考えて出

した答え。

先生は苦渋の決断だったのでは…


俺の知る先生の性格ならば十分有り得ること

だ。


だとしたら今までの悪辣な考えは捨てよう、

そしてお互い分別のある大人としてやり直す

ことはできないだろうか。


ただただ優しく穏やかにあなたを愛する…

離れる前、子供の頃に夢見たことが現実にな

るかもしれない。


まだ先生の心が少しでも俺にあるのなら、そ

れは可能なはずだ。


でも、『どうしても知りたいって感じじゃな

かった』との言葉がそんな甘やかな思考を打

ち砕く


やはり、俺はどうでもいい存在なのか…

先生にとっては馴れ馴れしく絡んできた迷惑

な生徒であって、そいつが今何をしているの

かほんの少し興味があっただけなのかもしれ

ない。

だから直ぐその問いを無いものにした…


こんなに近くにいると言うのに、その存在を

隠し続けるのは厄介事を嫌ったから。

そうまでして俺を拒絶するというのか


でも……もしかしたら

いや、違う…


幾度も肯定と否定が続き、とりとめのない思

いが胸に渦巻く。

それは何日にも及び精神が疲弊した。



そんな中、先生の姿を見てただ心を癒そうと

あの街を訪れたが、そこで見たものは到底

『癒される』などという代物ではなかった。


少年に『先生』と呼ばれ愉快そうに笑う姿…

あの頃の俺と先生のような関係をあの子供と

再び築こうとしているのか!


カッとなりあの人に向い走り出そうとする足

を必死に止めた。

それは頭の中で子供だった過去の自分が『違

うだろ』と否定したからだ。


『良く見てみろよ、あれは他の皆に見せてい

た笑顔だ』

『先生の瞳を見ろ、笑顔の中で俺を見る瞳の

色を思い出せ』

『慈しむ色の中にも、熱く甘いものがあった

はずだ』

『それは先生が俺だけに見せる色』

『俺だけに与えられたものだろう?』



確かにそうだった。

あの少年に向けた笑顔とは違う、トロリとし

た蜜のような甘さと、熱く焦がれるような想

いを含んだものだった。


だから俺は、俺の想いは先生と通じ合ってい

ると確信していた。


辛い別れや自暴自棄から立ち直り、その後邪

悪で凶暴な感情に駆られたのも相思相愛だっ

たはずなのに何故、という憤りがあったから

だ。



今の先生の瞳には慈しみの色しかない。

……先生はあの少年に特別な想いなんて持っ

てやしない。

そう結論に達した時には二人の姿はもうなか

った。





それからも自問自答の日々が続いた。


今までのような考えで、先生を捕らえ愛憎を

ぶつけ傷つけ汚し過去の罪過を償わせるか。


それとも、ほんの僅な希望に縋り現在の俺達

でもう一度関係を深めた方が良いのか。


前述は先生の感情など一切無視し、ただ俺の

私利私欲を満たすだけのもの

後述は先生の今の気持ちがつかめない分、全

く先の読めない博打のようなものだ。


……出来るなら汚い感情を棄てて、あの頃のよ

うに優しく柔らかい想いだけを先生に捧げた

い…


……今となってはそんな事は無理だろう。

自分の欲望のために人を傷付けるのも厭わな

いような俺が、今更そんなただ甘いだけの情

をあの人に向けるなんて出来ない。


でも…


結局終わりの見えない堂々巡りを繰り返すだ

けだった。




それから何日も大学と家への往復が続き、先

生の住む街への足は遠退いた。


未だ考えの纏まらない混乱状態で、先生の姿

を見るのは危険だと考えたからだ。

自分の激情を抑えきれず何を仕出かすかわか

らないし、下手をしてまた雲隠れされたら二

度と見つけられないかもしれないという恐怖

もあった。


そんな思いがあったのに、限界には勝てなか

った。


先生に会いたい…

感情が定まらない今は、遠くからひと目見る

だけでかまわない。

そこにまだ先生が、俺の手の届く場所にいる

のを確認して安心したい。


時刻は20時を過ぎた頃、上手くすれば帰宅途

中の先生に行き合うかもしれない時刻。

出来るだけ早く着くように家の車に乗り、先

生の住むマンションへ向かった。


マンショの出入り口が見える場所に停車し、

先生の部屋を伺ったが玄関からは在宅か不在

かはわからない。

車を降りマンションの裏に回り、先生の部屋

のベランダを確めると部屋の明かりはついて

いなかった。


この時間に眠っているとは考えられない、多

分仕事が終わっていないんだろう。

それなら待っていればじきに帰って来るはずだ、車に戻り先生の帰りを待った。



随分長い時間を待ったが、先生は現れない。

部屋の明かりを確認した時は不在だと思った

けれど、まさかあの時既に眠ってしまってい

たのだろうか?


もう一度部屋を確認しようと車を降りかけた

時、マンションの前にタクシーが止まった。


降りてきたのは小柄なシルエット……先生か?

期待しじっと見たが別人だった。

違ったと落胆していると、タクシーからもう

一人降りてきた。


それは直ぐに先生だとわかった。

二人は会話しながらマンションの入り口へと

向かって行く。


久し振りの姿に喜びを感じ見つめていると、

並んで歩く男が先生の腰に腕を回し耳元に何

かを呟いている。

擽ったそうに其を聞き笑う先生……


二人の睦まじい姿に俺はぶるりと震えた


まさか、違うよな

いま先生には交際相手なんていないはず

でも只の友人同士であんなにベタベタするだ

ろうか?


相手の過剰な接触、それを嫌がらず笑顔で容

認する先生。

親密すぎる態度に疑念が生じる。


俺が凝然とするなか、二人は部屋にの中へ消

えていった。




まんじりともせず車の中で朝を迎えた。

部屋に入って何をしているのか考えただけで

苛立ち、二人の関係を知るまでは家になど帰

れなかった。


するとまだ早い時間にヨレヨレの服で頭髪は

ボサボサの男が眠そうに部屋から出てきた。

俺はそいつの素性が知れるものはないかと車

から降り近付いたが、その後に先生も出てき

たので慌てて物陰にかくれた。


「ねみー」

「一晩中ゲームしてれば眠いだろうよ」

「お前んち回線が速いな、何でだろ?」

「知らねえよ、こっちはカズのせいで寝不足

なんだよ」

「何で?お前グーグー寝てただろ」

「バカ、お前が隣でずーっとピコピコやって

たから五月蝿くて熟睡出来なかったんだよ」

「いや、絶対爆睡だった」

「それはない、俺は繊細なんだ」

「いやいや」

「いやいやいやいや」


二人の会話からは蜜月を過ごしたようには思

えない。


「また泊めてくれよ」

「嫌だよ、どうせ一晩中ゲームだろ」

「なんか、お前ん家の狭さが俺にはしっくり

きたんだよな」

「じゃあ実家出て一人暮らししろよ」

「一人暮らしは淋しいだろ」

「我が儘だな~、なら相葉ちゃんと暮らせば

いいよ。相葉ちゃん前に一緒に住もうってカ

ズに言ってたじゃん」

「やめろよ、身の危険を感じながら過ごすな

んてゴメンだ。ゲームに集中できないし」

「……ふうん」

「なんだよ、その含みがあるの」

「別にぃ、素直じゃないなと思ってさ」

「お前何言いたいの」


ボサボサ男がムッとして言い返した時、タク

シーが二人の前に止まった。


「早く乗れよ、家に帰って仕度しないと会社

に遅刻するぞ」

「御生憎様、俺はリモートだ」


男はタクシーに乗り込み窓を開けると先生に

『また飲もうぜ、お前の奢りで』と言い残し

去っていった。


先生はそれを見送り大きく伸びをすると『や

れやれ』と部屋へと戻った。


俺はそれをホッとしながら見ていた。

どうやら彼は只の仲の良い友人だったようだ


だが、はたして本当に先生に恋人はいなかっ

たのだろうか?


あれだけ魅力のある人だ、誰にも知られずに

誰かと付き合っていた可能性は拭えない。

付き合っていなくても、体の要求に逆らえず

後腐れない一夜を誰かと過ごしていたのかも

しれない。


こんな風に夜中なら誰の目にも触れることな

く連れ込める。

女か男か、抱いたのか、それとも抱かれたのか?


俺以外の奴に……

そのシーンを思い浮かべた途端

優しさ、慈しみ、温かさ、思いやる心などの

美しいと言われる感情は全て吹き飛んだ。


残ったのは妬み、怨恨、相手への憎悪…

そして先生に対しての独占欲と破壊衝動だっ

た。


過去に誰かのものになったのも

これから誰かのものになるのも

俺には我慢できない、許せない…



だからたとえ先生が壊れたとしても、必ず手

に入れることにした。

もう、手段など選んでいられない…


泣き叫び許しを乞うたとしても止めたりしない。


止めどない負の感情を胸に、決意した。



決行は今日だ









やっと『空高く』1に

繋がった?


力尽きた…