お山の妄想のお話です。




生徒を送る最初で最後の卒業式。

俺は他の先生方の後ろに隠れるように座った

子供達の姿を見ると感慨無量で泣いてしまい

そうだから。

そして、翔くんを見てしまったら必ず涙か零

れることがわかっていたから。


でも卒業生入場の時も卒業証書授与の時も

ついあの小柄な身体を探してしまう。


二年間、俺の近くにいた可愛い生徒…

最後の教え子、

俺の手を離れ耀く未来へと向かう若人


そう自分に言い聞かせ余計な感情は殺し、で

きるだけ翔くんを見ないように視線をそらせ

ていた。

さもなければ離れたくないと未練が残りここ

を去る事ができなくなる。




式も終わりに近付いた頃、卒業生答辞があり

代表の翔くんが登壇した。


演台の前に立ち一礼して顔を上げた時、一瞬

目が合ったように感じた。

勘違いかと思ったが固く閉じられた口許が少

しだけ綻んだのを見て、思い違いでないとわ

かった。


その後は表情を引き締め、粛々と答辞を読み

上げる。

翔くんは此方を気にせず正面を向き話す、だ

から俺は先生方の影からその姿を見ることが

できた。


身体はまだ小さいけれど落ち着き堂々とした

態度で話す翔くんは大人びて、これから素敵

な青年になっていくだろう予感がした。


カッコいいな翔くん…

俺には君の成長を見守ることが出来ないけど

きっと君は俺なんかいなくても大丈夫だよ


だから、俺を忘れてくれ

そして自分のための未来へ進んで欲しい

多くの友人をつくり可愛い女の子と恋をして

色々な体験をするんだ。

青春を謳歌して、いつかは幸せな家庭を築く

んだよ…


じっと翔くんを見ながら祈っているうちに答

辞が終わった。

壇上を降り真っ直ぐ前を向いて教員席の前を

歩く横顔を、これで最後だと確りと目に焼き

付ける。

段々目の前がぼやけていったけれど、涙を零

すのだけは堪えた。



式が終わり卒業生が退場していく、これから

彼等は一旦教室に戻る。

その後は写真撮影などして皆と別れを惜しむ

のだろう。

ここで俺の教師としての仕事は終わりだ。


今朝職員室で先生方には挨拶を終えているの

で、俺はそのまま帰ることにした。


翔くんに合わないように足早に校舎を出たが

正門で立ち止まり短い間だけれど世話になっ

た感謝を込めて校舎に一礼した。


二年間で楽しいことや苦しく辛いことなど色

々あった、今も胸は苦しいけれどこの門をく

ぐったら俺も振り返らず新しい道へ進むつも

りだ。


先生方、生徒の皆、

ありがとう、お世話になりました。


そして愛しい子のいる教室の窓を見上げて

幸せになれよと祈った。



さよなら、みんな。


さよなら翔くん、君に幸多からんことを…






俺の新しい職場は関西の小さな街だ。

そこで幼児などの子供相手に絵画教室を開い

ている先輩の手伝いをした。


無邪気で何の概念も持たない子供達の描く絵

はのびのびとしていて、それを見て絵を描く

楽しさを思い出した。

今まで俺は画家になりたくて、良い絵、素晴

らしいと言われる絵を描こうと足掻いていて

楽しみながら描く事を忘れていたんだ。


絵を描く楽しさを思い出したと同時に画家へ

の執着がなくなった。

そして子供の頃の夢を思い出した。



俺は絵画教室を三年で辞め北海道に移り、小

さなパン屋で見習いとして働いた。

『北海道でパン屋さんになる』という子供の

頃の夢を実現しようと思ったんだ。


朝が早くて大変だったけれど、物を作り出す

喜びの方が勝った。

パン作りを一通りを覚えて見習いではなくな

った頃、もう一つ極めたかったものを想起し

た。


幼い頃の夢や希望…

どうせならやりたかった事を全部して、それ

から今後を決めようと俺は本州へと戻った。

そして教師だった頃の職場である中学校から

さほど遠くない場所で新しい生活を始めた。



極めたかったもの、それはダンス。

学生時代にのめり込み大会などでは良い成績

を収めた。今は大会に出ようとは思わないが

自分の納得する限界まで極めたい。


今はダンスの講師の仕事を見つけ、空いた時

間に遮二無二踊る毎日を過ごしている。





「大野さ~ん」


仕事からの帰り道名前を呼ばれ振り返ると、

少年が走りよって来た。


「よお、知念君」


知念君は俺のダンスの生徒で、アイドルのオ

ーディションを受けるためにダンススクール

に通って来ている。


小さい頃から体操を習っていたせいか、体幹

が強くキレのある動きをする。

顔も可愛いいし人懐こい性格なのですぐにで

もオーディションに合格しそうな子だ。


「大野さん、今帰りですか?」

「うん、今日はもうレッスンないから」

「駅まで一緒に行ってもかまいませんか?」

「おお、いいよ」


そう答えると知念君は嬉々として隣に並び歩

き始めた。


「どうしたら大野さんみたいに綺麗に踊れる

のかな?僕家で何回も練習してるに、全然ダ

メなんですよ」

「俺の踊りなんて大したことないよ。知念君

の方がキレがあるんじゃないかな」

「何言ってるんですか!僕なんか大野さんの

足元にも及ばないでしょ!!」

「そんなにムキにならなくても…」

「なりますよ!大野さんのダンスは素晴らし

いです!ジャンプした時の長い滞空時間や手

足の滑らかな動きなんて凄くて、誰も真似す

ることができないんだから!」


いつも彼は俺の躍りを大袈裟な程称賛する。

嬉しいけどとても恥ずかしい。


「やめてくれよ、知念君…」


それに瞳を輝かせ凄い凄いと言ってくる姿は

あの子を彷彿させて苦しくなるんだ。



キラキラした瞳で『先生のような絵が描きた

い、だから絵を教えて下さい』と美術準備室

に押し掛けてきた少年。


忘れられない想い出。

あの子のどんな表情だって鮮明に覚えている


今はどうしているだろう。

背は伸びたかな、進学はしたんだろうか

彼女はできたかな?

俺の事は忘れてくれたよな?



近くにいても逢えない。

逢ったらいけない、彼に煩わしい思いはさせ

られないから。



今はただ同じ空の下で、彼の幸せを願っている。