お山の妄想のお話です。
智
ゴンゴンとドアを叩く音がして、オーナーの
声が聞こえてきた。
「どうだ?落ち着いたか?」
壁の時計を見るともうすぐ閉店時間で、この
部屋に入ってから四半時程経っていた。
「うん、ごめんな迷惑かけて」
翔くんがチョコを受け取った時は混乱したけ
れど、今は落ち着いている。
だいぷ気持ちの整理がついていた。
「そんなのいいけど、大丈夫なら出てきて片
付けを手伝ってくれ」
「わかった」
片付けの為に部屋を出ると店の中にはオーナ
ーの姿しかない。店長はどこ?と訊くと『野
暮用で出てる』と返された。
オーナーが流しでチャッキリやボールを洗っ
ていたので、慌てて代わる。これはバイトの
仕事だからな。
「なあ、この後どうすんだ?」
「このあとか…」
『なんちゃってたこ焼き』を翔くんに渡した後、次はおいらが告白する予定だったけど…
翔くんも帰ってしまったみたいだし帰ろうか
な……
「わたしは店長と食事していくけど、バイト
も来る?」
気落ちしているおいらを気遣ってか、オーナ
ーが食事に誘ってくれた。
でも今日はバレンタインだ、恋人同士の時間
を邪魔するわけにはいかない。
「おいらはいいや、店長と楽しんできなよ」
「もしかして気を使ってるの?」
「そりゃあ、バレンタインだし」
「ただラーメン食べに行くだけなんだけど」
「おいらはいいから二人で行ってきなよ」
バイトの好きなラーメンなのに、なんてブツ
ブツ言いながらオーナーは売り上げの集計を
始めた。
気持ちは嬉しいけどやっぱり遠慮するよ。
洗い物を済ませ、床の掃除を始めた頃にやっ
と店長が戻ってきた。
「遅くなってごめんね!」
「あんた何処まで配達に行ってたの?まさか
あの人の家まで行ったんじゃないでしょうね?」
「行かないよ~家知らないもの。そこの角に
いたからお届けものを渡して、少しおしゃべ
りして来たの」
「そうですか、それにしても遅かったな」
ジロリとオーナーが睨むと店長はへへっと笑
って『はい、これ』と薔薇の花束をオーナー
へと差し出した。
「……なにこれ?」
「バラの花、綺麗でしょ」
「見ればわかるけど、何でわたしに?」
「ん?バレンタインだから。本当はチョコを
買いたかったんだけどね、ここら辺のお店閉
まってて買えなかったの」
「で、花にしたの?」
「そう!ロマンチックでしょ」
「男が男に花束って、ロマンチックか?」
「性別なんて関係ないでしょ?愛する人に贈
るんだから!花屋さんから聞いたんだけど4本のバラの花言葉はね、死ぬまで私の愛は変わ
りません、なんだっておれのニノちゃんへの
想いと同じ!」
「…恥ずかしいやつだな」
オーナーは4本の赤い薔薇と店長を呆れたよ
うに見た。
そして『わたしは何も用意してませんよ』な
んて言いながら花束を受け取った。
満面の笑みの店長とむすっとしているけど、
照れているのがバレバレのオーナー。
良い雰囲気の二人…
あてられたおいらは居場所がなくて、床にモ
ップをかけながら少しずつ二人から遠ざかろ
うとした。
「あ、大ちゃん!大ちゃんにもプレゼントあ
るんだよ!はい、これどうぞ!」
「 へっ?!」
しかし、おいらの気遣いを完全に無視した店
長がヒョイと1本の薔薇をよこした。
え!おいらにも薔薇なの?!
恋人の手前、どう対処したらいいのかわから
ない。
どうしよう?とオーナーを見ると、目が受け
取れと言っている。
恋人の了承があるならいいかと屈託なく笑う
店長から花を受け取った。
その薔薇は虹色をしていた。
とてもカラフルな花弁はまるで造形物のよう
「それはね、七つの色が集まってるからレイ
ンボーローズって言うんだって。可愛いでし
ょ!」
「うん、可愛いね」
「花言葉は『無限の可能性』っていうの、だ
から大ちゃんにプレゼント」
「 え… 」
「大ちゃんには何でもチャレンジして欲しい
んだ、だって凄い才能があるでしょ!
絵だって入賞したし、挑戦すれば何でもでき
るんだよ!」
「………そうかな」
「そうだよ!大ちゃんは沢山の可能性を秘め
た凄い人なんだから、さっきみたいに翔ちゃ
んとそぐわないなんて言わないで」
「……でも、やっぱり翔くんのには綺麗な女性
がお似合いだよ」
店長は励ましてくれるけど、やっぱりおいら
じゃ駄目だと思うんだ。
「バイトはそう思っていても、あの人は違う
だろ?あの人はお前が良いって言ってるんだ
お前だってあの人が好きならそれでいいじゃ
ないか」
「だけど他の人が見たら…」
「他の人って?そこらを歩いてる人か?そん
な奴らの事を気にする必要ないだろ、当人同
士が良ければそれでいいんだよ」
確かに、重要なのはお互いの気持ちだ。
「おれはずーっとここで二人を見てきたけど
翔ちゃんの大ちゃんを想う心は本物だよ、そ
れは大ちゃんだって知ってるでしょ?」
「うん」
知ってる、翔くんは何回も好きだと言ってく
れた。
おいらは自分に自信がなくてそれに答える事
ができなかったけど、でも翔くんに気持ちは
通じていた。
だからずっと待ってもらっていたんだ
「両想いなのに、なにが問題なのさ?
翔ちゃんは大ちゃんが好き!大ちゃんも翔ち
ゃんが好き!それでいいじゃん、他の人なん
て関係ないよ。それに、二人はお似合いだと
おれはずっと思ってたよ!」
「……うん」
「自分に自信を持て、お前には誇れるものが
いくつもあるんだから」
「……うん」
オーナーと店長に勇気を貰った、そして思い
出したんだ、賞をもらったら翔くんに返事を
するって決めていた事を。
バレンタインに、返事とおいらからの告白。
ずっと待たせた分、翔くんを幸せにすると決
意していた。
今日それをしなかったら、次は何時になる?
また翔くんに待ってもらうの?
そんなの駄目だ!
返事もできないおいらが翔くんをいつまでも
縛っていいわけがない。
今日、今すぐにでもしなければいけない
「オーナー、店長ありがとう。おいら頑張っ
てみる、それで翔くんと幸せになる!」
おいらの宣言に二人は微笑み『がんばれ』と
言ってくれた。
翔くんはもう家にいるだろうか?場所がわか
らないから電話をして教えてもらおう。
それにはまず掃除を終わらせなければ
おいらは急いでモップを動かした。
「あれ!?ない!」
そして全ての片付けを終えた時気付いたんだ
翔くんに渡すために作った『なんちゃってた
こ焼き』が跡形もなく消えていたことに……
翔
たこ焼き屋の近くまで来たが店内にバイト君
の姿は見えない。
店の奥からまだ出てきていないようだ…
バイト君の様子を訊きたいけれど、店の中に
はオーナーしか見えない。
いささか彼に訊くのは気が引ける
さっき走って帰った店長を探したが、何処に
も見当たらなかった。
閉店時間まであと少し。
ここに隠れて様子を窺いながら待とうかと考
えたが、チョコの入った紙袋がどうにも邪魔
だった。
こんな物を見せてはバイト君の気分が悪くな
ってしまうだろう。
でも捨ててしまう訳にもいかない、家に帰り
置いてくるか…
いや、それよりも駅のロッカーに入れて来た
方が早い。
そう思い駅へと急いだ。
駅前通りを足早に進んでいると、花屋から出
てくる店長を見つけた。
手には赤い薔薇の花束、恋人へのプレゼント
だろうか。
店長はニコニコと花束を見ながら歩いている
幸せそうな笑顔だ、きっと恋人と上手くいっ
ているんだろう。
羨ましいな…
つい足を止め見ていると、店長も俺に気付い
たようだ。
「翔ちゃん!こんな所で何してるの!」
笑顔を引っ込め、渋面で寄ってきた。
「バイト君の所に行くんじゃなかったの!」
「店を覗いたら、まだ姿が見えなかったから
急いでこれをロッカーに置きに来たんだ」
「これって?」
紙袋をヒョイと上げると店長は納得したよう
だ。
「そんなのバイト君に見せられないよね、
でもどうして駅なの?」
「家に帰るより駅の方が近いから」
それにこんなのを家に置けば、仮に今晩バイ
ト君が家に来る事になったとしたら、処分に
困るだろ……
これは心の中で呟いた。
「翔ちゃんはバイト君に会いに来てくれるん
だよね?だったら急いで、もうすぐ閉店時間
だから」
「わかってる、急ぐよ」
「おれも出来るだけ引き止めるから」
「頼むよ」
「翔ちゃんも上手くやってよ!もうバイト君
を悲しませるような迂闊なことは絶対にしな
いでね!」
店長は『絶体だよ!』と念を押すと店の方へ
走って行く、それを見送り俺も駅へと急いだ
チョコの入った紙袋と、ついでに鞄もロッカ
ーに入れた。
手にするのは、バイト君が作ってくれた甘い
お菓子だけ。
まだ未完成のはずのこれを、バイト君に仕上
げて貰うんだ。
そして、あなたの気持ちを俺に教えて欲しい
きっと、いい返事だと信じているよ
おまけ
「ところで店長、あんたさっきからわたしやバイトを
名前で呼んでるけど」
「あ、そうだね」
「罰金ですよ」
「ブーブーッ、残念でした!もう就業時間過ぎてる
から仕事中じゃないよ~」
「 チッ 」
「ニノちゃん舌打ち止めて!」