お山の妄想のお話です。
翔
初めて店に訪れ先生の話を聞いた日、学校を
辞めた理由は解った。
その根源が俺か別の奴なのかは問題ではない
今俺が知りたいのはここ数年のことだ。
何処で何をしていたのか、そこで親しくなっ
た奴はいないのか。
何とか聞き出そうとしたが大人数の客が入り、その後は殆ど店主と話せなかった。
あと何回かは通う必要がある、先生と鉢合わ
せにならないように注意を払い店に通うこと
にした。
『うちのごはん』は松本という美形の店主が
一人で営んでいる。
店は和風の造りだが提供される料理は和洋折
中何でもある。
味も良いが店主の人柄や容貌もあるのだろう
店は何時も賑わっていた。
「こんばんは」
暖簾をくぐり挨拶をすると、店主は『いらっ
しゃい佐藤くん』と返した。
この店で俺は『佐藤』で通っている。
二回目の時に店主に名を訊かれた。
先生と親しい奴だから本名など名乗れないと
思い、一瞬考えて日本で一番多いと言われる
名字を騙った。
実際中学にも佐藤は多かったから、万が一店
主から先生に俺の事を話されても『どの佐藤
君?』となるだろう。
毎回少しずつ話を聞き、ようやく北海道での
パン屋まで話しは進んだ。
幼児相手の美術教室時代には恋愛の相手はい
なかったらしい。
パン屋の見習い時はどうかと訊くために通っ
ていたが、この頃は先生の事より店主のプラ
イベートの話が多くなって来たように感じる
それだけ俺に気を許しているのだろうか?
しかし店主のプライベートなど俺には興味が
ない、あるのは先生の過去だけだ。
だから店主の話が逸れる度に軌道修正をしな
ければならなかった。
「大野先生が見習いに入ったのはどんな店だ
ったんです?」
「またあいつの話し?そんなに昔の先生が気
になるの?」
「はい、憧れでしたから」
「ふうん、憧れね……」
店主は探るような目で俺を見た。
あまりにも先生に拘るから不振がられている
のだろうか…
目力の強い美形に見つめられるのは居心地が
悪いが、ここで引いたら情報が入らない。
「憧れだった人の事って何となく興味があり
ませんか?」
怪しまれないようにやんわり笑って言うと、
店主は『そんなものか?』と言いながら話し
てくれた。
先生は高齢の夫婦が営むパン屋に住み込みで
働いていたそうだ。
パン屋は朝が早いし住み込みなので外に出る
こともなく、艶聞はなかったようだ。
近しい人間が言うのだから間違いはないだろ
う。
……先生と恋愛関係にあった奴はいない。
それを聞き安心し思わず笑みが零れた
「…何だか嬉しそうだね」
店主が拗ねたように言ったが、愁眉を開いた
俺はそれを気にすることはなかった。
智
集合ポストの前を通りかかると、俺の郵便受
けからチラシが飛び出しているのに気づいた
郵便物など無いだろうとずっと放置したまま
だったが、ここまでチラシが溜まると片付け
ない訳にはいかない。
しょうがなくチラシを取り出していると、そ
の中から葉書が出てきた。
『新店舗開店のお知らせ』送り主は松潤だ。
そう言えば数ヶ月前に新しく店を開くとメー
ルを寄越していたが、わざわざ葉書まで送っ
て来るとは。
律儀な友人からの葉書を読めば下の方にメッ
セージがあった。
『栄養のあるものを食べさせてやるから何時
でも来い』
松潤は昔から俺の食生活を不安がっていた、
今も心配をかけているんだろう。
一度行ってみるかと住所を確認して、訪問を
断念した。
だって店のある場所は昔教師をしていた中学
がある地域だ。
ふらふら出掛けて、当時の教え子なんかに会
ったらばつが悪い。
それに……
翔くんと鉢合わせする可能性だってあるんだ
きっと翔くんは俺なんか忘れて普通の生活を
送っているのはずだから、過去の汚点の俺が
いきなり現れたら不快な心持ちになるだろう
松潤の料理は食べたいけど、ここは行かない
方が無難だ。
でも忙しくてずっと音信不通だったから、お
祝いの電話くらい入れておこうか。
店の営業後の遅い時間に電話することにして
チラシの片付けを続けた。
「開店おめでと~、松潤」
『お前、もう開店して二ヶ月経ってんだぞ』
俺の言葉に松潤は呆れていた。
二ヶ月経ってからのお祝いなんて、当然と言
えば当然だ。
「悪いな、色々忙がしくて」
『別にいいけど、何時店に来るんだよ?』
「ごめんな、もうちょい先になりそうだ。今
凄え忙がしいんだよ」
『忙がしいって、飯はしっかり食べてるんだ
ろうな?ファストフードとかコンビニじゃなく、自炊してるのか?』
「自炊って程じゃないけど、簡単な物は作っ
てるよ。カレーとか」
『野菜は?』
「トマトかじったり、キュウリかじったり…」
『お前せめてサラダにしろよ!』
「食べちゃえば一緒じゃん」
『まったく、お前は…』
久し振りの松潤との会話、一寸説教が入るの
も何時ものことだ。
お互い近況などを話していると松潤が『佐藤
君って知ってるか?』と訊いてきた。
『ちょくちょく店に来てくれる子なんだけど
どうやら智の教え子らしいんだ』
「え……俺の?」
佐藤……中学には大勢いたな。
君だから男の子だろうけど、名字だけじゃな
んとも言えない。
「佐藤、何君?名前は?」
『あ、そういえば聞いてない。でも顔の特徴
とか言えばわかるんじゃないか?何しろ教え
子だし』
「いやいや、何年も前だぞ。顔だって大人び
てくるだろ。わかんねえよ」
『そうか?目がくりっと大きくて、眉が凛々
しい、あと唇がふっくらとして美味そうなん
だけど』
「んん?松潤、美味そうって?」
『キスしたくなるような唇ってこと』
「…………おい、俺の生徒に手を出すなよ」
『まだ出してねえよ』
恋多き男、松潤。
学生時代からモテモテで百戦錬磨だ。
凄く良い奴なんだけど手癖が悪い。
まさか、同性のかなり年下に手を出すつもり
か?いや、俺の教え子には手出しさせねえ。
未来ある若者を魔の手から守ってやらねばな
るまい。
一先ず『佐藤君』について話を聞こうか
「その佐藤君がどうしたんだよ?」
『佐藤君はお前に憧れてたって言ってな、色
々訊いてきたから教えてやってたんだけど』
「俺のプライバシー……」
『今の職業とか住所言ったわけじゃないから
気にしなくても大丈夫だ。それにな俺思った
んだ、あの子はお前をダシにして俺に会いに
来てるんじゃないのかってさ』
「俺をダシに……?」
『だってそうだろ?何年も経ってんのに中学
の教師の話なんて普通は聞きに来ないだろ。
しかも女子ならまだ初恋の人だったからとか
有り得るけど男だからな』
「そりゃあ、そうかもだけど」
俺は教師の時に女生徒にキャアキャア言われ
た事なんてない。
全然子供達の恋愛対象じゃなかったよ
………一人を除いては
可愛い子供を思い浮かべ胸が苦しくなった。
幼い容貌は大人になってどう変わったのか、
きっとイケメンになったんだろうな。
「今度佐藤君を飲みに誘おうと思ってるんだ
そうしたら彼の本心もわかるだろ?」
俺が翔くんの今を想い描いている間も松潤の
話は続いていた。
俺の教え子らしい『佐藤君』の同意があるな
ら松潤を咎めることはできない。
馬に蹴られるのは御免だし。
「その子も松潤を想ってるなら、俺は止めな
いよ。もう彼らも大人になってるしな」
『そうだよ、何時までもお前が教えていた頃
の中学生じゃないんだからな』
松潤の言う通り、皆成長して社会に出て自分
の目指す道を歩んでいるはず。
子供の頃に夢見た事が実現しているといい。
きっと翔くんは俺のために立てた『お金を稼
げる仕事』という目標は無くなって、自分の
ための未来を進んでいることだろう。
今、あの子は何を目指しているのかな?
もう大学四年、就職活動をしているはずだ。
どんな職業に就くのか知りたいな…
「なあ松潤、その佐藤君に訊いてもらいたい
事があるんだけど」
『何だ?訊いといてやるよ?』
「あのな、櫻井って子の就職は決まったのか
どんな職業か訊いて欲しいんだ」
『櫻井?その子の就職先を聞けばいいのか?』
うん、と言おうとして我に返った。
誰とも知れない『佐藤君』に何を尋ねようと
しているんだろう、彼が知っているとは限ら
ない。
それに今更それを訊いてどうすると言うのか
俺はあの子から逃げたんだ、これから先も関
わることは無いんだぞ…
訊く必要はない、
いや、そもそも俺にはその資格がない
そう自分を戒めた。
「…………松潤、やっぱりいいや」
『は?何が?櫻井って子の事か?』
「 うん 」
知った所で何も出来ないくせに…
遠くからでも見守りたい……なんてきれい事じ
ゃない。
これは未練だ、何時までも忘れる事のできな
い想い。
あの子への愛執を、いい加減に断ち切らなけ
れば
松潤ごめん