お山の妄想のお話しです。
海辺の町から戻って一週間が過ぎた。
松岡さんからの連絡はまだない。
朝、連絡があることをと祈り出社し、スマホ
が鳴らないまま一日が終る頃には、明日こそ
はと祈り就寝する。
毎日毎日智君からの連絡をただ待っていた日
々に比べたら、遠くても繋がっている確信が
あるだけましだった。
本当は会社を辞めてでも、毎日あの海であな
たが現れるのを待ちたい…
でももう俺はそれがいけないことだと理解し
ている。
連絡を待たずにあの海に行き、永遠にあなた
に逢えなくなる恐怖のせいもある。
でも一番大切な事がわかったから、あなたの
平穏な生活を守るのが尤も重要で優先すべき
ことなんだと。
松岡さんはきっと連絡をくれる。
それが良いものか、残念なものかはわからな
いけれど今はそれをひたすら待つのが俺に出
来る唯一の事だろう。
*
『翔ちゃん、今晩潤君の店に行かない?』
昼休みの電話。
久し振りに雅紀が誘って来た。
あの写真を手にした日から雅紀には会ってい
ないしバーにも足を運んでいない。
「そうだな…」
潤や二宮に今の状況を知らせた方がいいのだ
ろうか?
智君を見つけられそうだと、逢えるかもしれ
ないと…
しかし今だ松岡さんからは何の連絡もない、
糠喜びさせるのも悪い気がする。
『ねえ、行こうよ』
「……う~ん」
渋っていると雅紀が、むふふと思わせ振りに
笑って言った。
『翔ちゃんに見せたい物があるんだ~』
「気持ち悪いな、何だよそれ」
『見せるから、潤君の所に行こう』
「何だか知らんが、見るだけならバーに行か
なくてもいいんじゃないか?」
『それが無理なの』
「なぜ?」
『見せたい物はニノが持っているから』
「二宮君が?」
『そー、ニノのスマホにあるの』
二宮のスマホにある俺に見せたいもの?
皆目見当がつかない、それに二宮のスマホを
俺が見てもいいのか?
雅紀と違い俺は彼と打ち解けていないし、良
くも思われてないだろう。
俺は彼にとっても大切な智君に酷い仕打ちを
したんだから…
「二宮君が俺にそれを見せてくれると言った
のか?」
ここはしっかり確認しておかなくてはいけない。ほいほい雅紀について行き、二宮に冷た
い目で見られるのは御免だ。
『うん。だってオレ訊いたもの、翔ちゃんに
も見せてくれる?って。そしたらニノは構わ
ないって言ったよ』
二宮が… 見せてもいいって?
いったい何なんだろうか?
……智君からのメールとかかな…
いや、あの二宮が俺に情報なんてくれるはず
がない。
では?なんだ?
「…お前は見たのか?」
『うん、見せてもらったよ』
どんな物なのか先に知っておきたいんだが。
「それは何だ?」
『写真だよ』
「写真?どんな?」
『もうっ!質問ばっかり!オレが言うより見
た方が早いじゃん。だから今日は潤君の所に
行くからね!』
「俺は仕事が…」
『それは八時にまでに終らせて!そしたら駅
に集合だからね!』
夕飯は潤君の店で食べられるから、と付け加
え雅紀はさっさと電話を切ってしまった。
どうしたものか、雅紀のことだからもう潤に
軽食ぐらい頼んでいるのかもしれない。
準備をして貰っておいて、行かないは無いだ
ろう。
「はぁ、しょうがないな…」
俺は残業を早目に切り上げ、潤の店に行くこ
とにした。
…二宮が俺に見せても良いと言った写真とは
いったいどんなものだろう。
智君関連なのだろうか?もしかしたら智君本
人が写っている?
離れる前に俺に送ってくれたような、釣った
魚を持って鷹揚に笑う姿だろうか。
それとも、他の誰かとはにかんだ笑みで写る
写真とか…
想像してギュッと胸が締まった。
…いや、それはないはずだ。
松岡さんは智君にそんな関係の人物はいない
と言っていた。
でも、あれからもう一週間もたっている。
二宮にその写真が届いたのが何時なのか分か
らないが、もしかしたら智君の琴線に触れた
誰かがいてその人物と親密な関係になってし
まったのかもしれない。
見せられるのがそんな写真だったら、俺はど
うしたらいいんだ。
考えれば考える程不安が募る……
潤の店に行く前に、俺は覚悟を決めないとい
けないのだろうか…
*
憂心を抱きながらも終業後に雅紀と落ち合い、
潤の店へと赴いた。
「いらっしゃい、翔さん」
暫く振りにバーの扉を開けると、潤が何時も
通りの笑顔で迎えてくれた。
カウンターには二宮の姿もあった。
「あ!ニノ!翔ちゃん連れてきたからあの写
真見せてあげて!」
「大きな声を出さないでくれ、本当にあんた
は煩いな」
二宮は嬉しそうに近付く雅紀を適当にいなし、
俺をチラリと見て『どうも』と挨拶をした。
今晩はそれはど不機嫌では無さそうだ。
雅紀はさっさと二宮の右隣に座り、俺は少し
躊躇したが左隣に腰を下ろした。
「ねえ!早く見せてあげてよ!」
雅紀が急かすのを無視して二宮は俺に言った。
「智が写真を送ってきたんだが、あんた見た
いかい?先に言っとくが本人も他の人物も写
っていないただの風景だけどな」
智君が写っていないのは残念だけれど、唯の
風景だというのには安心した。
取りあえず『親密な人物』は杞憂に終わった
ようだ。
「俺に見せてくれるのか?」
「いいですよ、でも本当に何の変哲もない風
景だそ?」
「…それでも見たい」
あの人の撮った景色、その瞳に映ったものを
俺も見てみたい。
「なら、どうぞ」
二宮はスマホを操作すると手渡してきた。
受け取り画面を見ると、そこには空と海があ
った。
「…これは」
曇天の空とそれを映した暗い海、一見禍々し
く感じるが…
「あいつが送ってきたこれを見て、あんたは
どう感じる?」
スマホを凝視する俺に二宮は問いかけてくる。
「俺は……」
この景色、この海は智君がいる町の海だ。
暗い空と海…絶望を表したらきっとこんな風
になるだろう。
じゃあ、智君は絶望しているの?
暗さに怯え寒さに震えているの?
違う、違うよね。
「俺はこれを見た瞬間に、あいつが過去に囚
われず前を向いたんだと感じた」
「…俺もそう思うよ」
だってそうだろ?
写真には鈍色の空が写っているけれど、その
雲の切れ間から一条の光が海へと降り注ぎ波
間をキラキラと照らしているんだ。
無明、暗愚、絶望の中から、あなたはこの一
筋の光に何等かの希望を見出だしたのでしょう?
その希望が何なのか…
救いの光を放つのがあなたなのか
それともキラキラした救済の光をその身に受
けるのがあなたなのか…
俺はこの光に触れることはできないの?
俺には手の届かないもの?
あなたと通じ合う二宮は『過去に囚われず前
を向いた』と感じた。
もしや、過去とは俺のことだろうか
俺を忘れて未来へ進むのか…
智君が何から解放されようとしているのか、
考えれば考える程『俺』に行き着く。
俺がしたことを思えば当然だ…
でもこの写真を見た瞬間、俺も感じたんだよ
何かが変わろうとしているのを。
この光は俺に差し伸べられた救いなんだと。
勝手な思い込みなのは承知している、でも智
君がもしこれを俺には見せたかったのだとし
たら俺にも希望はあると思いたい。
じっとスマホを見る俺を二宮越しに覗き込ん
で雅紀が言った。
「オレね、この景色すごーく綺麗だと思った
んだ。送られてきたのはニノの所だけど、本
当は翔ちゃんに見て欲しかったんじゃないか
なって思う。ニノが言うみたいにこの光は希
望だよね、光がキラキラしてるからきっと良
い意味だよ。大野さんはそれを翔ちゃんに伝
えたかったんじゃないかと思って。」
「 …… 」
「綺麗なものを一番に見せたいのも、共感し
たいのも大好きな人でしょ?でも大野さんは
オレ達を誤解したままだから翔ちゃんには送
れなくてニノに送ったと思うんだ」
「智にとって俺は凄え大事な人間だけどな」
二宮が不服そうに言う、それに笑顔を返しな
がら雅紀は続けた。
「ニノはお互い分かり合ってる大切な友達で
しょ?だからこの写真を送ればきっと翔ちゃ
んに見せると思ったんじゃない?そう感じた
からニノだって犬猿の仲の翔ちゃんに見せる
気になったんでしょう?」
「…犬猿の仲って、そこまで嫌ってはいませ
んよ。今はね」
今は、そう言う二宮の目は穏やかで以前の様
な敵対心は感じられない。
「あいつは心の整理がついたんだと思う。
まだあんた達を誤解したままだろうけど、そ
れでも何かを変えようとしてるんだ。このま
まじゃ駄目だと気付いたんだろうな、自分が
姿をくらませたままじゃ何も解決しない事に
やっと気付いたんだよ」
「それは、俺と会ってくれると言うことだろ
うか?」
「…俺はそう感じたけどな」
「きっとそうだよ!翔ちゃん!」
二宮の言葉と雅紀の励まし…
カウンターの向こうでは潤もそうだと微笑ん
でいる。
皆、本当にそう感じているのか?
だとしたら、俺は智君に会える?
しかし、会った後の展開は良いものだとは限
らないだろう。
それでも、俺はあなたに逢いたい…
智君の気持ちが松岡さんに伝われば、きっと
近い内に連絡があるはずだ。
そうしたら、俺はあなたに逢いに行くよ。
ふたりの結末が悪いものであったとしても
ただただあなたに逢いたいんだ
文章が迷子